今日の一日一文。
笑いと反権力
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いま,デルンの出場(DB)設計を見直しているのだが,7年前に必要だと思っていた出与え(データ)の多くが必要ない,ということに7年かけて気付いた。
「早まった最適化」という言葉の重みを実感している。
そういえば昔,宇田川榕菴と対戦したことがあった。
名訳「珈琲」に脱帽
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名訳「珈琲」に挑戦
https://kitetu.com/KNo.F85E/A-F2EA
これが日本人が怠ってきたことの,ほんの一部である。
「このチュートリアルでコマンドの使い方を学ぶ」は「この注陶で駒手(こまで)の使い方を学ぶ」,「このセッション管理にはセキュリティ上の懸念がある」は「この接渉管理には制危上の懸念がある」と書ける。
「データベースから重要なデータをダンプしてバックアップを取っておいた」は「出場(でば)から出与えを団放して抜控を取っておいた」と書ける。
この情技(IT)日本語の惨状を放置してきた全ての日本人に責任はある。もちろん私も例外ではない。だから私は希哲館訳語の拡充と普及に全力を尽くす。
「カーネルのコードをリファクタリングした」は「核脳の交度を理腑した」となる。
こう比べてみると,悪い意味で凄い日本語使ってきたな,日本人。仕方なかったとはいえ……。