{水分摂取}{デライト離立補完}{ブルーライトフィルター}{50cm}{友人伝}{希哲14年4月30日}{作業環境}{『希哲日記』}{考え事}{一日一文}=}(24)

{希哲14年4月30日の日記 K#F85E/A-5B28-04E3}

今日は主に作業環境改善考え事などで時間を使ってしまい,開発は捗らなかった。

結局デライト離立補完は終わりそうにないため,来月から気持ちを入れ替えて取り組むことにした。

* 友人伝

友人伝に関しては,とりあえず一日一文としてまとまった文章を書いてみることにした。

少し前,作業場のすぐ横に置いてある小学校卒業アルバムをなんとなく開いて卒業文集を読んでみたら,自分が書いた友達についての文章が意外と軽妙で面白かったことを思い出した。

もしかしたら私は友達を表現するのが得意なのかもしれない。

* その他

あとは細々とした生活上の問題について考えた。

表示機から50cm以上の距離を取ることにし,背筋を伸ばすため表示機をわずかに上向きにした。巻尺で計ってみて大体の距離感は掴んだ。

表示機を触った時,偶然ブルーライトの調節機能があることに気付いた。-30%から-70%まで簡単に切り替えられるため,試しに色彩を確認する必要が無い場合は最大限抑えて使ってみることにした。ついでにスマートフォンブルーライトフィルターも使い始めた。

最近,保湿も考え始めている。これまでは特に乾燥して荒れてくる時だけ注意していたが,日常的に保湿などを考えた方が良さそうだ。とりあえずニベアでも塗っておく。

水分摂取についても少し考えた。最近,カフェオレの横にを置いて飲んでいるが,は決めていない。どうやって管理するか。


{社会散開}{オーバーシュート}{ロックダウン}{穏伝}{飛伝}{コロナ危機}{汎伝}{パンデミック}{一日一文}{希哲館訳語}=}(15)

{コロナ危機とカタカナ語・翻訳語問題 K#F85E/A-5B28-ED41}

コロナ危機真っ最中にある日本で,個人的に興味深い話題が最近あった。

政府から報道機関にいたるまで,重要感染症対策用語を見慣れないカタカナ英語表現していることを批判する声が多く上がったのだ。

このコロナ危機社会に様々な変化をもたらすだろうと言われているが,日本語の「カタカナ依存症」を長年問題視してきた私は,これも一つの契機として捉えている。

すでに希哲館訳語の方針は『希哲辞典』である程度示しているが,特に問題視されたカタカナ英語であるオーバーシュートロックダウンクラスターソーシャル ディスタンシング,さらにエンデミックエピデミックパンデミックといった基礎的な用語をどう翻訳するべきか,ここに簡単に記しておきたい。

*そもそもカタカナ語の何が問題か

一般論として,日本語におけるカタカナ依存症がなぜ問題であり,どう取り組むべきか,ということについては,以前「なぜカタカナ外来語を訳すのか」という文章で書いているので,ピンと来ていない人にはそちらを一読してもらいたい。

コロナ危機に関していうと,伝えるべき多くの人に正しく意味が伝わっていないことが第一の問題といえる。専門用語として冗長で使いにくいという問題もある。

一部で,翻訳語では厳密な意図が伝わらない可能性があるとか,カタカナ語の方が印迫インパクト)があり「脅し」になるというカタカナ語擁護の仕方もあるが,これはあまり良い考え方とはいえない。

まず,カタカナ語であろうが翻訳語であろうが,こうした事態における用語はしかるべき機関が妥当な定義普及に努めるべきであって,カタカナ語でなければ本来の意味が見失われるということはない。和製英語というものを見ての通り,カタカナ語が原語からかけ離れた意味を持ち,かえって混乱するという現象はよくみられる。コロナ危機でも「オーバーシュート」を巡って同じ問題が持ち上がった。

また,「正しく恐れる」とよくいわれるように,危機において広く大衆に共有されるべき用語は,一にも二にも「物事の性質や重要性を正しく表現する」必要があり,油断させたり,必要以上に不安を抱かせるものであってはならない。その意味で,ぼんやりとした理解で使ってしまいやすいカタカナ語不適切であるといえる。

*平たい意訳も時には必要

今回のコロナ危機では,オーバーシュートを「感染爆発」,ロックダウンを「都市封鎖」,クラスター感染を「集団感染」と言い換えよう,という動きがあり,これらはそれなりに使われるようになっている。

これらはごく平易な意訳語だが,この事態において素早く広く共有するための暫定訳語としては決して悪くない。当面はこれらを使い,長期的により妥当な翻訳語を考えるというのが希哲館の方針だ。

例えば,オーバーシュートの本来の意味は「目標や予測を越えること」なので,上振れ下振れといった表現があることを踏まえれば「大振れ」が適訳だろう。ただし,コロナ危機に関しては「感染爆発」が意図するところに近い表現で,オーバーシュート自体が誤用から和製英語に近いものになっている。

感染爆発」は他にもパンデミックアウトブレイク翻訳語としても使われているが,後述するようにパンデミックには「汎伝」という希哲館訳語があるため,残ったアウトブレイク暫定訳語として活用していくことを考えている。

ロックダウンに関しては「籠断」という希哲館訳語を提案しているが,新造訳語の普及には時間がかかるため,「都市封鎖」を併用する。

ソーシャル ディスタンシングは「社会散開

今回,特に日本語におけるカタカナ依存症翻訳文化の衰退を痛切に感じたのは,ソーシャル ディスタンシングを巡る「社会的距離」や「社会距離拡大戦略」などの悪訳の数々だ。

ソーシャル ディスタンシングとは「社会における個人間の一定距離を保つ活動」のことと解釈していいが,普通「距離」に距離を取る行動の意は含まれないため,「社会的距離」は単純な誤訳であり論外だ。その論外な翻訳語が意外と報道などでも使われているので,ここまで日本人日本語感覚は衰えたかと思わずにはいられなかった。

それに比べれば「社会距離拡大戦略」の類はまだ意味は正しく捉えているが,そもそも多くの人が共有しなければならない翻訳語としての「使い勝手」がまるで考えられていない。この翻訳語を考えた人は,声に出して読んで,それが普通の人々に使われると思えたのだろうか。

まともな翻訳語がないことはすでに多くの人が問題視しているが,目につく限り,代替案にも適切なものがなかった。

例えば,ソーシャルを「社交」と訳すべきではないか,という提案が一部であったが,この場合は妥当ではない。例えば公共空間で見知らぬ人同士が居合わせることを「社交」とは日本語では普通表現しない。ここはもっと広い意味でのソーシャルなので,「社会」という表現に特に問題があるわけではない。

そこで希哲館訳語として私が提案したのは「社会散開」だ。

散開とは,比較的広く認知されている軍事用語で「兵士同士が一定距離を取ること」を意味し,その距離感もソーシャル ディスタンシングに近い。恐らく,これ以上に集団の動きとしてイメージしやすく簡潔な表現は日本語には無い。社会全体における散開で「社会散開」というわけだ。

似た例として,「疎開」がある。疎開ももともと散開に似た軍事用語だったが,戦時中,分散的に避難することの意で用いられるようになった。

ちなみに,坂本龍一氏らが参加し人気を集めた音楽グループイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)が1980年代解散を「散開」と表現して話題になったことがある。

*穏伝,飛伝,汎伝

感染症伝染病)の流行には,エンデミックエピデミックパンデミックという3つの段階がある。希哲館訳語では,これらに「穏伝」「飛伝」「汎伝」という新造訳語を与えた。

穏伝」(エンデミック)は,限られた範囲で予測を越えない程度の比較的穏かな流行を指す。それを越えると「飛伝」(エピデミック)になり,さらに世界的な規模で流行すると「汎伝」(パンデミック)となる。

時間はかかっても,こうした翻訳語普及活動をしっかりやっていかなければならないと改めて感じている。


=}(2){あれ}
{コロナ危機とカタカナ語・翻訳語問題}{希哲14年4月16日}{希哲14年4月16日のツイスト}{一日一文}{ツイスト}=}(5)
{デライト離立補完}{2眉}{1眉}{眉月}{進捗評価}{希哲14年4月15日の進捗時限}{希哲14年4月15日の進捗}{希哲14年4月15日}{3日区切り}{進捗記録}=}(19)

{希哲14年4月15日8歩 K#F85E/A-5B28-1C36}

一日のまとめと進捗評価

この三日アイデア面での収穫はあったが,作業が少なかった。最近,生活律動矯正しているのも大きいか。はよく働くが,そのぶん手が動かない。

デライト離立補完意識するあまり,離立補完で詰まると無駄に時間を潰してしまうため,この場合は一日一文などの描出献典整備などに時間を使うことを意識することにした。

3日区切り進捗管理をもう少し体系化したい。1日から毎月末まで9〜10分割し,個々を「眉月」を使って1眉2眉……などと数えていくか。

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{『希哲辞典』}{一日一文}{献典整備}{希哲館訳語}{翻訳語}{学問}{公開}=}(7)

{『希哲辞典』整備中 K#F85E/A-5B28-59A2}

先月希哲館事業最優先課題であったデライト開発がようやく一段落し,これまで出来なかった献典(コンテンツ)整備にも時間を割けるようになってきた。

その嚆矢として目下取り組んでいるのが,希哲館訳語を収録した『希哲辞典』編纂だ。

希哲館では,研究開発に必要な翻訳語を独自に考案し率先して使ってきたが,それも「日本語史上最大の翻訳語体系」といえるくらい膨大なものになってしまったため,世に出す時機をうかがってきた。

まだ正式公開するほど体裁は整っていないが,数日前から興味のある方向けに仮設サイトを公開していた。収録が決まった希哲館訳語がついさきほど100語に達したので,ここでも紹介しておく。以下 URI から閲覧可能だ。

https://dict.kitetu.com

現時点では見ての通り,多くの人に見せるものというより,まずは特に関心のある人や検索演心エンジン)向けの先行公開という感じで作業を進めている。

デライト開発山場を越えただけで終わったわけではないので,こちらは隙間時間で少しずつ更新していきたい。


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{公開手定め}{デライト手定め離立}{一日一文}{デライト}{技術}{公開}=}(6)

{デライト公開手定め(テスト)中 K#F85E/A-5B28-B9CF}

デライト正式離立(リリース)決定」という文章を書き,昨年12月1日デライト正式離立を告知したのがもう2ヶ月以上前になる。ずるずると延期して今月2日手定め(テスト)という形ながら,ようやくデライトを公開することが出来た(以下 URI)。

https://dlt.kitetu.com

まだ手引き整備出来ていないが,匿名検索描出書き込み)は行えるようになっており,雰囲気は掴めるものになっていると思う。本日4日中には利用者登録が可能になり,明日5日中には正式離立となる見通しだ。

2ヶ月延期した主な理由は,後縁バックエンド)のいわゆる「技術的負債」,つまり後々重荷になっていく部分が多く見つかったことだ。正式離立意識してはじめて見えてきたものばかりで,難しい判断ではあったが,性急な離立よりも負債の解消を選択した。

デライトはあくまでも希哲館事業を発展させる手段だ。離立したはいいが,その先で収益化が実現出来なかった,では意味が無い。そうした懸念を極力排除しておきたかった。

結果として,驚異的な速さで後縁改良が進み,12月25日には「技術的完済」と言えるほど,交度コード)を理想的な状態にすることが出来た。そこから更に1ヶ月以上かかってようやく公開出来る水準に達した。

この期間に得たものは多過ぎるほどで,非常に生産的延期だったと感じている。結果から見ると,延期していなければ技術的負債で潰れていたのではないかとすら思う。デライトが利用しているデルンという司組システム)は7年以上前に手探りで実用化したもので,独自性の高さも考えると保守出来ているのが不思議なくらいなのだ。

そして今,悲願だったデライト離立が曲がりなりにも実現し,開発も自分で驚くほど劇的に進展している。希哲館事業展望明るい

希哲館が全てをかけて開発するデライトを,ぜひ体験してみてほしい。


{希哲14年2月4日の進捗時限}{希哲14年2月4日の進捗}{希哲14年2月4日}{デライト手定め離立}{進捗記録}{進捗時限記録}{進捗時限}{一日一文}{希哲館}{進捗}=}(10)
{希哲13年11月24日の進捗時限}{希哲13年11月24日の進捗}{希哲13年11月24日}{進捗記録}{進捗時限記録}{進捗時限}{一日一文}{進捗}=}(8)
{デライト正式離立}{デルン開発近況}{一日一文}{デライト}{告知}{技術}{公開}{デルン}=}(8)

{デライト正式離立(リリース)決定 K#F85E/A-5B28-80EF}

デルン開発近況」という文章を書いてからちょうど3ヶ月ウィキブログに代わる情報形態であるデルン(deln)を利用したメモサービス,「デライト」(Delite)の正式離立リリース)を12月1日に行うことが決まった。

初めてデルンの公開を予定したのは昨年12月1日だったが,出来ることが多過ぎて「能書き過剰」とでもいうべき状態に陥っていたデルンの課題を解決するため,公開予定日間近になって生まれたのがライト版デルンことデライト構想だった。デライトの狙いは,デルンを「単純明快メモサービス」として提供し,まずはデルンがどういうものなのか,多くの人に体験してもらうことにある。

このデライト構想が出来てから,私は「公開すべき段階」を探りつつ,公開延期を繰り返してきた。それから気付けばちょうど1年という時期だ。

情技(IT)の世界では,製品は多少雑でも早く世に出した方が良いと言われている。私もある程度それを意識して,オープン β に近い状態で公開することを想定していたのだが,自分が納得出来る時機を掴むのが難しかった。自分の完璧主義的な性格もあるのだろうが,結果的完成形が見えるところまで来てしまったので,もう正式離立でいいだろう,ということになった。

文章を書くのもずいぶんサボってしまったが,これからは離立に向けてデライトの情報を積極的に発信していく。取り急ぎ告知まで。


{ネットデマ}{〈just left〉}{マスコミ批判}{一日一文}{ネット信仰}{ネットde真実}{メディア リテラシー}{保守層}{リベラル}{社会}=}(15)

{ネット信仰はどこから来たのか K#F85E/A-5B28-C737}

昔からメディアリテラシーは私の関心事だったようで,振り返ってみると,それについて色々な文章を書いている。

『寓話『狼少年』とメディア リテラシー』では,情報源を「完全に信用出来るもの」と「完全に信用出来ないもの」でしか認識しないことの危険性を論じた。『「マスコミ対ネット」という虚構』では,「マスコミに対立するネット」という幻想について論じた。『マスコミ不信の根底にある経済格差』では,「マスコミ不信」の原因について掘り下げて論じた。ごく最近でいえば,『常磐道あおり運転暴行事件で考えるネット私刑』という文章もある。

この頃,「ネット信仰」はどこから来たのか,ということもよく考える。昔からネットにどっぷり漬かってきた身からすると,「ネットではマスコミが伝えない真実を知ることが出来る」というような信念がどこから来ているのか,かえって不思議に思えてしまうのだ。ネットに流れる適当なデマを鵜呑みにして,それを「隠されている真実」だと思い込んでしまう態度は「ネットde真実」などと揶揄されているが,それを笑っているだけでいいものだろうか。

昨日,ドナルド・トランプ氏が記者会見『朝日新聞』記者の質問を受けた際,〈just left〉という言葉を発し,続けて安倍晋三氏に対する社交辞令を述べた。これは普通の英語話者なら「今出ていった(彼)」という意味で受け取るが,これを「左翼」の意味だと解釈してしまった人が「トランプ大統領が朝日新聞を批判し安倍首相を賞賛してくれた!」とツイートし,それに4桁のリツイートが付く,という珍事が起きた。トランプ氏の英語はいい加減なことで有名なので,どういう意図で使ったのかは本人にしか分からないが,客観的に見てこれを朝日新聞批判に結び付けるのは無茶だろう。

いまリベラルはこれを笑い種にし,いかに保守層無教養であるか,と喧伝している。もちろん,この幼稚なデマを発信したのも引っかかったのも愚かで恥ずべきことではあるが,その程度の教育しか受けられず,閉塞感から右傾化している人々をエリートはただ嘲笑うだけ,という状況にも私は心が痛む。それで保守層が「自分達は馬鹿だからリベラルに従おう」となるわけもなく,リベラル・エリートへの反感に油を注いでいるだけだ。

これは笑い話で済むかもしれないが,先の常磐道あおり運転デマ事件のように,どうしようもないネットデマが誰かの人生に深刻な被害を与えることもある。この種のデマは往々にして,「マスコミが伝えない真実をネットが暴く」という使命感から生じていることが多い。それはいいとして,問題は,その「真実」を見分ける努力をせず,ただネットに流れていたから,というだけで信じ込んでしまう人が多いということだ。

マスコミに対するネット,という観点に意義があるとすれば,従来「一握りの発信者」が担っていたものを「一人一人の発信者」が担おう,ということに他ならない。それは全ての個人が確かな目を持ち,情報媒体としての責任を持つ,ということだ。しかし現実のネットは,多くの人が情報を無責任に横流しするだけのものになっている。その結果が幼稚なデマの氾濫なのだ。これではマスコミ批判説得力を持たせることも出来ない。