デルンを利用した世界初の KNS,世界初の知能増幅(IA)メモサービス。
歴史
- 希哲12年(2018年)11月23日,名称として正式採用。
- 希哲14年(2020年)2月13日,正式離立。
デルン(デライト)上で毎日一つの文章を書くという日課,またはその文章。
宇田川が希哲8年(2014年)から断続的に行ってきた。平均して一日に一文を目指すため,一日に複数の文章を書くこともある。また,長文を何日もかけて書くことも多い。
デルン実用化後の希哲8年9月26日,「一日一章」として始める。その後,「一日八章」などとして自分に重荷を課していくが,継続出来なかった。
希哲13年5月16日,簡素に徹し「一日一文」と改めて再開を決め,27日からポモドーロ法を組み合わせる形で再開するが,デライト正式離立後からまた途絶えていた。
希哲15年4月1日,新生デライトの開発が軌道に乗ったことでまた再開を考え始める。
希哲15年4月7日,再開(「一日一文『道草録』再開とデライト近状」)。
希哲17年9月22日,題名としての知名とそれ以外の知名が紛らわしいことが増えてきたため各文の知名に二重鉤括弧を使うことにした。
長期安定体制をじっくり構築するため,6月・7月は半ば夏休み気分で過ごしていたが,8月からは気持ちを切り替えてデライトの完全な成功・希哲館事業の成功に向けて調子を上げていきたい。
そんな8月最初の一日一文の題材には,私自身の成功観についてが相応しいだろう。そもそも私自身がこの希哲館事業で何を目指しているのか,改めて,これまで以上に明確に記しておきたい。
さて,「デライトの完全な成功」というのは希哲館事業における目下最大の課題だ。
人気があるサービスが必ずしも幸福なサービスではない,というネットサービス開発・運営の難しさが旧 Twitter の騒動で広く知られるようになった。もっとも,非業界人にも分かりやすくなっただけで,全く問題を抱えていないサービスはほぼ存在しないというのが業界の実態だ。
デライトは,集客に成功していない点を除けば,あらゆる意味で極めて上手く行っているサービスと言える(デライトの不完全な成功)。これが「デライトの完全な成功」という表現を多用している理由だが,ではなぜデライトは集客に成功していないのだろうか。よく考えてみればそう不思議なことでもない。
多くのサービスは当然ながら営利目的なので,集客を第一に考える。すぐに利益が出なくても「金の卵」である利用者数が伸びれば投資は集まる。その過程で,無理な資金繰りをしたり,人間関係や権利関係でしがらみを作ったり,いわゆる技術的負債を積み上げてしまったり,構想として小さくまとまってしまったりする(これが日本人に一番多い)。そうしなければ生き残れないからだ。デライトの場合,幸運なことに,そうしなくても生き残れてしまった。集客を最後に回せた稀有なサービスなのだ。
デライトとその完全な成功が何のためにあるのかといえば,希哲館事業の成功ためだ。デライトの背景としての希哲館事業については「デライトの歩み」にもざっと書いたが,日本でかつてのイギリス産業革命を越えるような知識産業革命を起こして米中を大きく凌ぐ極大国(ハイパーパワー)に成長させ,日本を盟主とした自由民主主義の究極形(希哲民主主義)によって世界中の権威主義体制を打倒,知によって万人が自由と平和と富を享受出来る世界を作り上げることが希哲館事業の目的であり,最終的な成功だ。
これが実現出来なければ,世界一の大富豪になろうが自分は「失敗者」である,というのが私が17歳頃から引きずってきた呪縛のような成功観だ。
振り返ってみれば,これまでの人生には世間でいう程度の「成功」を手にする機会はたくさんあったのだが,大欲は無欲に似たりというやつで,全く興味が持てなかった。その中には,とりあえずデライトをよくあるような人気サービスにする,くらいの成功もあったのだろうと思う。無論,そんなことのために将来の希哲館事業に致命的な禍根を残すわけにはいかなかった。こうした選択の積み重ねが「デライトの不完全な成功」につながったのだろう。
ありがたいことに,デライトにも,サービスとしての成功を親身になって考えてくれる利用者達がいる。もちろん嬉しいことなのだが,私が思い描いている「成功」を共有することの難しさ,そしてそれに起因する温度差も常々感じている。
「知のあり方を一変させる情報技術」の全てが例外なく構想倒れに終わってきた歴史の中で,希哲館事業という人類史上最大の事業構想を背景とした世界初の実用的な知能増幅技術をこの水準で実装し,問題という問題もない体制で安定的に運営し,少ないとはいえ継続的な利用者がいて,しかも開発者が非常に幸福な生活を送れているなんて,真面目な話,すでに「とてつもない成功」以外のなにものでもない。
そもそも,世の中のサービスと比較してみようと思える時点で,こんな気が狂うような構想をコンパクトかつカジュアルにまとめることに驚異的に成功しているということだ。デライトは,ここに存在していることで時空の歪みが生じているのではないかと思えるくらい,本来この世にありえないような代物なのだ。
そのデライトの集客面での成功,すなわち完全な成功は,大袈裟でなく世界史を前後に両断するような出来事になる。流石に,いわゆる「一発当てる」感覚で考えられるようなことではない。
私が生きている内にデライトの完全な成功を果せなくても本来は当たり前,あと50年で果したらちょっとした奇跡,10年ならとてつもない奇跡,1年なら奇跡という言葉が陳腐に感じるほどの何かだろう。ここまで来たら腰を据えてじっくりやる以外ない。長期安定体制に舵を切ったのも必然といえば必然だった。
私の成功観の特異性は,その巨大さだけではない。さらに理解してもらうのが難しいであろう複雑さも伴っている。すでに十分長い文章になったので,これに関しては後日気が乗った時にでも書きたい。
希哲館事業は,5月から“長期安定体制”への転換を始め,この7月で新体制を完成させた。
長期安定体制の完成は,「デライトの完全な成功」を果すため質・量ともに十分な時間を確保出来たということを意味する。この体制で,デライトの改良,コンテンツ整備,宣伝はもちろん,希哲館事業全体にかかわる環境整備,私自身の生活の質改善など,あらゆる要素の改善をじっくり,バランス良く進めていきたい。
サービス開発・運営の経験を積んでみてつくづく思うのは,サービスは生き物だということだ。複製されたスタンドアローン型のソフトウェアと違って,サービスは常に生きていなければならない。健全で活力あるサービスは健全で活力ある人間にしか維持出来ない。私はデライトを名実ともに世界最高のサービスとして成功させたいので,私自身がそれに見合う人間でなければならないと思っている。
何より,ここまでデライト開発を成功させ,この SNS 戦国時代 に KNS という唯一無二の構想を持って立っている奇跡にお腹いっぱいだ。宝くじを何百回と当てては宝くじに注ぎ込むような綱渡りをしてきたが,すでに得たものが大き過ぎて,それを賭けるに値する博打もなくなってきた。流石にそろそろ堅実に生きるべきではないか。そんな心境の変化と,この期に及んで安定を取り戻す選択肢があった幸運ぶりを象徴する出来事になりそうだ。
昨日,X(旧 Twitter)のダークモード以外の配色モードを廃止するとイーロン・マスク氏が表明し,反対意見が殺到するという騒動があった。結局,ダークモードをデフォルトにしてライトモードも一応残すという方向に軟化させたようだ。
デライトでは,今年2月にダークモード(ダークテーマ)対応を実現したばかりなので,個人的に色々思うことがあった。前回予告した KNS についての文章に時間がかかり過ぎているため,今回の一日一文はつなぎとして,開発者の視点からこの騒動の背景について書いてみたい。
デライトは元々明るい配色,いわゆるライトモードのみでやってきた。大きな理由の一つに,イメージの問題がある。白背景を基本としたデザインにはやはり明るく清潔な印象がある。サービスがメディアで紹介される時など,イメージ戦略を考えるとこれは馬鹿にできない。
個人的には黒背景が好きだが,この種のネットサービスではどうしてもアングラ感が出てしまう。背景色を微かな灰色にすることも試したが,白背景と比べるとちょっとくすんだような,地味な印象になってしまう。なるほど,ダークモードが流行しても大手サービスの多くがデフォルトで眩しい白背景を採用している理由はこれかと思ったものだ。
今年2月,満を持してダークモード対応を完了し,私もテストがてらダークモードを常用していた時期がある。最初は新鮮さもあって,それこそダークモードだけでやっていけそうな気がしたが,慣れてくると,眠気が強くなったり,いまいち調子が上がらないことに気付いて,結局ライトモードを常用する生活に戻った。
ライトモードもダークモードも,どう感じるかは個人差や環境差によるところが大きい。どちらかが万能だと思ってしまうのは,単純な経験不足なのだろう。今回の騒動は,ソフトウェア開発におけるマスク氏の経験不足と,新しいロゴに象徴される偏った趣味に起因する出来事とも言える。
ただ,もう少し踏み込むと,マスク氏をこの拙速に追い込んだ X の切実な開発事情が見えてくる。
配色モードの追加や維持というのは,見かけよりずっとコストがかかる。例えば,外観に絡むような機能追加をした時,それぞれの配色モードで問題が生じていないか確認する必要があるし,問題があれば個別に調整する必要がある。そして,このコストは,既存のコードの保守状況が悪ければ悪いほど,変更の程度が多大であればあるほど高くなる。
デライトの場合,開発者である私自身が一から書いて保守し続けている HTML や CSS で,ほとんどサービスとしての形が出来た状態だったので,最小限のコストでダークモードを追加出来た。
X の事情は,デライトとは正反対だ。長年他人が保守してきたコードを引き継ぐというのが,それだけで気の遠くなるような作業であることは,それなりのソフトウェア開発経験者なら誰でも知っている。マスク氏は,その X を大改造しようとしているわけだ。複数の配色モードの維持は,多くの人が想像しているよりはるかに重い足枷だろう。
X の方向性には全く共感しないが,マスク氏の立場を想像するに,出来れば当面は好きなダークモードだけで,それが駄目ならせめてダークモード以外の品質保証はしない方向で開発を進めたい,と考えてしまうのは無理もないことだと思う。
まただいぶ間をあけてしまった一日一文だが,少しゆとりも出来てきたのでぼちぼち再開したい。継続性について考えてしまうといつまでも再開出来ないので,停止したり再開したりは今後も繰り返しながら,あまり気負わずやっていく。
半年ほど前から,デライト市場戦略にも大きな変化が生じている。個人知識管理サービス市場での競争よりも SNS 市場での競争という意識の変化だ。
当初から次世代の個人知識管理サービス(高機能メモサービス)としての売り込みを考えてきたデライトだが,2年以上の市場活動を通して,“時期尚早”の感が拭えなくなってきていた。
「デライトは従来の個人知識管理サービスとは桁違いの情報を扱える」という趣旨の発言をしたところ,その意図を全く理解出来なかった一部界隈から怒られるという,今となっては笑い話のような出来事(N10K 騒動)もあったが,最近,Notion の小さな流行にも考えさせられることが多かった。
綺麗で仕組み作りが楽しいと評判の Notion は,個人知識管理においてはどちらかというと初心者向けのツールだ。
よく,「勉強が出来る人のノートは意外と汚い」などと言われるが,個人差はあれど,その傾向があることに不思議はない。優れた記録術というのは,自分にとって必要な情報を的確かつ効率的に記録して取り出せる技術であって,それは他人から見て綺麗なものではないことが多い。それどころか,自分の理性に反するものであったりもする。
知識管理に限らず,経験を重ねるということは,事前の想定や計画が通用しないことの多さを学ぶということでもある。美しい理想を掲げる独裁政治や計画経済が破綻し,無秩序に見える民主主義や市場経済が繁栄してきたのは,人間が思い描く理想や計画がしばしば現実の複雑性に対応出来ないからだが,知識管理にも同じことが言える。だから,熟練者ほど無秩序に耐えうる単純で柔軟な仕組みを好む。一方,初心者ほど見栄えや「型」にこだわってしまう。
個人知識管理という一点においては厳しい言い方になってしまうが,そういう意味で Notion は,「必要以上に綺麗にノートを取ろうとする勉強が出来ない人」のためのツールと私の目には映っている。Notion 人気が今の市場の成熟度を表しているのだろうとも思う。もちろん,入門者向けツールとしての意義を否定しているわけではない。それはそれで役割がある。
要は,高々数万ページの利用でヘビーユーザーとみなされたり,Notion が人気を集めたりする個人知識管理サービス市場の現状にあって,「頭の中のあらゆる情報をほぼそのまま書き出せるメモサービス」としてデライトを売り込むのにそもそも無理があったのではないか,と真剣に考えざるをえない段階に来ていたわけだ。元々,全く考えないことではなかったが,他に売り込みようもなく,考えても仕方ないことではあった。
時間の問題とはいえ,市場の成熟をただ待っていたら,デライトが自然に受け入れられるのは奇跡的に早くて数年,そこそこ早くて十年,最悪,私が生きている内には無理かもしれない。
もう一つ,デライトの市場活動で私が学んだのは,「個人知識管理に関心がある層は意外と保守的」ということだった。コンピューターとインターネットを活用して知識を管理しようなんて人はきっと好奇心旺盛だからデライトにも注目してくれるだろう,という今思えばかなり甘い見込みは見事に外れた。これまでの自分のやり方,自分の考え方から離れられない人が思いのほか多かった。
考えてみれば記録というのはそもそも保守的な行為だし,この手のツールに関心がある人はそういう性格的傾向があるのかもしれない。それに加えて,個人知識管理ツールは性質上評価に時間がかかる。ある程度の期間使い込んでみないと真価は分からないので,新しいものに時間をかけるのは勇気が要る。そこに対してデライトは急進的過ぎたし,破壊的過ぎた。
そんなことをよく考えていた時期に,イーロン・マスクによる Twitter 買収という出来事があった。新しい突破口を求めていたデライトにとって,紛れもなく,千載一遇の好機だった。
これには,デライト以前からあった KNS(knowledge networking service)という構想が大きくかかわってくる。次回の一日一文では,KNS と新しいデライト市場戦略について掘り下げたい。
明日から長期安定体制仕上げの後半戦だが,旧雑務も想定より早めに片付きそうで,早速気持ちが弛緩し始めている。
長期安定体制の完成まであと一息という希哲館事業・デライトとは対照的に,Twitter は崩れ落ちる音が聞こえそうなくらいの混乱ぶりで,ついに,Twitter の名称と語体を「X」に切り替えるそうだ。既存用者が気の毒なくらい,ブランディングやデザインの観点からは明らかな悪手だが,色々考えさせられた。
イーロン・マスクが,センスの権化のような存在だったスティーブ・ジョブズと一部で並び称されることにずっと違和感があったのだが,やはりこの人には根本的にセンスがない。
「X」になんとなく既視感があるなと思ったら,14歳くらいの頃の自分も,「X」のような意味深な名前で,漠然と万能な凄い司組を作りたいというようなことを考えていたからだったことに気付いてしまった。イーロン・マスクという人は,本当にその辺の中2の感性を何のひねりもなく50過ぎまで持ち続けているのだなと思う。難解で理解出来ないのではなく,幼さが痛いほど分かってしまう。
司組も大きく改変されて,Twitter というブランド・根想が辛うじて,表面的に Twitter らしさを保っているだけだなと思っていたところなので,この変更をもって事実上「Twitter の終焉」とすべきなのかもしれないとも考えた。しいて言えば,用者と献典が依然として残る遺産だが,それも,所有者の感性がこれだと腐っていく気しかしない。
もっとも,とっくの昔にゾンビ化していた Twitter をそのまま健全化するなんてことは最初から無理な話だったわけで,マスクはその現実を覆い隠さず世間に突き付けただけとも言える。ゾンビになっても騙し騙し生かされてきた Twitter にとっては,ようやく安らかに眠れる良い機会かもしれない。
激化する SNS 戦国時代の中で,サービス文化について考えさせられることが多い。今日はちょっと面白い発見もあった。
以前にも SNS におけるオタク文化について考えたことがあるが(3月1日の日記),依然としてその影響力は強いと感じる。例えば,Misskey の猫耳機能などは私の価値観からすると完全にありえないものだが,そういう部分があることでオタク層からの信頼を得ている面はあるだろう。誰かにとっての「居心地の良さ」を提供することは SNS の核心であって,Misskey はまだ小規模ながら興味深い事例ではある。
最近でいえば,Threads の急速な台頭によって,キラキラした Instagram 的な場に対する「ドブ川」としての Twitter に,想像以上に多くの Twitter 用者が想像以上に強い愛着を持っていることが分かってきた。「陽キャ」に対する「陰キャ」のコミュニティであるという意識もやはり根強いようだ。それは単なる自虐というより,昔から言う「明るい人気者ほどつまらない」とか「面白い奴には根暗が多い」とか,その種の含みがある。
確かに,自分が好きだったお笑い芸人なんかを振り返ってみても,根暗でひねくれていた人ばかりだ。そういう人が,業界で一定の地位を築いて妙に社交的な「明るい人」になったりして,つまらないことで笑うようになり,かつての面白さを失っていく,という哀しい現象もよく見てきた。
明るい人というのは箸が転んでもおかしいという人なので,日常にそこまでひねりの効いた刺激は求めていないのだ。Twitter 用者が Instagram 的な SNS に感じるつまらなさとは,こういうことなのだと思う。
幼稚なデマに煽られやすいなど,全体としては知的脆弱さが目立つ Twitter ではあるが,役立つ投稿や面白い投稿が比較的多いことは認めざるをえない。学問も文芸も,多少ひねくれていたり,オタク気質だったりするくらいが丁度良いからだろう。その点で,Twitter 文化にはマイクロブログ型 SNS における確かな優位性がある。
そういう観点からデライト文化について考えてみたら,対 Twitter 戦略なんて無理筋じゃないかと一瞬思いかけた。というのも,デライト文化の種子たる私自身が,人間の限りない可能性と限りない成功に対して限りなく楽天的な性格であって,その実現のためにデライトを開発してきたからだ。サービス名を〈delight〉(歓喜)にかけているくらいなので,そもそもデライトはこの上なく明るい気分から生まれている。そういう意味では,インスタグラマーも真っ青なキラキラ志向なのだ。
単純な話,Twitter が陰キャ寄り,オタク寄りの SNS だとして,デライトがそうでないとすると,どうやって用者を移行させるのかという問題がある。ここまでのデライト運営の実感としても,Twitter をはじめとするマイクロブログ型 SNS からの訪問者は,明らかにデライト文化に引いている。
そんなことに思い至った時,この頃,全く別の文脈で自分の性格についてよく考えていたことを思い出した。
ここ数年くらいで確信を深めていることなのだが,どうも私は病的に明るい性格らしい。希哲館事業の経験を積む度に,自分の明るさに助けられていると感じることが増える。
世界初の実用的な知能増幅技術であるデライトによって知識産業革命を起こし,かつてのイギリスのように,国家模体として日本を極大国(ハイパーパワー)に成長させ,その日本によって知識産業を中心とした新しい国際秩序の形成を主導する,ということを大真面目に実践しているのが希哲館事業だが,まず,並大抵の精神でこれを支え続けるのは誰がどう考えても不可能だ。
常人がなんとか続けたとして,40歳近くにもなれば頭髪は白髪で真っ白なら良い方で,全部抜け落ちていてもおかしくない。顔は若く見えて60歳相当には老け込んでいるだろう。
ところが,現実の私は,実年齢よりもずっと若く見られることが多かった。ここ数年はデライト開発でだいぶ生活も乱れたのでどうか分からないが,少なくとも,年齢相応の苦労を重ねてきた男性の顔には見えないな,と自分でも思うような顔をしている。20代の頃はあまりにも幼く見えたので,むしろ老けたくて仕方なかったくらいだ。希哲館事業構想の一環として三船敏郎のように強い日本人の象徴となる顔が必要だと10代の頃から考えていた私にとって,幼さに対する混複は非常に大きかった。
表情もまたなんとも楽しげで,実際これが毎日楽しいのだ。クスリでもやっていないとおかしいくらいだ。実際にはクスリどころか酒もたばこもやらないのだが,たまに,自分が知らないうちに麻薬でも打たれているのではないかと考えてしまうことがある。毎日デライト上に記録している通り,生活はかなり健康的な部類だろうと思う。
この未曾有の重圧にしてこの気楽ぶり。環境に恵まれているというのも大きいが,それだけでは説明し切れないものがある。
思い出すのは,「子供の頃は姉と一緒で明るい子だった」とよく言われていたことだ。姉が非常に明るい性格のまま育ったのに対して,私はある時期から考え込むことが多くなり,人付き合いも口数も減っていった。その先に希哲館事業があるわけだが,いま思うと,希哲館事業のとてつもなく巨大な影を丸呑み出来るだけの根の明るさがあったのだろう。
世界の思想史を通観して,思想家として捉えた場合の自分の特異性について考えると,やはりこの明るさに行き着く。『考える人』しかり,思索にふけっている人なんて大体みんな憂鬱そうな顔をしている。私自身の体験を振り返っても,いわゆる明るさと思慮深さを両立させるのは難しい。思考というのは脳を占有し疲労させるものなのだから,科学的な説明もそう難しくないはずだ。私のように「笑いながら考える人」はそういない。
これは SNS における明るさと面白さの両立という課題にも通ずるのではないかと思ったわけだ。Instagram や Threads などの「つまらない明るさ」はテキスト向きではない。かといって,「面白い暗さ」の Twitter も SNS としては長らく伸び悩みの状態にある。デライトの個性を「面白い明るさ」という第三の道と捉えると,むしろ大きな希望に思えてくる。
一昔前でいう月9が Instagram 的なもの,昼ドラが Twitter 的なものだとすると,デライトが目指すべきは日曜劇場,つまり,『JIN』や『半沢直樹』のような世界なのかもしれない,などとも思った。キラキラでもなくドロドロでもなく,ギラギラという感じだ。
特に『JIN』は,希哲館事業発足から間もない頃に放送されていて,奇妙な運命を背負ってしまった主人公と自分を重ねながら観ていた想い出深いドラマだ。気付けば南方仁と同じ年齢になっているのもなんだか感慨深い。
(書きたいことはまとまっていたが書き終えるのに20日までかかってしまった)