描出公開原則を再評価し,新デライト市場戦略の一環,「描出公開戦略」として積極的に打ち出していくことにした。
もともと描出公開原則は止むをえず採用したようなものだったが,よくよく考えてみると,思っていたよりはるかに合理的だったことに気付く。知番によって秘密をぼかした記述がしやすいこと,知番譜類などとして外部利素が管理出来ることが大きく貢献している。
例えば GAFA のような企業に公開されたくない情報を預けるしかないサービスと,最初から公開されても構わないように書けるサービス,どちらが安全で安心かといえば後者だ。不正握接や流出はもちろん,内部の人間等に閲覧・利用される懸念はどこまでも付きまとう。コストの問題を無視しても,デライトの透明性は圧倒的だ。コストの差まで考えれば大きな発明と言ってもいい。
これまで描出公開原則を過小評価していたのは,自分が用者としてあまりに特殊だったからだろう。膨大な自由時間を持っていたこと,模体として全てを曝け出す覚悟が出来ていたこと,そして自分自身が開発者であり運営者であったこと……デライトを文字通りの「なんでもメモ」として使えるのは自分くらいなのではないか,という不安が拭い切れず,先入観にもなっていた。
最近の試し文句ツイストにも表われているが,デライトの使い道はやはり人生の全てを鮮明に,知識の種として記録することにある,という思いを強くしていたところで,多くの人にとって壁になるであろう描出公開原則についても考えることが増えていた。これまで以上にしっかり分析してみて,知番が思いのほか上手く補完していることに気付いたわけだ。
描出公開原則は,用者にとっての欠点としてではなく,どのサービスよりも透明で制危的な利点として積極的かつ戦略的に強調していくべきなのだろう。
昨年あれだけのことがあったので1月はどうしてもこんな考え事ばかりで開発が捗らなかったが,そろそろデライト収益化に向けた2月・3月の組計も練りたい。