ちょっと面白い。
最後に人と分かれるときの挨拶
海外でも「sayonara」として使われているが、少し意味が違うようだ。
少し日本語の「さよなら」と違う印象を受けるが、
日本語でも、「さようなら」ではなく「さよなら」の場合だと
「sayonara」と同じ意味の印象を受ける。
「う」がクッション役としてはいっているため、優しいお別れの挨拶のような感じ。さようならー、と伸ばしても同じ感じ。
直接的なやや冷たいニュアンスが含まれる。
この「サヨナラ」を「さようなら」に変えてもなんだかしっくり来ない
〔「さようならば」の省略表現〕 「そういう事情でありますならば、これでおいとまします」の意を含めて、別れを告げる挨拶。 さよなら。
「さよなら」は直接別れの挨拶の意味を示している。そこで「さようなら」「さようなら〜」と、クッションとなる語を挟むと、直接的な別れの意をぼかす役割が追加されているのではないだろうか。
そして、そのぼかしとなる語が外れて「さよなら(サヨナラ)」となると、ダイレクトにお別れの意味を感じて、直接的なやや冷たい印象となるのではないだろうか?
さようなら
さよなら