{『希哲日記』}{}{}{}{日記}{}{}{}{}{テキスト向き}(401)

{希哲17年7月15日の日記 K#F85E/0758-279C}

激化する SNS 戦国時代の中で,サービス文化について考えさせられること多い今日ちょっと面白い発見もあった。

以前にも SNS におけるオタク文化について考えたことがあるが3月1日の日記依然としてその影響力強い感じる例えばMisskey猫耳機能などは私の価値観からすると完全にありえないものだが,そういう部分があることでオタク層からの信頼得ているはあるだろう。誰かにとっての「居心地の良さ」を提供することは SNS核心であって,Misskeyまだ小規模ながら興味深い事例ではある。

最近でいえば,Threads急速な台頭によって,キラキラした Instagram 的な対するドブ川」としての Twitter に,想像以上に多くの Twitter 用者想像以上に強い愛着持っていることが分かってきた。「陽キャ」に対する陰キャ」のコミュニティであるという意識やはり根強いようだ。それは単なる自虐というより,昔から言う明るい人気者ほどつまらない」とか「面白い奴には根暗多い」とか,その種含みがある。

確かに自分が好きだったお笑い芸人なんかを振り返ってみても,根暗ひねくれていたばかりだ。そういう人が,業界一定の地位いて妙に社交的な「明るい人」になったりして,つまらないこと笑うようになり,かつての面白さ失っていく,という哀しい現象よく見てきた

明るい人というのは箸が転んでもおかしいというなので,日常そこまでひねりの効いた刺激求めていないのだ。Twitter 用者Instagram 的SNS感じるつまらなさとは,こういうことなのだと思う

幼稚なデマ煽られやすいなど,全体としては知的脆弱さ目立つ Twitter ではあるが,役立つ投稿面白い投稿比較的多いことは認めざるをえない学問文芸も,多少ひねくれていたり,オタク気質だったりするくらいが丁度良いからだろう。その点で,Twitter 文化にはマイクロブログ型 SNS における確かな優位性がある。

そういう観点からデライト文化について考えてみたら,対 Twitter 戦略なんて無理筋じゃないかと一瞬思いかけた。というのも,デライト文化種子たる私自身が,人間の限りない可能性限りない成功対して限りなく楽天的性格であって,その実現のためにデライト開発してきたからだ。サービス名〈delight〉歓喜かけているくらいなので,そもそもデライトこの上なく明るい気分から生まれているそういう意味では,インスタグラマー真っ青キラキラ志向なのだ。

単純な話Twitter陰キャ寄りオタク寄りSNS だとして,デライトそうでないとすると,どうやって用者移行させるのかという問題があるここまでのデライト運営実感としても,Twitterはじめとするマイクロブログ型 SNS からの訪問者は,明らかにデライト文化引いている

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{『希哲日記』}{一から}{日記}{}{}{デライト}{とらわれず}{精神の最適化}{長年の}{無茶な話}(115)

{希哲17年3月1日の日記 K#F85E/E74C-5E35}

最近SNS 戦国時代観察しながらオタク文化」についてよく考えていたが,これまでオタクというものを漠然としか理解していなかったことに気付いた

同時に自分オタクではないということにも気付いてしまった昔からオタク文化には抵抗が無いのにネットオタク交鳴体コミュニティやたら苦手だった。それはオタク嫌いだからではなく,元々子供時代から特定の集団属することが苦手だったからだ。

教室の隅漫画を描いているような勉強好きな子スポーツ少年不良少年……誰とでも遊びたいし,なんでも知りたいなんでもやりたい,そういう子供だったよな,なんてことを思い出していた私にとって,それが「自由」の原体験だった。やがてそれは人生観世界観となり,希哲館事業にもデライトにも繋がっている。「なんでもメモ」の真意は,分野とらわれず,この世界について網羅した百科全書自分の中で育てようということだ。

そもそもこんなことを考え始めたのは,オタク交鳴体味方に付けられるSNS地盤作りには有利だなと感じることがあったからだ。人を選ぶ側面もあるが,デライト直面しているキャズム早さ深さ考えると,隣の芝生的に羨ましい思わなくもない

結局私自身は,オタク文化つまみ食いするのは好きでも,オタク文化囲まれるのは嫌い人間であって,いわゆるオタクとは言えないのだということに気付いてしまうと,何か期待していたことも滑稽思えてくる

巨大なオタク交鳴体味方に付けても SNS立ち上げには長い年月大きな苦労伴うというのに,デライトの文化一から広めるってどれだけ無茶な話なんだ,という気重気付きでもあった。前向き考えれば長年のもやもや晴れすっきりした部分もあるので,精神の最適化進んだとも言えるか。

2日振り返り日記

{dlt.kitetu.com}{デライト2周年}{}{一段落}{一編}{研究}{}{}{}{英語}(600)

{デライトの歩み K#F85E/E74C-09D2}

デライトは,今年の2月13日2周年迎えたばかりの若いサービスだ。しかし,その背景には長い長い歴史がある。詳しく書く書籍数冊分くらいにはなるだ。デライトの完全な成功目前にした良い頃合いなので,駆け足振り返ってみたい

輪郭法閃き

技術としてのデライトは,私が17歳の頃,主に哲学情報学への関心から「輪郭法」を閃いたこと始まる2002年,もう20年前のことだ。デライトにおける輪郭法応用については,「デライトの使い方の考え方」で出来るだけ簡単に解説したつもりだが,本来の輪郭法は,“輪郭という概念中心にした世界の捉え方”であり,哲学用語でいう「弁証法」に近い位置付け概念だ。

このアイデアが,哲学上の理論留まらず極めて実践的で,極めて強大技術になりうることに気付くのに時間はかからなかった。これを応用することで,計算機科学における長年最重要課題解決し,知能増幅(IA)技術の実用化つなげることが出来る参考。すでに IT 産業勢い明らかだった当時,これは“世界史上最大の成功”と“知識産業革命”への道が開けたことを意味していた

さらにアメリカ同時多発テロ事件起こって間もない頃だ。後の英米政治危機世界に広がる社会分断SNS暴走,そして目下のウクライナ侵攻予感させる事件だった。

あらゆる争い背景には,世界の広さ対する人間の視野の狭さと,それによる“心の分断”がある。当時から私はそう考えていた我々は,世界の一部分それぞれ立場から見ている過ぎない立場違えば見える世界違う。その衝突回避出来るとすれば,個々人世界に対する視野広げるしかない。輪郭法応用技術にはその可能性があると感じていた。この考え方現在の KNS という概念つながっている参考

葛藤

この閃き止まるところを知らなかった17歳少年人生観世界観も,何もかも瞬く間に作り替えてしまったこの閃きをどこまで大きく育てられるか,それだけを考える人生になった。適当に金に換えることも出来たかもしれないが,世界にかつてない平和豊かさもたらす手に入れたようなものだ。中途半端な売り物にすることなど,現実には考えられなかった能う限り最高の状態世に出さなくてはならないと思った

もちろん最初はとんでもない宝くじに当たったような気分だった。天にも昇る心地とはこのことだろう。どんな人生の喜びも,この喜びには勝るまい少しばかり時間が経ち,冷静になるにつれ,呪いのような重圧苦しむようになった。

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{メモサービス}{メモアプリ}{研究}{}{}{一日一文}{デライト}{知能増幅と人工知能}{なぜメモなのか}{21世紀}(280)

{“知能増幅メモサービス”はなぜいま最も重要なのか K#F85E/E74C-CDB9}

人工知能仮想通貨暗号通貨仮想現実仮想世界……等々様々な分野世界的な注目を集める中,これらを凌ぐ潜在力あるにもかかわらずまともに語っているのは私だけなのではないか,と思えてしまう分野がある。それが「知能増幅IA: intelligence amplificationだ。

知能増幅というのは,文字通り工学的に人間知能増幅させることを指す古くからある研究分野だが,人工知能などに比べてその話題性著しく乏しい参考。この言葉に「人体改造」に近い響き感じる多いだろう。実際脳にチップを埋め込む遺伝子を書き換えるといった人体改造的な研究これまでの主流で,まず倫理的課題大きかった倫理的課題大きければ技術的課題解消するための実験などもしにくく,実用段階にある技術存在しなかったデライト登場するまでは古典的な SF域を出ず,語れること大して無かったわけだ。

先日の「デライトの使い方の考え方」で少し触れたように,デライトは,その知能増幅誰でも簡単に触れるメモサービスとして実現した知能増幅メモサービス」であり,「世界初の実用的な知能増幅技術」だ。どのように実現しているかはあの文章ざっと書いたので,今回は,この知能増幅メモサービス意義について書いてみよう思う

知能増幅の世紀

私は,ビッグ・テックGAFAM などと呼ばれる世界最大の企業群Google, Apple, Facebook, Amazon, Microsoft合併して「Microappglezonbookマイクロアップグルゾンブック」となり,自分がその経営思うまま出来たらどうするか,という思考実験をすることがある。答えいつも変わらないiPhoneGoogle 検索Windows も,世界最大の SNS世界最大の通販サイトも,何もかも売り払って知能増幅メモサービス開発全てをかける

最近何かと話題イーロン・マスク氏と入れ替わったとしても,やることは同じだ。テスラSpaceXTwitter も,何もかも売り払って知能増幅メモサービス開発全てをかける。ちなみに,氏の事業一つには,まさに脳にチップを埋め込む系の知能増幅技術扱うニューラリンク」があるものの,やはり,他の事業ほど目立った成果もなく,あまり知られていない

つまるところあらゆる分野の中で,「知能増幅」が群を抜いて大きな可能性持っていると私は考えている。これを多くの人理解すれば,21世紀間違いなく知能増幅の世紀」になるだろう。世界初の実用的な知能増幅技術であるデライトは,その嚆矢だ。

知識を生み出す技術

長い前置き似合わず知能増幅メモサービスなぜいま最も重要なのかという本題は,拍子抜けするほど単純明快な話だ。知識最も価値を持つ時代において,最も価値のある知識は「知識を生み出す知識」であり,最も価値のある技術は「知識を生み出す技術」だからだ。まさにそれを研究開発するのが知能増幅という分野だ。そして,知能増幅メモサービスは,最も実現性の高い実際にデライト実現している知能増幅技術なのだ。

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{先入観}{}{囚われたくない}{一日一文}{デライト}{😇}{希哲16年5月の一日一文}{狭苦しい}{よく使っている}{閉じた}(97)

{デライトに“参加しにくさ”を感じている人へ K#F85E/E74C-E681}

デライト新規利用者増やすにはどうすればいいか,と考えてくれている利用者達もあまり触れないことに,私自身のアカウント問題がある。デライト普及にとって最大の障害か,といえば,あまりに癖の強い私の輪郭溢れかえっていること,というのが開発者として常に感じていることだ。自分が訪問者でも入りにくいな,と思う

実際最初の頃は,自分の輪郭目立たせないように,宣伝活動をした後しばらく描き出し避けるなんてことまでしていた。それはそれで使いこなし方分かりにくくなるので,あまり作為的なことはしないようになった。だから,初期利用者入ってきた時は,世の中には変わった人がいるものだな,としみじみ思ったものだ。そうは思いつつ,私も私で失礼気がして言いにくかった

利用者達が活発描き出ししてくれるようになったおかげで,だいぶ入りやすい雰囲気になったとは思う。それでも,客観的に見れば,まだ「変わった人達の集まり」なのかもしれないし,コミュニティとしてのデライトに“参加しにくさ”を感じている多いだろう。

デライトは,極力誰でも好きな時にて,好きなこと好きなだけ書けるように設計している。もちろん挨拶必要もないし,他人に遠慮する必要もない。個人情報どころか,名前すらいらない。私自身,狭苦しいクラスタ」だとか閉じたコミュニティ昔から嫌いだ。

あまり先入観持たず,まずは触ってみてほしい,というのが開発者としての願いではあるが,もしデライトコミュニティとしての特徴があるとすれば,自由に知的好奇心探究心満たしたい人達の集まりとは言えるかもしれない。「希哲フィロソフィー」という言葉よく使っているように,知的探究心以外のなにものにも囚われたくない人間にとって,機能的にもデライト最高の場所だ。


{}{一日一文}{サービス}{KNS}{デライト}{SNS}{希哲16年4月の一日一文}{一足飛び}{万人による万人のための知性主義}{世界史上最大の課題}(138)

{SNS の限界と言論の自由 K#F85E/E74C-37F2}

Twitter 買収騒動で,SNS における“言論の自由”についての議論再燃している。

相変わらず誰もが SNS 上の規制について考えているわけだが,そこに誰もが納得出来る結論はなく,水掛け論域を出ていない。これからもその域を出ることはないのだろう。表現の自由言論の自由についての議論は今に始まったことではない。

私自身の考え昔から一貫している。SNS における表現の自由問題視されるのは, 発信の質に対して発信力強過ぎるからだ。それが中傷ヘイトスピーチデマといった問題になっていくわけだ。SNS構造的限界なのだから,その構造変えてしまうしかない。

KNSknowledge networking service標榜するデライトは,世界で初めて理論的かつ具体的SNS構造改革提案をしているサービスだ。

見ての通りデライトTwitter のようなマイクロブログ近い感覚利用することが出来る。では何が違うのかというと,知識を蓄積する機能持っていることだ。デライトは,個人よりよく世界について知るためのメモ機能と,それを基礎とした交流機能提供している。これがつまり KNS だ。まだ小規模ながら,実際に新しい知的交流生まれている

これが意味することは,世界を揺るがすほど大きい

世界史的に見ればSNS というのは衆愚政治陥った古代民主主義再現だ。民衆発言権強くなると,民衆煽動しようとする政治家現れる。彼らは「デマゴーグ」と呼ばれ,その煽動行為は「デマゴギー」と呼ばれるいわゆるデマ」はこれに由来する

デマゴーグ達によって混迷陥った古代社会批判するように,ソクラテスプラトンといった哲学者達が現れ西洋思想源流となっていった。こうした経緯から西洋思想にはエリート主義伝統根強くあり,大衆による直接民主主義軽視されてきた。それから紆余曲折あって,エリート大衆折り合いを付けた間接民主主義定着し今にいたる。

エリート任せでも大衆任せでも社会上手く行かない人類長い勉強到達したこの秩序を,技術破壊し古代逆戻りさせたのが SNS だ。SNS人々煽動して支持層固めれば,一足飛び権力得ることが出来てしまうわけだ。

だからといって今更エリート主義には戻れないだろう。大衆愚かなのが悪いというなら,大衆が「皆で賢くなる」しかない。KNS は,そんな不可能そうなことを可能にする唯一の道具だ。「万人による万人のための知性主義」という,世界史上最大の課題に対する真正面からの解答なのだ。


{メモサービス}{}{}{}{一日一文}{サービス}{デライトの成功}{デライト宣伝攻勢}{デライト}{希哲16年4月29日}(327)

{第四次宣伝攻勢に向けて K#F85E/E74C-668D}

デライトは,黄金週間初日となる明日29日4度目の宣伝攻勢第四次宣伝攻勢始めるこれを機に中断していた一日一文」の日課再開することにした。

デライトはいま,包括的な改良構想によって「新生デライト」に生まれ変わろうとしている。今回の宣伝攻勢コンセプトは“新生デライト開発実況”だ。この一日一文含めて開発状況開発者考えなどについて積極的に発信していきたい。

森を見て木を見る

3度宣伝攻勢から得た教訓色々とあるが,4度目の宣伝攻勢目前にしてつくづく感じていることは,結局やってみなければ分からない,ということだ。

ソフトウェア開発やっていると,ここが悪い,あそこが分かりにくいなどといったことばかり考えてしまいがちだ。とりわけデライト新奇見える代物なので,開発者利用者も,“デライトの問題点”について考え込み過ぎる嫌いがある。

問題点地道に改善していくのは当たり前のことだが,問題点ばかり見ていると,「問題があることが問題」であるかのような錯覚に陥りがちだ。問題のないソフトウェアなど存在しないので,これは「木を見て森を見ず」でもある。広く使われている全てのソフトウェアは,それぞれに問題抱えながらそれぞれの役割を果たしている。その全体像見ず問題の大きさ正しく見ることは出来ない

そもそも使いやすい UI分かりやすい文書……などと全て兼ね備えた優等生的なソフトウェア世の中どれだけあるだろうか。使いにくかろうが分かりにくかろうが,バグだらけであろうが,“使う必要”があれば使われる。それが現実だ。ツール文書も,必要ならユーザー作り始める昔からそうやってソフトウェア共有されてきた。

そこに革新性があればなおのことだ。誰でも戸惑いなく使える革新的なソフトウェア──そんなものは夢の中にしか存在しないデライトがそうであれば,私はとっくに世界一の有名人にして世界一の大富豪になっている。冷静に考えれば馬鹿馬鹿しい話だが,知らず知らずのうちにそれに等しいことを考えてしまうのが認知バイアス怖さだ。

最大の課題

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{昔から}

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