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{希哲15年2月2日の日記 K#F85E/E74C-D47C}

今日は仕事でもない中途半端用事出掛ける必要があり,疲労の蓄積(特に脳疲労)も気になっていたため早めの休日にした。

早朝だったようだが,出掛ける頃にはよく晴れ気持ちの良い天気だった。デライトの春希哲館の春予感させる陽気の中をぶらぶら歩き,散髪もして,非常に良い気分転換が出来た。

ぶらぶらしながら,希哲館事業原点である「閃き」についてよく考えた。あの体験がなぜ輪郭法を生み出したのか,いまだに上手く言語化出来ていない。

閃き瞬間射雨身体を伝わり,排水溝に流れていくのをじっと見つめていた時の感覚はいまでもよく憶えている。その直前,概念が頭の周りに浮かんでいるような感覚もあった。これはデルン用合い原型になっている。

いま思えば,を作ってとなるように,絶え間なく続く流動が,静的観念通り道を作ったのかもしれない。それが脳内信号の流れにも一致すれば輪郭法が出来るわけだ。

そこから瞬く間に「相通化技術」を中心とした希哲館事業青写真が出来た。「」は仏教的な「」とプラグマティズムその他諸々を綜合したような概念となり,東西思想統合予期させた。人生観世界観も,全てが一変した。

そんなことを考えていると,いま言う黄金循環すらあの時に見た排水溝が作るのように思えてくる。

実益から最も遠く,休日でもなければそう出来ない,しかし極めて意義深い考え事だった。デライトの成功希哲館事業の成功目前という時期だから尚更だ。

{『希哲日記』}{14年目}{日記}{デライト}{デライト宣伝}{黄金循環}{希哲15年1月14日3歩}{希哲15年1月12日}{希哲館の春}{デライトの春}(40)

{希哲15年1月12日の日記 K#F85E/E74C-4780}

昨日の日記をまとめながら,最近ぼんやりと感じていたデライト収益化への新しい道筋明確に思い描けるようになった。

待ちでもあり攻めでもある,いわば「」で巻き込んでいくという戦略が考えられるようになっている。これが「黄金循環」と密致するのも不思議な感じだ。

このイメージから,デルンの実用化当時使っていた「クラーケニング」という用語を思い出した。このまま黄金循環加速し続ければ,インターネット引きずり込むクラーケンになるだろう。

新しい希望も出来たところで,4月1日デライト収益化努力期限とすることにした。11月1日必達期限のまま据え置く。

デライトの春というよりは希哲館の春というべきか,毎年のように期待した最高の春14年目にしてようやく訪れるかもしれない。

デライト宣伝に関しては,極力,5分でも1ツイストでも朝昼晩欠かさないようにすることにした。これまでの暗黙宣伝にせよツイスト宣伝にせよ,ある程度まとまった時間を要したため忙しいと機会を逃してしまうことが多かった。

そのためにも,生活律動をしっかり直す必要がある。

14日加筆修正

{開発}{『希哲日記』}{日記}{入浴}{文字}{デライトの成功}{KNS}{デライト}{SNS}{デライト開発}(79)

{希哲15年1月11日の日記 K#F85E/E74C-ECC3}

いまや SNS政治土台になったと「インターネット改革」を掲げ,KNS としてのデライト構想し始めたのが2年以上前だが,ようやくこの認識共有出来るようになった感がある。また一つの側面で時代デライトに追いつきつつある。

ツイストしながら,久しぶりに「テキスト・ルネサンス」という言葉を使った。希哲9年これについての文章を書いている。この時はまだ効率性を中心に論じているだけだったが,今のデライト黄金循環への寄与を考えると,文字本来先進性を活かすことなのだと思える。

その黄金循環を再び意識するようになってから,デライトの成功像が自分の中で少し変わってきているように感じる。ただの待ちでもなくただの攻めでもなく,着実かつ急速成功を引き寄せているがある。

よく思い返してみると,この黄金循環という言葉も当時はもっと狭く,デライト開発全知検索改良中心にすることで情報発信情報蓄積開発が上手く循環する,という程度のことだった気がする。一応「ジパング計画金脈だと信じて」とも書いているが,まだ描出公開原則を採用する数ヶ月前,デライト収益模体が出来る一年程前だったので,いま思えば漠然としたものだった。

いまのデライトで起き始めている好循環は,超黄金循環というべきか新黄金循環というべきか,もっと広く有機的なものだ。

この感覚が,これまでになくデライト収益化に対する強い現実感を覚えさせているのだろう。

検索演心教育にしてもツイスト宣伝にしても,数ヶ月から半年程度の遅効織り込み済みなので,そろそろ追い風に加わるのではないかという期待もある。早ければ,2月3月中にもデライト収益化実現出来るかもしれない。

そんなことを考えながらの入浴中,ふと,「デライトはすでに成功してるんじゃないか?」という思いが脳裏をよぎるが,それは流石に気を緩め過ぎかと打ち消した。

ここまでの差別化が出来ていて,財務的にも潰れる心配はなく,個人的にも生活に困らず,成長が続き収益化見通しも悪くない。実際,何百万人と用者を集めたり何百億円と売上があっても青息吐息事業が珍しくないことを考えれば,成功とは何かとも考えたくなる。

昨年も少し似た心境になり,デライトの成功を急ぐ理由を見失いかけたが,ちょうど身内に悪いことが立て続けに起き始めたのがきっかけで気を引き締め直した。近年のあまりの幸運続きに揺り戻しを恐れていた時期でもあったが,なんだかんだあって今はみんな落ち着いており,すっかり平和を取り戻している。

そのうえ今は,デライト開発開始以後,初めて安定的持続的生活を送れている。時間に追われるような生活からの逃げ切りだ。思えば,映画ドラマなどを観ることや考え事だけで終わってしまう日も増えている。気が緩んでいるのは確かだろう。

成功はすぐそこにある,ということを持ち辺の足しにだけしておきたい。

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