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{希哲13年4月22日 K#F85E/5B28-3AA0}

今日は色々な事を考え,ツイストにも書き殴った。開発作業には全く手がつかなかったが,収穫は多かった。

平成時代希哲時代

昨日,希哲館事業収益化についての考えを整理する過程で乗軌化という目標が平成中に達成されていることに気付いた。もともと乗軌化は収益化を含んだ概念だったが,先々月,収益化達成前に乗軌化が達成されたと判断していた。ただ,依然として収益化が喫緊の課題だったため,これと平成中の目標達成とは結びつけておらず,若干認識に不整合が生じていた。

しかし,乗軌化を収益化より大きい画期とするなら平成時代に達成すべきことはしたことになるだろう。

ここで平成時代の次を「希哲時代」と呼ぶことを考え始めた。もともと特に定義せずに描出していた語で,どう定義すべきかも(特に終期が)難しいが,とりあえずは平成以後,希哲館が政治的意義を持つ時代,と緩く定義しておくことにした。

少し前に描いた「希哲日本」にも関わってきそうだ。

執務長意識改革

希哲館事業乗軌化以後,どうも持ち辺が低下しているとは思っていたが,改めて自己分析してみて,これまで持ち辺の中心にあった事業の不可能性に対する「楽しさ」が自分の中で小さくなっていることに気付いた。

あらゆることが理想的な状態にあるはずなのに,やる気だけが思うように出ず,結果として作業も思うように進まない。これまでの希哲館事業は楽しいことを追求していれば最大限の仕事が出来たが,刺激を求める私の性格と乗軌化の相性が良くないらしい。感覚に依拠した仕事のやり方を見直す時期なのだろう。

感性から理性への「執務長意識改革」として,執務日執務時間を定め,明日から新たに執務記録を付け始めることにした。

これなら最近の悩みだった睡眠時間帯の問題も一緒に解決出来そうだ。

希哲館外交

最近,対等かつ互いの権威を尊重出来る希哲館外交のあり方について考えることが多くなったが,これが「千利休式の茶室」を利用する形でまとめられそうなことに気付いた。

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