希哲14年5月7日頃からデライト周辺調査を通じて使えそうなことに気付き,希哲14年5月9日,これまで使っていた知能増幅・メモサービスの中間概念として位置付けることにした。
まただいぶ間をあけてしまった一日一文だが,少しゆとりも出来てきたのでぼちぼち再開したい。継続性について考えてしまうといつまでも再開出来ないので,停止したり再開したりは今後も繰り返しながら,あまり気負わずやっていく。
半年ほど前から,デライト市場戦略にも大きな変化が生じている。個人知識管理サービス市場での競争よりも SNS 市場での競争という意識の変化だ。
当初から次世代の個人知識管理サービス(高機能メモサービス)としての売り込みを考えてきたデライトだが,2年以上の市場活動を通して,“時期尚早”の感が拭えなくなってきていた。
「デライトは従来の個人知識管理サービスとは桁違いの情報を扱える」という趣旨の発言をしたところ,その意図を全く理解出来なかった一部界隈から怒られるという,今となっては笑い話のような出来事(N10K 騒動)もあったが,最近,Notion の小さな流行にも考えさせられることが多かった。
綺麗で仕組み作りが楽しいと評判の Notion は,個人知識管理においてはどちらかというと初心者向けのツールだ。
よく,「勉強が出来る人のノートは意外と汚い」などと言われるが,個人差はあれど,その傾向があることに不思議はない。優れた記録術というのは,自分にとって必要な情報を的確かつ効率的に記録して取り出せる技術であって,それは他人から見て綺麗なものではないことが多い。それどころか,自分の理性に反するものであったりもする。
知識管理に限らず,経験を重ねるということは,事前の想定や計画が通用しないことの多さを学ぶということでもある。美しい理想を掲げる独裁政治や計画経済が破綻し,無秩序に見える民主主義や市場経済が繁栄してきたのは,人間が思い描く理想や計画がしばしば現実の複雑性に対応出来ないからだが,知識管理にも同じことが言える。だから,熟練者ほど無秩序に耐えうる単純で柔軟な仕組みを好む。一方,初心者ほど見栄えや「型」にこだわってしまう。
個人知識管理という一点においては厳しい言い方になってしまうが,そういう意味で Notion は,「必要以上に綺麗にノートを取ろうとする勉強が出来ない人」のためのツールと私の目には映っている。Notion 人気が今の市場の成熟度を表しているのだろうとも思う。もちろん,入門者向けツールとしての意義を否定しているわけではない。それはそれで役割がある。
要は,高々数万ページの利用でヘビーユーザーとみなされたり,Notion が人気を集めたりする個人知識管理サービス市場の現状にあって,「頭の中のあらゆる情報をほぼそのまま書き出せるメモサービス」としてデライトを売り込むのにそもそも無理があったのではないか,と真剣に考えざるをえない段階に来ていたわけだ。元々,全く考えないことではなかったが,他に売り込みようもなく,考えても仕方ないことではあった。
時間の問題とはいえ,市場の成熟をただ待っていたら,デライトが自然に受け入れられるのは奇跡的に早くて数年,そこそこ早くて十年,最悪,私が生きている内には無理かもしれない。
もう一つ,デライトの市場活動で私が学んだのは,「個人知識管理に関心がある層は意外と保守的」ということだった。コンピューターとインターネットを活用して知識を管理しようなんて人はきっと好奇心旺盛だからデライトにも注目してくれるだろう,という今思えばかなり甘い見込みは見事に外れた。これまでの自分のやり方,自分の考え方から離れられない人が思いのほか多かった。
考えてみれば記録というのはそもそも保守的な行為だし,この手のツールに関心がある人はそういう性格的傾向があるのかもしれない。それに加えて,個人知識管理ツールは性質上評価に時間がかかる。ある程度の期間使い込んでみないと真価は分からないので,新しいものに時間をかけるのは勇気が要る。そこに対してデライトは急進的過ぎたし,破壊的過ぎた。
そんなことをよく考えていた時期に,イーロン・マスクによる Twitter 買収という出来事があった。新しい突破口を求めていたデライトにとって,紛れもなく,千載一遇の好機だった。
これには,デライト以前からあった KNS(knowledge networking service)という構想が大きくかかわってくる。次回の一日一文では,KNS と新しいデライト市場戦略について掘り下げたい。
ライトテーマ・ダークテーマを使い分けるようにした甲斐あってか昨晩は久しぶりによく眠れたものの,考え事が多く作業はいまいち捗らなかった。
Mastodon, Hive Social, Nostr, Misskey, Bluesky 等々と,定期的にポスト Twitter 新興 SNS が話題になっている。しかし,まだ決め手に欠けている。「次の SNS」への世間の目移りが一巡し,「SNS の次」に目をやる人が増えてきた頃が KNS としてのデライトの売り込み時なのだろう。
さらに,人工知能や個人知識管理の浸透と新生デライト開発が急速に同時進行している。SNS の次,人工知能の次,そして次の個人知識管理(知能増幅)が交差したところにデライトがある。かつてない機運の高まりに,否でも緊張感が高まってくる。
最近の出来事や状況の変化が奇跡的に噛み合い,組計にだいぶゆとりが出来た。一応の目標にしていた,デライト3周年までの完全な成功への期待感も急激に高まっている。先日の給湯器の故障ですら「禍を転じて福と為す」というべき結果になりつつある。訳が分からなくなってくる偶然の組み合わせと幸運という意味では金風並みか。
デライトの当努を俯瞰し,概ね以下の優先順位で片付けていくことにした。
中心的当努が新生全知検索整備なのは変わらないが,実装方針がまとまり一気に時間対効果が高まった他自我内検索用合い改良兼自我ページ整備を最優先とし,検索周りを一段落させた後に暗証語周りの機能とエクスポート機能の実装に入ることにした。サービス全体のばら成しを重視した。
“知名問題”の解消により機が熟した輪郭整備兼文書整備も並行して始めることにした。新生全知検索整備と歩調を合わせ,ひとまずは「新生デライトの成立」を急ぎたい。未完の大輪郭整備は特に範囲を決めていないので輪郭整備兼文書整備を含めてしまってもいいかもしれないが,当初の目的が異なるため一応区別しておく。
他の当努については,現状では十分な時間対効果が望めないといった理由で優先順位を下げた。例えばデラング整備も高速化も現時点で必要十分な程度には進んでいる。それ以前の段階での用者のつまずきを真っ先に解消すべきだろう。
デラングを中心とした第四次市場戦略は,デラング整備の優先順位をなかなか上げられないまま第五次市場戦略が見えてきてしまったため上手く活かせなかった。現時点でデラングは十分な実用水準にあり,これ以上追求しても訴求力は極めて限定されるだろう。Markdown の通用力に対抗するなら長期的に構える必要がある。
対 Twitter 戦略を織り込んだ第五次市場戦略の検討を始め,ツイストの無期限停止と来て外部サイトでのデライト宣伝は役割を終えた。現在,デライト宣伝は検索流入中心に原点回帰している。
元々,デルンの実用化以後,理想としていたのは検索流入からの持続的な訪問者・用者の増加だった。司組的にも献典的にも現実が追い付かず,デライトが出来てもそこまで分かりやすく魅力的な状態ではなかったので能動的なデライト宣伝に頼ることになった。
しかし,SNS を利用したデライト宣伝にも限界は感じていた。デライトでは当初から個人知識管理に関心のある日本人層を中心に宣伝を展開していたが,この層が意外と保守的だった。大きな変化を望んでいない多数派に対して,デライトは破壊的過ぎた。実は第三次宣伝攻勢あたりから感じていたことではあったが,限られた時間で自分の手を使う以上,無差別に手当たり次第というわけにもいかなかった。
久しぶりに SNS を離れてみて,本来の理想との距離がそう大きくなくなっていることに気付いた。大輪郭整備や第三次快調期で勢い付く今のデライトがもう少し見せ方や動線を工夫すれば,不特定多数の検索流入からの用者増加にも十分期待出来る。一時停滞気味だった SEE や広告関連の指標も持ち直し,総合的には好ましい状況にある。
そのまま完全な成功までの軌道に乗ってくれれば,それ以上のことはない。むしろ理想的な成功への近道が開けたようなものだ。
当努整理にも反映されているが,最近,無意識のうちにも,(現実離れした)「玄人」に過度な期待をせず,あくまでも一般的なネット用者が利用しやすいサービスを志向するようになっていた。一見まとまりなく見えたこれまでの全ての出来事が一本の道筋になりつつある。
ここ数ヶ月感じていたことだが,やはり個人知識管理分野は全体的に若干停滞しているようだ。大きな変化が無い,ということすらもう書き飽きてきて,語るべきことを見失いつつある。コロナや世界経済の局面によるところもあるのかもしれない。
それも踏まえると,長期戦の態勢に切り替えたのは大正解だったように思える。開発時間が多少減った代わりに,デライトの完全な成功に向けた時間制限が無くなり,非常に気楽になった。この一週間ほどは久しぶりの休暇のような感覚だ。希哲社が強みを発揮出来る状況でもある。
開発面ではすでに峠を越え,新生デライトの成立を目前にして,また時間に追われることなくじっくり作業に取り組むことが出来る。状況は変わったが相変わらず展望は明るい。環境に感謝して,粘り強くデライトを磨き上げたい。それがやがて神風になるだろう。