昨日から妙に気分がぐらぐらしているというか,気持ちに身体が付いてきていないような感覚があった。この日も急に気分が高揚したと思ったら急にぐったりするなどして,明らかに呼吸が乱れている様子だった。
昨晩の就寝中,軽い胸痛を覚えて少し寝苦しかった。一昨日「デライトは数ヶ月以内に成功確実」などと喜んでいたのだから,体調が良くなる心当たりはあっても悪くなる心当たりはなく,珍しいことだが気のせいだろうと最初は思っていた。
結局,日中もいまいち調子が出なかったため,作業はほどほどに,じっくり状況と気持ちを整理することにした。
すでにデライト開発は十分な持続性を確保し,仮にずっと収益目標達成が出来なくても死活問題にはならない,という状況にあった。
しかし,デライトの成功ではなく“希哲館事業の成功”を考えれば悠長なことはしていられない。多少のリスクを負っても早期に収益目標を達成しなくてはならない。その思いから11月1日としていた必達期限を5月1日に繰り上げ,短期集中生活に入ったのが先月28日だった。
この短期間に多くの成果を得て,さあこれから正念場だという時に,負っていたはずのリスクが消し飛んだ。6月末あたりまで,あと2ヶ月はこのままの態勢で問題なくデライト開発を続けられることになった。一昨日,27日に起きたのはそういうことだった。
多少の不安はありつつ,5月1日までの収益目標達成にもそれなりの勝算があった。その猶予が2ヶ月近く延びれば,達成出来ないことを想定する方が難しい。必達期限を繰り上げる前より4ヶ月以上早い達成見込みが出来たことにもなる。
安全・着実に歩を進めていては達成出来るのが数年後になるかもしれない,という見込みだったから多少の無理にも意味があった。その数年が2ヶ月以内になるなら,この数日にデライトの成功を賭ける意味は全く無い。
1日までは既定路線で頑張ろうという気持ちに反して,妙に脱力感が強いと思ったが,なるほど勝手に肩の力を抜いた身体の方が正しい。
ここで,デライト収益目標における必達期限の再設定をどうするか考える必要に迫られた。
黄金週間の最終日まで延長するか,6月末まで延長するか……等あれこれ考えた結果,期限に関してはいったん白紙化,当面はこのままデライト高速化を中心に第三次宣伝攻勢を「無期限」で継続することにした。
そもそも,これまでの努力期限や必達期限というのは,先行き不透明な目標に対して,最大限努力するように方向付けるためのものだった。その必要を全く感じないほど視界は良好だ。これまで視界を遮っていた霧が一気に晴れ,すぐそこに目標が見えているように感じられる。
もっとも,気を抜き過ぎたり,天変地異や事故のような予測しえない事態に煩わされたり,万が一のことが無いとは言えない。6月末までの収益目標達成は,選挙でいえば「当選確実」に近い確度だ。理論上絶対とは言えないが,現実的には達成とみなして良いほどの確かさ,ということになる。
そして,現状を総合すれば,収益目標達成はそのままデライトの成功と言える。つまり,デライトは「成功確実」の状態にあり,希哲館事業の成功に向けた確かな足掛かりが出来たことになる。
絶望的な悲観から希哲館事業を始め,あらゆる極限状態を想定して超高効率経営・運用体制を作り上げてきた自分が,ここまで状況を楽観視していることに自分でも驚く。14年に及ぶ希哲館事業の歴史でも初めてのことだ。だから自分自身でこの判断に疑いの余地は無い。
特に今年に入ってからというもの,急激な状況と心境の変化を繰り返し,何度目が回ったか分からないが,これは特大かもしれない。
今月中旬からの高速化を中心としたデライト開発,24日からの第三次宣伝攻勢が非常に上手く噛み合い,安定感が出てきたこともこの確信に大きく寄与している。
特に第三次宣伝攻勢に関しては,もともと新生デライトを形にしてからという計画だったのを済し崩し的に開始した上,開始時期も予定より3日ほど遅れたことで,当初は成り行きに不透明感があった。
始めてみると想像以上に手応えが良く,懸念は早々に払拭することが出来た。まだ活動用者の増加には十分繋がっていないが,しばらく停滞していた登録自我数も早速伸び始めている。
黄金週間を狙った作戦も大当たりだったようだが,高速化を中心として臨機応変に作業を進める方針への転換も,想定外の好状況を導いたという点で大当たりだ。高速化前の現状整理が功を奏した。
一日中雨で散歩が出来なかったこともあり,約2ヶ月ぶりに陶練を再開した。とはいえ前回も久しぶりの再開で一日で終わっているので,流石に体力がかなり落ちているのが分かった。
これからは高位安定で進捗を出し続けることが重要になるため,これまで以上に規則正しい生活を心掛ける。
ここまでの思考を書き出すには夜遅過ぎたので,まとめるのは明日にしてさっさと寝ようという頃,この日記は実質の「デライト成功宣言」になるかもしれない,と思った。