{希哲19年7月11日の睡眠 K#F85E/0758-DB07}
{希哲19年7月10日の睡眠 K#F85E/0758-8A56}
{希哲19年7月10日の日記 K#F85E/0758-78C8}
黄金日。
実装予告で2度延期したエクスポート機能実装を一段落させたい日だったが,実装イメージが固まったところで力尽きた。時間をかけただけあって仕様は洗練されているので,無理せず乱れ気味の生活律動を整えながら過ごした。
集中できる環境は整い時間も確保できているため15日には確実に公開できるだろう。
このごろ,デライト快適化が生理的快感に直結しているように感じられる。逆に言えば,デライトの不快感が生理的不快感に直結するようになっている。「知能増幅技術」の本当の意味を体感しているようだ。
脳爆発が激しくなった4月頃からデライト超高速化への意識が高まっていたのもそのせいだろう。今日のまとめ作業で,直近の新生全知検索整備の効用と必要性も痛感した。この速さでなければ思考がまとまらない。
{希哲19年7月11日 K#F85E/0758-1DEC}
{希哲19年7月10日 K#F85E/0758-6BC7}
{『信仰としての拝金主義』 K#F85E/0758-70D2}
金で買えないものはいくらでもあるという現実を頑なに無視する気持ち悪さで昔から嫌いだったが,これは資本主義社会で再発明された信仰なのだと思うと馬鹿にできない気がしてきた。
「金で買えないものはない」と言いたい人は,世界に金で買えないものがあることを知らないわけではない。「金で買えないものはない」ということを信じること自体に価値を感じているのだ。それは,万人に与えられた金銭的成功への機会や努力に対する信念と深く結び付いている。信仰に疎い現代日本人が信仰心についてここから学べることは多い。
もう一つ面白いのは,拝金主義が実は資本主義よりも社会主義に親和的な思想であるということだ。
資本主義は,国家や大企業が富によって富を独占・拡大し続けることはないという前提に立った社会体制だからだ。実は一番「金で買えないもの」に価値を見出しているのが資本主義であるといっても過言ではない。現在の大企業や大富豪は,前世代の大企業や大富豪が金で買えなかったものを見つけてその富を得ている。
私にとって「金で買えないもの」の最たる例は,言うまでもなくデライトだ。イーロン・マスクが全財産を投じても買えないものを現に私は持っている。