「メカソクラテスの弁明」を練りつつ,7日には10月までのデライト開発で嵩んだ借りを返すための仕事が一段落した。
一連のツイストがやろうと思いながら出来なかった第二次総括を兼ねていることに気付き,ついでに休養も兼ね16日までかけて書き切った。この頃から頭に浮かんでいた「メカソクラテスの弁明」を別名として21日採用した。
「メカソクラテスの弁明」は,デライトを中心に希哲館事業構想の全体像について初めて公に語った経験であり,極めて大きな意義を感じていた。
19日,「ありのまま」を新デライト市場戦略の定問として考え始める。「最も使いやすいメモサービスを目指す最も使いやすい知能増幅サービス」や「知能増幅メモサービス」といったデライトをありのままに表現する言葉も考えた。
24日,9月15日から始めた待欄調整の廃止。K#F85E での自由な描出を再開。
25日,新デライト市場戦略の標語として「知能増幅解放」を採用。
27日,黄金状態を回復,活動統一を決めた(デライト完全集約)。
これ以後のデライトを「新生デライト」,ここまでの一連の出来事を「デライト累新」と呼ぶことにした(29日)。
30日,対 Notion 戦略を新デライト市場戦略の「一環」と位置付け,デライト宣伝では暗黙宣伝とツイスト宣伝を併用することにした。
諸記録が雑になっていた11月・12月の振り返り・穴埋めも概ね(日記・月記のみ)終えた。