貴重なご意見を頂いたので,開発者がデライトの考え方について文章を書きました。他の方の参考にもなるかと思いますので紹介しておきます(後ほどいくつか追加します)。
https://dlt.kitetu.com/?fg=KNo.F85E/A-E74C-FF6E
https://dlt.kitetu.com/?fg=KNo.F85E/A-E74C-A6B8
https://dlt.kitetu.com/?fg=KNo.F85E/A-E74C-9878
「開発者さんの説明があんまり上手ではない」というのは,まず言われないことなので良い意味で色々考えさせられました。なぜ言われないのかというと,私以外の誰も何を説明しようとしているのか知らないからです。ただ,それを否定しきれないのは,この頃,自分の伝える能力に少し限界を感じていたからです。そういう意味では図星でした。
最近,ツイストでもちょくちょくそんな風なことを書いていますが,「一流のマーケターだったらデライトをどう売り込むんだろう」とか「一流のコピーライターならどうデライトを表現するんだろう」と考えてしまうことがあります。その前にデライトについて理解してもらわなければいけないわけで,現実には人に任せられることではないのですが,自分の絶対的な能力不足は薄々感じていたことです。
ちなみに,ツイストについてはあえて気ままにだらだら書いているので,そのつもりで読んで頂いた方が良いかもしれません。最初はある程度綺麗に書こうとしていたのですが,途中で,そもそも Twitter ってそういうもんでもないよな,と気付いて止めました。推敲に時間をかけているうちに失われてしまうものもありますし,雑になってしまうことより,綺麗に書くことにこだわって結局書けなくなることの方が損失だからです。
さて,本題の造語についてですが,これは端的に言って「必要悪」かなと思っています。
例えば,医学でも法学でもなんでも,ある程度高度な知識体系を持つ専門分野には,必ず日常的ではない専門用語があります。それこそ,哲学なんかでは哲学者個人が勝手に使う暗号めいた用語が頻出します。そもそも我々が当たり前に使っている言葉も,江戸時代の人々から見たら奇異な造語と翻訳語にまみれているわけです。
では,そうした専門用語を平たく噛み砕いて書けば分かりやすいのかというと,それはそれで冗長で訳の分からない文章になるでしょう。用語というのは,複雑化した情報を整理・共有しやすくするために用いるものです。ある分野について正しく理解してもらうには,難しい言葉を使わないことではなく,難しい言葉を使えるようになる教育の道筋を整えることが必要です。
これは概ねデライトでも同じだと思っています。デライトは実際に数多くの新しい概念を抱えたサービスで,これを正しく表現するためには多くの造語が必要でした。逆に,見慣れた易しい言葉だけで簡単に説明出来る範囲でデライトを開発していたら,それは何の変哲もないありふれたサービスになっていたと思います。それは私の目的ではありません。
ただ,専門分野でいう「教育」にあたる部分がデライトでは十分に出来ていない,というのはおっしゃる通りです。具体的には,文書の未整備,特に用語の定義を追いにくいというのは実は結構前に他のユーザーから指摘されていたことでもあり,問題として認識しています。これは単純に,時間が足りなかったことが原因です。
ついでに言うと,造語・翻訳語は「膾炙」を待っていると誰も使いません。言葉というのは使ってみなければ良いも悪いも分からないものなのですが,日本人の場合,性格なのか周囲が使わなければ使わないという人が多く,結局誰も使わないということになりがちです。カタカナ外来語がこれだけ問題視されながら放置され続けてきた理由でもあると思います。それが思考の範囲も規定してしまっています。
なので私は,むしろ意識して,自分で考えた言葉は一人でも自分で使うようにしています。その価値があると思える言葉で,新しい物の見方・考え方を開拓したいのです。
つづきます。
率直で真摯なご意見,本当にありがとうございます。今のデライトでは読みにくい長文になりますが,折角思いを込めて書いて頂いたので,こちらも相応の気持ちを込めて書かせて頂きます。
いまデライトをよくご利用頂いているユーザーの方々も,皆さん例外なく,最初はもとあじさん同様「半信半疑」で,初期の投稿もどちらかというと苦言に近いものでした。様々な問題点について率直に指摘して頂いたことで改善出来たことも多々あります。今回ご意見を頂いたことも色々反省しながら考えをまとめる良い機会になっています。
何より,デライトは,普及どころか開発に成功するかどうかも分からない,という無謀なプロジェクトとして始まり18年以上になります。開発者を殺しでもしない限り芯は折れようがないので,ご意見・ご批判に遠慮の必要は全くありません。無から始まった物が人様に少しでも気にして頂けるようになったわけですから,全てありがたく受け止めています。
デライトの使い道についてですが,これは最近私自身よく考えているところです。
デライトは,もともと「具体的・限定的に,とりあえずこういう風に使う」ことを提示するために開発が始まったサービスです。
デライトが採用している CMS をデルン(deln)といいます。これはデライトよりもっと汎用的といいますか,「工夫次第で何にでも使える情報管理ツール」でした。さあこれを売り込もうと考えた時,あまりにも漠然としていて掴み所がないという問題に直面しました。そこで,まずは気軽に使えるメモサービスにしてみようと始まったのがライト版デルン,つまりデライト(Delite)の開発でした。
ただ,メモサービスにしただけではまだ利用イメージがわかないという方も多いだろうと思いました。かといって,枚挙に暇がない利用例を列挙してもかえって本質がぼやけてノイズになってしまいます。概要と実例を見てピンと来ない人が,だらだら長ったらしい利用例のリストを見る気になるかというと疑問です。もし具体的な利用例を提示するのであれば,訴求力の高いものを厳選する必要があります。それも,理想を言えば一つです。
そこで目を付けたのが SNS(厳密にはマイクロブログ)と個人知識管理サービスを結合した KNS というアイデアでした。「とりあえず使い始めてもらう」ことを考えるのであれば,マイクロブログ以上の入り口はないでしょう。Twitter を中心に宣伝しているのもここに理由があります。
ここまでしてもまだ使い道が分からない,という方が多くいらっしゃるのも事実です。文書や実装に改善の余地も多々あると思いますが,根本的なことを言ってしまうと,新しい技術について言葉で説明するのは本来難しいことでもあります。百聞は一見に如かず,概要を読んで分からなければ実際に使っている所を見てもらう,それでも分からなければ,その人にとってまだ機が熟していない,ということなのかもしれません。
個人的な経験から言えば,私は最初期の Twitter の使い道がよく分かりませんでした。最近,Google でゴミのようなページがよく引っかかるな,というくらいの感想でした。少しずつ話題や様々な使い方を目にすることが増え,ある時突然,今やりたいことにあれが使えるんじゃないか?と気付いた瞬間がありました。当時そういう人は多かったと思いますし,新しい技術に人が触れ始める時というのは得てしてそんなものではないでしょうか。
ある程度は時間が解決する問題なのであれば,今のデライトは非常に良い状況にあると思います。これが,ご指摘の中にもある「黄金循環」です。
実は,最近のデライトには右肩上がりにトラフィックが集まっています。アクティブユーザーの描出量や検索流入が増えていることに加え,もとあじさんのように様子見で読むだけの方も増えているのだろうと思います。
ご覧の通り,デライトは Twitter のようなマイクロブログよりも微細な情報を扱うことが出来ます。Twitter なら書き手にとっても読み手にとってもノイズにしかならない本当の思いつきを問題なく垂れ流せるように設計されているからです。それでいて,知番という識別子によるリンクは,ウィキのキーワードリンクよりも強力でまず切れません。更に,アウトライナー的に既存の情報がまとめられていきます。全てリアルタイムの公開状態で,大小無数のページが意味的な結び付きとまとまりをもって増殖し続ける仕組みです。
デライト上で完成しつつある情報蓄積・発信・集客・(広告)収益・開発の理想的な好循環,これを「黄金循環」と呼んでいます。これがこのまま加速し続ければ,知的活動に直接根差した知識産業の大金脈です。手前味噌ながら,昨今の SNS の世界的影響力も踏まえれば,その社会的・文化的可能性は計り知れません。
加えて,デライトは極めて効率的な開発・運営体制の構築に成功しており,全く収益が無い状態でも開発者が生きている限り,あと50年くらいは潰れようがありません。
要するに,デライトが多くの人の目に触れるようになるのは時間の問題だろう,と私は考えています。そして,人々の中でデライトについて意識する時間が増えることは,デライトの使い道について気付く機会が増えることでもあるのだろうと思います。
こうしたことは,ご指摘の思想臭さや難解さを隠さなくなった理由でもあります。目先の集客にとらわれず,長い目で見て,しっかりとデライトを理解して頂くための活動に注力出来るようになったわけです。
だいぶ長くなってしまったので,これについては新しい輪郭(以下)で書きます。
最後に,ご指摘の「思想臭さ」や「難解さ」についてですが,これも造語と同じで,今となっては必要悪に近いなという感覚です。
昨年半ばに知って頂いたということでお気付きか分かりませんが,デライトは当初,出来るだけ無難な宣伝を心がけていました。ちょっと風変りな気軽に使えるメモサービスに必死に見せかけようとしていたのです。結果として表面的な反応は悪くなかったのですが,ユーザーの定着には全くつながりませんでした。
こういう経験から,少しずつデライトは難解さも含めてありのままを重視する戦略にシフトしていきます。見せかけの分かりやすさで気を引くより,時間がかかっても理解あるユーザーを増やしていくことの方が長い目でみれば得策だろうという考えです。
そもそも,思想臭や政治臭を感じさせないサービスって,波風を立てていないから気付かないだけで,よ〜く考えると気持ち悪いものだなと思います。世界や社会について何も考えていないか,都合が悪くて隠しているということですから,突き詰めれば信頼性・透明性に関わる問題に他なりません。
GAFA 等が社会的責任を厳しく問われる立場になってはじめてそれが露呈したと思います。便利な技術を作ったらそれがどんどん社会的影響力を持ってしまったけど,その後は知らん,で済まされる時代はもうすぐ終わるでしょう。思想や政治観の無いサービスはもう古い,という時代はすぐそこだと思っています。
デライトは,この技術でどのように世界を変えるのか,政治はどう変わらなければならないのか,考え抜いたことを全て開けっ広げにします。それこそ透明性であり,それで離れていく人がいるとすれば,その人に対する誠実さでもあると思います。あとはその思想がどこまで普遍性を持てるかの勝負になるでしょう。
何より,思想臭さは人間らしさです。もし私が目先の利益を貪るだけの動物なら,万に一つも成功の可能性はないと思っていたデライト開発に18年もかけなかったでしょうし,何があろうとこれからの人生の全てを捧げようとも思わないでしょう。これは思想を持てる人間だけが出来ることです。
そう考えると,デライト最大の強みは,どこよりも強い思想に支えられていることかもしれません。