{デライト論}{デライト}{👍}(3)

{デライトについてのメモ K#56C6/2FC5}

西村透

足りないものがあったら教えていただきたいです。

2023-06-23 19:362023-06-23 19:12
(11){希哲紀元}{KNS}{全てのデライターへ}{知番は知の IP アドレス}{デライター}{デライトの歩み}{希哲館}{希哲館事業}{デライトの使い方の考え方}{デライトはなぜ“抽象的”なのか}
(11)
{文化的中立性}{〈Kitetu Era〉}{無期限年号}{癖がつよすぎる}{希哲8年}{きてつきげん}{もしデライトで知名一意原則があったら……}{デライトについてのメモ}{希哲館}{希哲館事業}(31)

{希哲紀元 K#F85E/8CEE}

宇田川浩行
  1. 紀年法
  2. 紀元
  1. 希哲館事業

(きてつきげん,英:Kitetu Era,英略:KE)

希哲館創立の年である2007年(平成19年)を元年とする紀元で,希哲館事業における標準的な紀年法。希紀。


希哲紀元前
前90年代  前80年代  前70年代 
前60年代  前50年代  前40年代 
前30年代  前20年代  前10年代 
希哲紀元後
 0年代
10年代  20年代  30年代 
40年代  50年代  60年代 
70年代  80年代  90年代 

計算

希哲館創立年である西暦2007年を元年(1年)とし,計算の便宜のためその前年2006年を「零年」(0年)とする。それ以前は「希哲前」(-1年,-2年……)として数える。希哲元年は文化上の基点,希哲零年は計算上の基点といえる。

2007年を1年とするため,西暦紀元後から希哲紀元への換算は2006年(希哲零年まで)を引く,希哲紀元から西暦への換算は2006年を足すだけで済む。ただし,天文学のように西暦1年の前を西暦0年,西暦-1年と数えるため,西暦紀元前から希哲紀元への換算は2005年を足す必要がある。

$$ 西暦紀元後の年-2006=希哲紀元の年\\ 西暦紀元前の年+2005=希哲紀元前の年 $$

利点

希哲館事業にとっては,使命と文化的独立性を同時に表現できるということが最大の利点となる。元号やキリスト紀元などの計算上の煩雑性を排し,既存の特定民族や宗教の価値観に依らない時間表現が可能になる。

利用

希哲8年から宇田川が私的に用い始め,やがて希哲館事業における標準的な紀年法となった。

希哲館では,紀元以外ではグレゴリオ暦を踏襲している。原則として年には「希哲」あるいは「希哲前」を付け,西暦は年のみ,あるいは「前」のみで書き分ける。西暦にいちいち「西暦」などと付けていると単に冗長になるが,希哲紀元ではあえて「希哲」と書くことに表現としての意義があるため。

希哲館創立が11月1日であるため,例えば希哲10年は11月1日に希哲館創立9周年を迎え,希哲館事業が10年目に入る年ということになる。

2025-03-18 17:152014-09-10 19:43
(117){希哲紀元関連整輪}{希哲紀元関連}{希哲紀元前}{希哲紀元後}{希哲19年2月28日4歩}{希哲10年代}{希哲17年}{希哲16年}{希哲15年}{希哲14年}
{描出公開原則}{簡易知能増幅技術}{輝きで勝てる媒体}{情報引力}{入力量不足}{SNS からの卒業}{SNS からの解放}{Evernote 危機}{デライトについてのメモ}{PKMS}(39)

{KNS K#F85E/4686-0A03}

宇田川浩行

(ケイエヌエス,knowledge networking service)

知的交流の促進を主な目的とした SNS 風のインターネット サービス。概念としては宇田川がデルン開発の過程で提唱し,デライトでも活用するようになった。

PKMS の課題である入力量不足と SNS の課題である知的生産性の低さを同時に解決したサービスであり,大衆知性主義,希哲民主主義の基礎として最重要視している。

人の限られた時間の中では PKMS に十分な情報を蓄えることはできない。日常的に人の意識が入力されている SNS にはその社会的影響力の大きさにもかかわらず知的発展を促す仕組みがない。両者がその課題を乗り越えるためには,必然的に統合されなければならない。そこを圧倒的に早く先取りしたのがデライトである。ほぼ同時に進行している Evernote 危機と Twitter 危機も追い風になっている。


希哲11年8月27日,関連概念との使い分けが面倒になり使わなくなっていた Thoughtal Networking Service(THNX)の概念を復活。

希哲12年1月26日,「KNS」から「KNWS」へ改称。アクロニムとしては「ヌース」,英乱語風に「ノウズ」〈knows〉とも読め,より「知」を連想させる字面になった。

希哲13年2月21日,より一般向けを意識したデライトに合わせて「KNS」に再改称した。字面的にも発音的にも SNS との関連性が分かりやすい。また,この一年で「KN」を利用した関連用語が充実してきたため,これだけで十分定問(テーマ)を表現出来ると判断した。

2024-11-29 18:082017-08-27 00:55
(163){KNS の欠点}{KNS の利点}{知のフォロワー}{希哲18年7月19日の日記}{『続・デライトは早過ぎた』}{KNEST}{希哲館事業は長期安定体制へ}{X(旧 Twitter)はなぜライトモードを捨てたかったのか}{デライトは早過ぎた}{Evernote 危機}
{希哲館訳語}{デライト}{技術}{デライト開発}{私}{近い}{高い}{成功}{世界}{開発}(424)

{全てのデライターへ K#F85E/E74C-CA32}

宇田川浩行
  1. 一日一文
  2. 希哲16年(2022年)
  3. 7月

デライトも公開から2年半ほど経ち,色々な人が興味を持ってくれたり,使ってみてくれたりした。遠くから眺めているだけの人,登録してみただけの人,たまに使う人,いつも使っている人……風変わりなデライトでも,出会った人の多様性は他のサービスとさして変わらない。

感謝

私は,そんな全ての“デライター”とデライターの卵達に深く感謝している。付き合いの長さも深さも関係ない。デライトに否定的な人ですら,知ってくれただけでありがたいと思う。

これがよくある社交辞令ではないということは,前回の一日一文,「デライトの歩み」を読めば分かるだろう。そもそも全く無謀な挑戦として始まったのがデライトだ。成功どころか,誰にも認められず終わるかもしれない。それならまだいい。弾圧や暗殺で命を失うかもしれない。10代の内にそこまで想像して葛藤を乗り越え,20年かけてここまで来た。

たとえるなら,デライトの歩みとは,真っ暗な巨大洞窟を一人で彷徨うようなものだった。どこかに新しい世界につながる出口がある。生きている内に辿り着けるかどうかは分からない。そんな洞窟を歩き続けていた時に見えた光,聞こえた人の声。それが私にとってのデライト利用者であり,デライトへの声だ。

そして今,デライトは「完全な成功」一歩手前と言えるところまで来ている。すでに夢のようなことだ。感謝せずにいられるだろうか。

代表的デライター

デライトが利用者達とどういう関係を築いてきたか,その具体例として,B̅ さん,t_w さん,cat さんを紹介したい。

デライトを公開した2020年から毎日のように使い続け,様々な形で貢献してくれた3名だ。開発上の都合で宣伝活動を抑制せざるをえなかった1年あまりの期間,デライトを日常的に使っているのが私とこの3名だけということもあった。

B̅ さん

B̅ さんは,私の次に早くデライトを使い始めた,2人目のデライターだ。

「デライトの歩み」でも触れたように,デライトは2020年2月に「名目リリース」したあと,8月の「実質リリース」まで,ほとんど宣伝せず改良を続ける期間にあった。細かいことを気にしていたら埒が明かない,と公開してみたものの,やはり他人に勧められる出来ではなかった。B̅ さんが現れたのはそんな時期だった。それも,名目リリースの翌月だから,デライトが特にひどかった時期だ。

テスト程度の投稿はちらほらあったが,ある日,明らかに異質な投稿があることに気付いた。「希哲館訳語」に関する内容で,デライトの背景にある希哲館事業についても一定の理解があることが窺えた。しかし,当初は嬉しさよりも戸惑いの方が大きかった。

分かりにくいとよく言われる今のデライトとも比べ物にならないほど,当時は色々な意味でひどかった。

分かりやすいボタンの類はほとんどなく,ダブルクリックで編集欄を開いたり送信したりしていたので,一見して操作方法が分からなかった。デラング(デライト用の軽量マークアップ言語)には最低限の記法しかなかった。遅くて不安定だった上に,エラーやページ移動で入力途中の内容があっさり消えた。いわゆるページャーというものもなく,検索結果の輪郭も引き入れ関係にある輪郭も,最新10輪までしか表示出来なかった。アイコンどころか名前すら設定出来なかったので,自分と他人の区別は内容と知番の利用者番号でしていた。呼び方も当時の利用者番号で「K#9-D657 さん」だった。

設計意図を理解している者が辛うじて使える程度の出来だ。折角興味を持ってくれた人が悩みながら使っているのは見るに忍びなかった。それでも B̅ さんは,開発者が不思議に思うほど,粘り強く使い続け,理解しようとしてくれた。積極的な不具合報告や提案で,開発にも多大な協力をしてくれた。

納豆やウニみたいなものを最初に食べた人は凄いとよく言うが,B̅ さんに抱いている私の印象はそれに近い。普段の投稿でも,分野を問わず耳新しい情報をたくさん集めてきてくれる。知的好奇心の権化のような存在だ。

t_w さん

t_w さんは,B̅ さんが使い始めた何ヶ月か後に現れた。それでも実質リリースの前だから,出来のひどさは大して変わらない。

B̅ さん同様,開発にも様々な形で貢献してくれたが,驚いたのはその行動力だ。色々なことを考え付いてはすぐに実行する。デライトを利用した外部サービスやブラウザ拡張を初めて作ってくれたのも,外部サイトで紹介記事を初めて書いてくれたのも t_w さんだった。ついこの前そんなことをやりたいと言っていたな,と思ったらもうやっている。これはなかなか出来ることではない。

デライターとして外向きの活動は私以上に,誰よりもしているし,デライト内でも私に次いで投稿量が多い。その実験精神と行動力でデライトの使い方を大きく拡張してくれた。

cat さん

実質リリース後,二度目の宣伝攻勢をかけていた2020年12月に cat さんが現れた。

cat さんも先の2名に負けず劣らず活発にデライトを利用し,開発に貢献してくれている人だが,遊びのような内容の投稿が比較的目立つ。最初は,冷やかしか荒らしかと思ったくらいだ。

それが,だんだんこの人の機械的ではない賢さ,「気が付く力」とでもいうべきものに敬意を抱くようになった。状況や場の空気をよく読んでいるな,と思うことが多いし,不具合報告にせよ提案にせよ,普通は気付かないようなことを的確に指摘してくれることも多い。堅く難解に見えがちなデライトの雰囲気を和らげてくれていたのだと,見ている内に気付いた。いわゆる「EQ」という概念にはあまりピンと来ていなかったが,こういう人のためにあるのかもしれない。

杞憂

こういうサービスを公開して運営するのは私にとって初めての経験だった。サービスとして風変わり過ぎることもあり,最初は利用者に対して色々な不安があった。

例えば,偏屈な人ばかり集まって近寄り難い場所になるんじゃないかとか,反対に,広く浅く集め過ぎてつまらない場所になるんじゃないかとか,問題を起こす利用者が多くなったらどうするとか,色々なことを考えた。ありがたいことに,全て杞憂だった。

デライター達はそれぞれに良い意味で変わった部分を持っている人が多いが,今のところ,悪い意味で非常識な人はおらず,朗らかで良識ある人ばかりだ。問題という問題も起きていない。それでいてみんな,どこの誰が作ったのかも分からないこんなものを使おうとするくらい,旺盛な知的好奇心と柔軟性がある。リテラシーも高い。知識や技術は後から付いてくればいいものだが,すでに高度なものを持っている人も多い。

この開発者には出来過ぎた利用者達だ。こんな人達が中心にいてくれるなら,デライトの未来は明るいと思える。

デライトに“偉い人”はいない

こんな文章を書いているのは,デライター達に感謝の気持ちを伝えたかったのと同時に,間違った遠慮をなくしたかったからだ。デライターはまだ少ないので,どうしても開発者や古参に遠慮してしまう人が多いだろう。もちろん,それはデライトにとって望ましいことではない。

デライトが真に知的探究の場として機能し続け,発展し続けるために必要なこととして,平等であることと開放的であることを私は最重要視している。

黒いものでも白と言わなければならない誰かがいるとしたら,そこは知的に自由な場とは言えない。誰でも自由に参加して,誰にも気兼ねなく活動出来る場であり続けなければならないと強く思っている。

だから,デライトに“偉い人”は一人もいない。古参も開発者も,王も神も,デライトでは一人のデライターに過ぎない。そしてデライトの上にはいかなる権威もない。私は,そういう場を世界に広げるために,あらゆる困難と闘う覚悟をしてここまで来ている。

このデライトをこれから盛り上げていくのは,他でもない,全ての等しく尊いデライター達なのだ。


デライトの歩み
デライトは早過ぎた
2023-05-08 21:192022-07-27 12:52
(4){あれ}{序}{最初からデライトを理解できた人は開発者以外におそらくまだ一人も出ていない}{“tape” を「帯布(タイフ)」と訳す}
{デライト}{デライトのID体系と発行・管理}{知番}{デライトの成功}{デライトについてのメモ}{知番の構想おもしろ}{知番の標準化}{希哲館}{20年前}{およそ}(15)

{知番は知の IP アドレス K#F85E/E74C-7BE5}

宇田川浩行

UUID のように,確率論的に一意性を保証する識別子は必然的に長大な文字列となり取り回しに難があるので,IP アドレスのように「事実上」集中管理されることを前提とした識別子が知番です。

ICANN のような役割を兼ねる,知的活動それ自体を促進する独立機関の必要性から,およそ20年前に構想されたのが希哲館です。知番の標準化も任務の一つですが,単純に時間が足りません。というか,知番の応用例であるデライトを成功させることを最優先にせざるをえません。

デライトの成功が全ての鍵です。

2023-04-02 21:282023-04-02 21:13
{デライト}{知のフォロワー}{デライトについてのメモ}{新デライト市場戦略}{デライト用者}{デリノグラファー}{大ネット志向}{描出家}(8)

{デライター K#F85E/4686-0217}

宇田川浩行
  1. デライト

デライト用者(ユーザー)

参考描出

  • 全てのデライターへ
2022-08-03 09:382019-01-20 20:18
(28){デライター化}{エイプリルフール?}{B̅}{全てのデライターへ}{デライトの歩み}{代表的デライター}{デライターの卵}{デランガー}{希哲15年11月22日の日記}{デライターの未来}
{長年}{〈Delite〉}{dlt.kitetu.com}{デライト}{技術}{デライト開発}{近い}{機会}{デライトの歴史}{地動説}(601)

{デライトの歩み K#F85E/E74C-09D2}

宇田川浩行
  1. 一日一文
  2. 希哲16年(2022年)
  3. 7月

デライトは,今年の2月13日に2周年を迎えたばかりの若いサービスだ。しかし,その背景には長い長い歴史がある。詳しく書くと書籍数冊分くらいにはなる話だ。デライトの完全な成功を目前にした良い頃合いなので,駆け足で振り返ってみたい。

輪郭法の閃き

技術としてのデライトは,私が17歳の頃,主に哲学と情報学への関心から「輪郭法」を閃いたことに始まる。2002年,もう20年前のことだ。デライトにおける輪郭法の応用については,「デライトの使い方の考え方」で出来るだけ簡単に解説したつもりだが,本来の輪郭法は,“輪郭という概念を中心にした世界の捉え方”であり,哲学用語でいう「弁証法」に近い位置付けの概念だ。

このアイデアが,哲学上の理論に留まらず,極めて実践的で,極めて強大な技術になりうることに気付くのに時間はかからなかった。これを応用することで,計算機科学における長年の最重要課題を解決し,知能増幅(IA)技術の実用化につなげることが出来る(参考)。すでに IT 産業の勢いが明らかだった当時,これは“世界史上最大の成功”と“知識産業革命”への道が開けたことを意味していた。

さらに,アメリカ同時多発テロ事件が起こって間もない頃だ。後の英米政治危機,世界に広がる社会分断,SNS の暴走,そして目下のウクライナ侵攻を予感させる事件だった。

あらゆる争いの背景には,世界の広さに対する人間の視野の狭さと,それによる“心の分断”がある。当時から私はそう考えていた。我々は,世界の一部分をそれぞれの立場から見ているに過ぎない。立場が違えば見える世界も違う。その衝突を回避出来るとすれば,個々人の世界に対する視野を広げるしかない。輪郭法の応用技術にはその可能性があると感じていた。この考え方が現在の KNS という概念につながっている(参考)。

葛藤

この閃きは止まるところを知らなかった。17歳の少年の人生観も世界観も,何もかもを瞬く間に作り替えてしまった。この閃きをどこまで大きく育てられるか,それだけを考える人生になった。適当に金に換えることも出来たかもしれないが,世界にかつてない平和と豊かさをもたらす鍵を手に入れたようなものだ。中途半端な売り物にすることなど,現実には考えられなかった。能う限り最高の状態で世に出さなくてはならないと思った。

もちろん最初は,とんでもない宝くじに当たったような気分だった。天にも昇る心地とはこのことだろう。どんな人生の喜びも,この喜びには勝るまい。少しばかり時間が経ち,冷静になるにつれ,呪いのような重圧に苦しむようになった。

理論や技術として完成させられるかどうかは時間の問題だと考えていた。本当の問題はその先にあった。地動説にせよ進化論にせよ,世界の見方を大きく変える考えには無理解や反発が付き物だ。常識を越えた考えであればあるほど,その壁は大きくなる。どれだけ努力しても,死ぬ前に認められることはないかもしれない。当時の私は,エヴァリスト・ガロアのように生涯を閉じるのではないかと想像していた。偉大な発見をしながら夭折し,死後何十年も経ってようやく評価された数学者だが,なんとなく親近感を覚えていた。

そして,技術は良い方にも悪い方にも利用されるものだ。これが「世界初の実用的な知能増幅技術」になるとすれば,最初に使うであろう私は「世界初のトランスヒューマン(超人間)」になる。全人類の模範となって,人々を未踏の領域へと導く……自分がそんな重責を担える人間だとは,まるで思えなかった。能力はともかく,昔から自分の人間性を全く信用していなかった。

無論,そんな自信は20年ほど経ったいまでも無い。それでもここまで来たのは,曲がりなりにも出来そうな人間が自分以外にいなかったからだ。何もしないよりは,挑戦して失敗例を残す方が良い。それに,一度ここまでのことを考えた人間が,何食わぬ顔で平凡に生きていけるわけもなかった。

希哲館事業の創始

色々な葛藤を乗り越えて,2007年,22歳で「希哲館事業」を始めた。輪郭法を応用した知能増幅技術の開発・管理・普及活動を中核として,知による産業革命と知による民主主義の確立を目指す事業だ。

「希哲館」というのはこの事業の中心となる機関として構想したもので,その名は「哲学」の元となった「希哲学」という古い翻訳語にちなんだものだ。

「知を愛すること」を意味するフィロソフィーを「希哲学」と昔の人が意訳し,それがいつの間にか「哲学」として定着したわけだが,日本語で哲学というと,思想家や学者など一部の人のもの,という語感がある。実際,誰もが賢哲にはなれないだろう。しかし,誰でも「希哲」(知を希求する人)にはなれる。これからの時代に最も重要で,万人が共有出来る価値観を表現する言葉として,これ以上のものは見つからなかった。


情報技術を中心に知識産業が絶大な力を持ち,その反動からいわゆる反知性主義が世界中で社会分断を招いている今,この観点への確信は当時以上に深くなっている。

見ての通り,希哲館事業の一環であるデライトは当初から意図的に dlt.kitetu.com というドメイン名で運営している。それも背景を踏まえればごく自然なことだが,利用者には分かりにくいことだった。今後,こうして説明する機会も増やしていきたい。

デルンの実用化と模索

事業開始後間もなく,運が良いことに裁量の大きいシステム開発の仕事を得られたりして,それを足掛かりに技術的な蓄積を進めていった。

そして,2012年,26歳で輪郭法応用技術「デルン」の実用化に成功した。輪郭法は英語で〈delinography(デリノグラフィー)〉としていたので,それを縮めて〈deln〉とした。ウィキともブログとも異なる全く新しい CMS であり,おかしな語感もこれらにならった(参考:「デルン」の由来)。

しかし,世に出すことをすぐには考えられなかった。なんとか使えるようになっただけで,製品としては難が多過ぎたし,市場戦略や知財戦略も全く固まっていなかった。構想の大きさが大きさだ。万が一にも失敗は許されない。可能な限り技術としての完成度を高め,万全を期して世に出す必要があると考えていた。

それまでは,デルンそのものを製品化するのではなく,背後でデルンを利用したサービスで資金稼ぎするつもりだった。結局そう上手くは行かないまま,デルンと周辺技術の開発,応用法の研究,希哲館事業構想の体系化といったことに時間を費す生活が続く。

デルンを世に出す準備を始めたのは,実用化からさらに5年ほど経った2017年のことだった。私は32歳になっていた。

諸々の調査・研究・開発が一段落したところに,ブレグジットやトランプ当選などを巡り社会分断が世界中で顕在化した頃だった。特に着目したのは,その背景に SNS があったことだ。デルンによって SNS を知的交流の基盤に拡張する──長年温めていた KNS(knowledge networking service)構想を活かすならここしかないと思った。

それから1年ほどかけ,デルンの製品化に向けての検討を重ねた。2018年,最終的に,誰でも簡単に使えるメモサービスとして公開することに決めた。これが,ライト版デルン(Deln Lite),「デライト」(Delite)の始まりだった。

デライトの公開

あとはひたすらサービス公開に向けた作業に没頭し,2020年2月13日24時15分,ついにデライトという形でデルンが,ひいては輪郭法が世に出ることになった。

ただ,後に「名目リリース」と呼んだように,積極的に人に見せられる出来ではなかった。公開はしていたものの宣伝はほとんどせず,改良を続けてなんとか最低限の品質になったと判断出来たのは同年8月13日のことだった。これを「実質リリース」と呼んでいる。私は35歳だ。

不完全な形での公開に踏み切ったのは,ソフトウェア開発において「完璧主義」が仇となりやすいからだ。不完全でも早く世に出して修正を繰り返した方が良い。そしてこれは正しかった。ソフトウェア開発では常識に近いことで,私も頭では分かっていたが,実は半信半疑だった。

実際,デライトに多大な貢献をしてくれている常連利用者の2名は,名目リリースから実質リリースの間に使い始めている。内心,誰も使わないだろうな,と思いながら一応公開していたわけだが,予測は良い意味で裏切られた。

そして今

デライトの公開からは,本当に,本当に,色々なことがあった。あまりに色々なことがあり過ぎて,時間の感覚もおかしくなっている。わずか2年前が大昔のようだ。とてもではないが,ここには書き切れないし,今はこれ以上書く気にもなれない。そもそも読み切れないだろう。

ただ,確かなことは,奇跡のように素晴らしい時間だった,ということだ。理解ある利用者達とともに,夢と希望に満たされて,デライト開発は快調に進んできた。“デライター”達への感謝はまた別の機会にしっかり綴るつもりだが,本当に皆のおかげだ。

近頃,私は「デライトの完全な成功」という表現をよく使っている。「デライトの成功」と目標を表現することに違和感を覚えるようになったからだ。成功していないと言うには,あまりに上手く行き過ぎているのだ。

今のデライトは,利用者が十分に集まっておらず,それゆえに十分な利益も上がっていない。ただ,それを除けば,ソフトウェア開発プロジェクトとしてほとんど理想的な状態にあると言っていい。ことインターネット サービスというのは,どれだけ人気があっても売上があっても,それぞれに様々な問題を抱えているものだ。デライトには,集客面以外で問題という問題がない。

本格的に集客出来るようになれば,鬼に金棒,完全無欠,つまり「完全な成功」というわけだ。その最後の課題である集客面でも,最近は改善の兆しがある。デライトは,“世界史上最大の成功”に王手をかけている。

生きている内に日の目を見ることはないかもしれない,などと考えていた出発点を思えば,やはり奇跡としか言いようがない。

何より,私はまだ37歳だ。それも,この技術に20年の時間を費した経験を持つ37歳だ。事故や病気でもない限り,あと50年は持ち堪えられるだろう。駄目で元々。命ある限り,私が諦めることはない。

終わりに

デライトは4月29日から四度目の宣伝攻勢に入っている。この「一日一文」もその一環だ。

本来,一日一文は,その名の通り毎日一編の文章を書こうという日課なのだが,たまに何気なく重い題材を選んでしまい,筆が進まなくなることがある。今回も,5月半ばに何気なく書き始め,書き上げるのに2ヶ月以上かかってしまった。

20年の歴史をちょっとした文章にまとめるのには,流石に精神力が必要だった。無数の想い出を行間に押し込んで,無理矢理まとめた。

デライト開発が正念場を迎えているので,今後も頻度には波があるだろう。気長に待っていてほしい。


新生デライトとは何か
全てのデライターへ
2022-08-01 01:172022-05-13 15:23
(6){『私の成功観』}{全てのデライターへ}{希哲16年7月25日の日記}{希哲16年6月1日の日記}{希哲16年5月19日の日記}{希哲16年5月13日9歩}
{新しい大黒柱}{新しい柱}{世界統合の象徴}{館}{デライトについてのメモ}{希哲館}{希哲館事業}{希哲館構想}{閃き}{希哲館}(45)

{希哲館 K#F85E/6013}

宇田川浩行
  1. 希哲館事業

希哲元年(2007年)に宇田川浩行が創立した事業体。相通化技術(知機,総路)の開発により知識産業革命を実現し,資本主義と現代民主主義を超克した,相通主義と希哲民主主義による新国際秩序の樹立(新近代化)を目指す「希哲館事業」の中核機関として構想された。

参考描出

  • 「希哲館」の由来
  • 続・「希哲館」の由来
2022-05-17 16:492012-06-18 23:38
(397){希哲館運営}{希哲館関連}{希哲館の活動}{希哲館の対外活動}{希哲館訳語}{希哲紀元}{希哲館創立}{希哲館手の平本館}{希哲館像}{希哲都市}
{川富とプラトー情報研究所}{史上最高の舞台}{デライトについてのメモ}{21世紀}{希哲館}{最高中の最高の仕事}{一選万集}{希哲館望事}{小泉旋風}{精神の癌}(26)

{希哲館事業 K#F85E/7C98}

宇田川浩行
  1. 新近代化

希哲館を中核機関とした新近代化事業。希哲元年(2007年),宇田川浩行が創始した。

日本初の工業化推進事業であった幕末の集成館事業に似ている。

  • 希哲紀元
  • 希哲館建築
  • 希哲館訳語
  • 相通化技術
    • 知機
      • 虎哲
        • デライト
    • 総路(新交通機関)
      • 竜力
2022-05-14 15:262014-06-24 00:36
(600){希哲館事業の窓口}{長期安定体制}{安定成長体制}{希哲館訳語}{希哲館事業の冠称}{希哲紀元}{希哲館事業三大要素}{希哲19年1月23日の日記}{希哲館事業の理想}{執務長露出戦略}
{個人知識管理}{Obsidian}{デライトの使い方}{デライト}{技術}{デライト開発}{世界}{検索}{Roam Research}{メモサービス}(432)

{デライトの使い方の考え方 K#F85E/E74C-20C0}

宇田川浩行
  1. 一日一文
  2. 希哲16年(2022年)
  3. 5月

デライトには「使い方」というページがあるのだが,これは最初の頃からまともに更新出来ていない。デライト開発もありがたいことに快調で,いちいち更新していられないほど変化が激しかった。このあたりも近日中に刷新するので,もうしばらくお待ち頂きたい。

もっとも,多くのデライト初心者が躓いているのは,細かい操作方法というより,どういう考え方で使っていくものなのか,という所なのではないかと思う。デライトで躓きやすい「使い方の考え方」について,このあたりで少し補足しておきたい。

デライトは風変わりで慣れが必要なものではあるが,特に難解なものではない。開発者の力不足による不親切さは多々あるものの,あくまで誰でも使えるものを目指している。まずは,ちょっとしたゲームのルールを覚えるつもりで読んでもらいたい。

なぜ「輪郭」なのか

デライトは,個人の知識をよりよく育て,生活の様々な場面で役立ててもらうためのサービスだ。それを突き詰めた結果として,互いに入れ子に出来る「輪郭」という単位で情報を扱う仕組みを持っている。

ここでいう「輪郭」というのも,まずはごく普通の言語感覚で理解してもらえればいい。ある物事の全体を取り囲むもの,という意味だ。もっと具体的にイメージしたければ,手で輪っかを作り,目に見える風景の一部分を切り取って見てほしい。写真の構図を考える時などに似たことをよくやるが,その時に手で作っている輪っかは,世界のある部分の輪郭だ。

その輪郭を,自由に“保存”出来たらどうだろうか。輪郭の中にまた輪郭を作ることも出来る。一つの輪郭は,他の無数の輪郭を含むものであると同時に,他の無数の輪郭に含まれるものになる。そのようにして,“世界を捉える”ことは出来ないだろうか。さらに,この考え方をコンピューティングに応用することで,従来の情報管理が抱えていた問題を解決出来るのではないか。ここからデライトの輪郭という仕組みが生まれた。

例えば,ファイルをフォルダ(ディレクトリ)という入れ物で分類管理する仕組みは広く使われているものの,人間が頭の中で扱っているようには情報を扱えない。一つの物事をどこに分類するかは,見方によっていかようにも変わりうるからだ。これは,一つの情報を一つの入れ物に所属させるような「階層構造」一般の問題(こうもり問題)としてよく知られている。

他方,こうした問題を解決するため,より柔軟な「ネットワーク構造」(グラフ構造とも)を利用した仕組みも広く使われている。Wikipedia などで利用されているウィキはその代表例だ。ウィキは,ウェブのハイパーリンクという仕組みを最大限に活かし,縦横無尽にリンクを張り巡らしながら情報を整理出来るように設計されている。しかし,こうした技術も万能ではない。柔軟な分,散漫・乱雑になりがちで,焦点を絞って情報をまとめることには向いていない。

輪郭による「輪郭構造」なら,両方の利点を上手く共存させることが出来る。輪郭はいわば「宙に浮いている輪っか」なので,階層構造を持つフォルダのような入れ物とみなすことも出来るし,輪郭同士の関係はネットワーク構造のように柔軟だ。以前適当に作った雑なものだが,下図を見ればなんとなくは分かるかもしれない。

まとめながらつなげる

一般に,階層構造は少量の情報を明確にまとめることに向き,ネットワーク構造は多量の情報を緩やかにつなげることに向く。

ウィキなどで作られる情報のネットワーク構造は,しばしば,脳の神経細胞群が作る構造に似ていると言われる。情報同士のネットワーク状の結び付き,という大きな括りではその通りだ。しかし,脳はただ漫然とネットワークを広げているわけではない。脳科学・神経科学でも,神経細胞の結び付きには強度差があると考えられている。つまり,脳は優先順位を整理しながら情報をつなげている。「輪郭」を使ってデライトが再現しようとしているのは,この「まとめながらつなげる」脳の機能だ。

進化の観点から考えれば,動物の脳は,環境に合わせて情報を蓄積し,状況に合わせて有用な情報を素早く引き出せるように出来ていなければならない。もちろん生存のためにだ。どれだけたくさん情報を蓄えられても,必要な時に上手く引き出せなければ意味が無いわけだ。大昔から限界が知られている階層構造が,それでも必要とされ続けているのは,情報に優先順位を付けて整理していく,という脳の機能がとらえやすい構造だからだ。

個人知識管理(PKM)の分野でも,ネットワーク構造を活かしたウィキと並んで,階層構造で情報を整理していくアウトライナー(アウトライン プロセッサー)と呼ばれるものがよく使われている。非常に興味深いことに,この二つを抱き合わせたツールが近年のトレンドの一つだ(Roam Research,Obsidian など)。

脳の進化を追うようにツールも進化しているが,デライトが革新的なのは,既存の仕組みを抱き合わせるのではなく,全く新しい一つの仕組みで脳の機能を十分に再現しているからだ。慣れた利用者にとっては,その単純性がこれまでにない直感性につながる。同時に,初心者には分かりにくさの原因となってしまっている。

デライトには「脳のログ」が流れている

デライトは,“人間が触りやすいように”脳の機能を再現することに,どのツールよりも徹底したこだわりを持っている。人の脳は,長い長い進化の過程で無数のテストを通過してきた,情報処理ツールのお手本だ。その脳を使って活動している人間にとって,最も直感的に扱えるのは最も脳に似ているツールだ。そして,保存・検索・共有といった部分での脳の弱点を機械が補えば,これまで不可能だったような高度な知的活動が可能になる。

デライト上に流れている無数の輪郭が,いわば「脳のログ」であることを理解すると,初心者を面食らわせてしまっている部分の多くも理解しやすくなるのではないかと思う。

公開されることもあって,どのような内容をどのくらいの頻度で“描き出し”していいものなのか分からない,というのはデライト初心者が抱きやすい感想だろう。この点においてデライトは,活発なチャットやマイクロブログ(Twitter など)の速さで投稿(輪郭)が流れていくイメージで設計されている。それも,「廃人」達の独り言で埋め尽くされているチャットのような状態を想定している。脳のログならそうなるはずだからだ。

デライト上には,一見意味不明な輪郭も数多くある。脳のログだと考えれば,これもむしろ自然なことだと言える。デライトは,“綺麗に整えたメモ帳”を見せるためのサービスではない。頭の中にある情報を,ありのままに可視化することに意味がある。他人の輪郭を見るということは,他人の頭の中を覗いているようなもので,めまいを覚えるなら正常なのだ。

それでも,ちょっと気になった他人の輪郭から良い刺激が得られることは珍しくない。自分の輪郭を他人の輪郭を絡ませることも出来るので,デライトでは面白い知的交流が日々生まれている。疑似的に再現された脳同士が対話しているわけで,これは疑似的なテレパシーと言えるかもしれない。

新しい順に輪郭が並んでいるのも,もちろん脳のログだからだ。先日の一日一文でも書いたように,デライトは,Twitter のようなマイクロブログにも似ている。そして,マイクロブログはしばしばメモツールとして利用されている。これは,時間軸に沿って記憶を辿るような脳の機能に似ているからだ。

デライトでは,マイクロブログ感覚で思いつくままに輪郭を作り,時にはウィキのように,時にはアウトライナーやマインドマップのように,“まとめながらつなげていく”ことで「脳のログ」を可能にしている。

例えば,釈迦,孔子,ソクラテス,キリスト……あるいはカントでもアインシュタインでも誰でもいいが,後世の人間は文献からあれこれ推測するしかない「偉人」達の記憶が,このような形で残されていたら,と想像してみてほしい。百年後,千年後の人々にとって,「輪郭」は古人について知る何よりの手がかりとなるだろう。あなたにとって偉人以上に大切な人生の記憶をこれほど強く世界に刻み込める道具は他にないのだ。

そして知能増幅へ

工学的に人間の知能を向上させようという研究分野は,古くから「知能増幅」(IA: intelligence amplification)と呼ばれている。今や世界的な流行語である「人工知能」(AI)に比べて,語られることは非常に少ない。脳にチップを埋め込む,遺伝子を書き換えるなど,どの技術にも大きな技術的・倫理的課題があり,実用段階になかったからだ。

デライトは,それを誰でも使えるメモサービスという形で実現している「知能増幅メモサービス」であり,「世界初の実用的な知能増幅技術」だ。今後の一日一文では,この技術の歴史的重要性についても書いていきたい。


SNS の限界と言論の自由
デライトに“参加しにくさ”を感じている人へ
2022-05-06 21:322022-04-30 13:12
(13){「デライトの使い方の考え方」を読んだメモ}{デライトの歩み}{新生デライトとは何か}{あれ}{“知能増幅メモサービス”はなぜいま最も重要なのか}{あれ}{あれ}{あれ}{あれ}{「デライトの使い方の考え方」という輪郭で,「『いかにして問題を解くか』をいかにして読むか」という話を思いだした}
{デライト}{技術}{具体的}{抽象的}{世界}{開発}{曖昧}{一日一文}{悪い意味}{デライトについてのメモ}(93)

{デライトはなぜ“抽象的”なのか K#F85E/E74C-AECA}

宇田川浩行

デライトに触れた多くの人が,デライトは“抽象的”だと言う。それもそのはず,我々が認知しうる物事の関連性を徹底的に抽象化することにより,あらゆる物事の関連性を一つの原理で捉えられるようにしたのがデライトの基礎にある「輪郭法」なのだから。

日常的な会話の中で「抽象的」と言うと,捉え所が無いとか曖昧といった悪い意味に受け止められることが多い。しかし,抽象化という能力は,数学はもちろん,情報工学の世界でも無くてはならないものだ。

工学における抽象性は,「汎用性」に近い意味を持っている。個別のものに共通する性質を取り出し,それらを一つの仕組みで捉えられるようにする。これが上手く出来ないと,論組(プログラミング)すら難しい。

……などと御託を並べても,実際問題,デライトを多くの人に使ってもらうには,この抽象性が大きな壁であることに変わりはない。抽象的に物事を捉える能力には個人差が大きく,それも得意だという人の方が珍しい。当然ながら,これは市場戦略上の課題になる。

これを上手く解決する方法があるのか,実は開発者の中でも答えは出ていない。探せばあるのかもしれないし,結局無いのかもしれない。無いとしても,この抽象性がデライトにとって必要なものなら,無理にでも壁を乗り越えるしかない。


デライトは,これまで勘報機(コンピューター)でも多く利用されてきた単純な階層構造やネットワーク構造の限界を越えるべく開発されたものだ。

特に「フォルダ」などとして広く使われている階層構造は,抽象性の反対,具体性(具象性)と非常に相性が良い。いくら欠点があっても,人類が階層構造から離れられなかった大きな理由だ。

個人機(PC)の普及に大きく寄与したのが「デスクトップ メタファー」であったように,具体的なモノ同士の関係として表現した方が多くの人は理解しやすい。その一方で,具体的なモノにはモノゆえの限界がある。

我々は,頭の中で多くの概念を縦横無尽に結び付けている。A にも B にも含まれている C という概念を頭の中では当たり前に扱えるが,フォルダのような物理的な入れ物 A と B に同時に入っている C というファイルを想像することは難しい。

こうした限界を越えようと様々な技術が開発されてきたが,フォルダのような“具体的”表現に頼っている限り,どうしても不自然で気持ちの悪いものになってしまう。「パソコン音痴」な人は,Windows のショートカットですら実体と区別出来ず混乱してしまうことがある。

それならいっそのこと,こうしたメタファーを廃してしまった方がいいのではないか。デライトの設計はそんな考えに基いている。だから,モノに喩えるのではなく,頭の中を直接表現した抽象画のようになっている。これをデスクトップならぬ「マインドトップ」(mindtop,念頭)と表現したこともある。

下図のように,デライトにおける「輪郭」は,視点によって一つの中身を共有出来る入れ物になっている。立体階層構造とでもいうべきこの構造を「輪郭構造」と呼ぶ。

この輪郭構造が,階層構造とネットワーク構造を{統合 K#F85E/A-3DCF}し,真に人間の{認知機能 K#F85E/A-E74C-CB77}に{調和 K#F85E/A-D4CF}するものになっている。大分長くなってしまったので,これについては後日改めて{解説 K#F85E/A-1EE6}しよう。
2021-05-03 20:452021-05-03 18:36
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{デライトについてのメモ}

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