18日の大きな出来事にそろそろ名前を付けないと参照しにくいなと色々考えていた。
散歩中,「神風」は何かと紛らわしいかなどと考えながら,「金風」という名前を思い付いた。最初は駄洒落の域を出ず,流石に露骨過ぎて品がないのですぐ思い止まった。
しかし,後で調べてみると,秋風を意味する「金風」という漢語があるらしい。偶然にしては出来過ぎだが,「金風」が急に運命的で雅な語に思えてきた。とりあえずこう呼んでおくことにした。
金風が吹いてから一週間ほど経つが,余裕が出来た分だけやりたいこと,やらなくてはならないことが増え,結局気楽なことは何もない。もっとも,ここで“上がり”だと思って気を抜いていたら,それはそれで心配だ。良いことなのだろう。
散歩で,もはや“聖地”となった土手の方まで歩いてみれば,なにか別の感慨が湧いてくるのではないかと思ったが,そんなこともなかった。
金風はデライトの成功をより早く,確実に,大きくする奇跡的な追い風ではあったが,それによって私の生活や希哲館事業の方向性が変わるわけではない。向かい風が追い風に変わったわけでもなく,もともと追い風が吹いていた所に重なってきたようなものだ。そういう意味では,そもそも実感すべきことなど無かったのかもしれない。