{『希哲日記』}{デライト3周年}{日記}{}{デライトの完全な成功}{迎えに来れる}{やるべきことはやった}{共に}{社会の雰囲気}{一役買っている}(120)

{希哲17年5月17日の日記 K#F85E/E74C-156B}

開発では地味な作業積み重ね目に見える成果になってくる一番楽しいところ来たが,ふと思い立って雑務抜本的な見直し始めたいよいよ本格的にデライト以前のような生活戻れそうだ。

ここ半年ほど希哲館事業外での体験求めるもの増えてきたような,不思議な心境の変化感じていたが,その原因少しずつ掴めてきたやはり長期戦態勢切り替えたあたりから精神的なゆとり出来たのだろう。

新生デライトの完成目前第五次デライト市場戦略固まり,気付けばデライトの完全な成功希哲館事業の成功対する焦り無くなっている油断するわけではないが,もうここまで来たら,あとはばら成し良く色々なもの磨きをかけながらその時を待つしかない,という心境になっている。少なくとも最低限やるべきことはやったし,時代迎えに来れるところまでは来た

思えば私の人生17歳の頃から希哲館事業の不可能性との闘いだった。特にデルンの実用化向けて本格的に走り出したからは,希哲館事業外使うあらゆる力あらゆる時間惜しかったそんな呪縛からも解き放たれたようだ。

今はこのデライトがあり,知識経験十二分得て多くの迷い無くなり,希哲荘中心とした理想的な生活環境整っている。これでデライト以前のような安定感取り戻せるならそれほど心強いことはない。もはや無敵だ。

そんなこと考えていたら高揚してきなかなか寝付けなかった

デライト3周年コロナ収束誕生日……と何かと大きな節目重なる時期だが,それも気分の切り替え一役買っているのかもしれない。デライト正式離立からの3年コロナ禍社会の雰囲気共にあった,というのが特に大きいのかもしれない。

18日振り返り日記

{開発記録}{抜控}{譜類添付機能}{希哲17年1月13日}{希哲17年1月12日の副日記}{作業出来なかった}{取っておく}{調整しやすい}{揃えやすい}{抜控サイズ}(77)

{希哲17年1月12日の開発 K#F85E/E74C-5909}

{整輪記録}{副日記}{『希哲日記』}{デライト3周年}{日記}{初期}{}{輪郭整備}{希哲16年9月}{希哲16年10月中旬}(153)

{希哲16年11月14日の日記 K#F85E/E74C-87D0}

考え事が多かった。そのせいか,やや脳疲労感があった。

GAFAM の停滞Twitter の混迷中間選挙にも表れた米国政治世界情勢の膠着世界の行き詰まり誰の目にも明らかとなり,その突破口である希哲館事業デライトにとってはこれ以上ない舞台整いつつある

デライトの現状からすると,完全な成功デライト3周年来年2月13日までに果せるかどうかだろう,と考えてみてまだ正式離立から3年経っていないことに愕然とした67年経っているような気分だった。意識先走り過ぎていたのかもしれない。

大輪郭整備では初期ツイスト見直し始めたが,ちょうどデライト構想出来たばかりツイスト群で,何かと感慨深かった当時はデライトの離立全てだった。当然,それでは何も終わらなかった結局,「完全な成功」も通過点一つ過ぎず,また新しい課題立ちはだかるのだろう。これからもずっと,それが私の日常なのだと思うかえって気が楽になった


最近輪郭整備意識しなくても自然と丁寧な描出出来るようになり,良い傾向だと感じている

輪郭整備無計画やっているキリがなく,迷子になりやすいので副日記専用記録加えることにした。「輪郭整備記録」というのも煩わしいので,「整輪」を造語し「整輪記録」とした。傾向進捗の把握中断再開容易になり,開発との釣り合い取りやすくなるだろう。

最近輪郭整備強く意識するようになった現実的な理由一つに,SEE による検索流入伸び悩みがある。検索流入極めて緩やかに増え続けているが,デライト市場戦略補完する役割十分に果せていない

デルンデライト自体前例のない司組である上に変化が激しかったため,SEO 効果測定難しかったが,9月までの開発司組上の課題ほぼ全て解消したことで,献典不足という問題向き合わざるをえなくなった特に9月輪郭情報取得改良による高速化サイトマップ改良後は検索流入にも顕著な好影響見られたものの,10月中旬頃からまた停滞してしまっている。こうなるとページ数対する献典不足以外問題考えられない

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{『希哲日記』}{}{日記}{月末}{希哲16年8月中旬}{希哲16年8月上旬}{入れる}{希哲16年8月31日}{希哲16年8月30日}{直感の勝利}(88)

{希哲16年8月30日の日記 K#F85E/E74C-F6E9}

寝食を忘れたような作業続けてきたので無理もないが,日中疲労感が強かったので半休にした。

第二次用合い改良輪郭小窓実装成功による解放感満足感で,身体先に休み入っている感がある用合い改良一区切りついて新生全知検索整備入れるようになったものの,明日月末雑務もあり,準備程度のことしか出来ないだろう。早めに今月のまとめ始めた

輪郭小窓ここまでの第二次用合い改良は,開発者心理への印迫想像はるかに越えて大きかった

出振るい後,「新生デライト」の定義揺さぶられている少なくとも用者体験ではすでに新生デライト言うべきにある。新生デライトの要件としていた当努まだまだ残っているが,初見者一番先触れる部分でもある輪郭小窓越える印迫はないだろう。

上旬時点では,上旬中輪郭小窓実装終えて中旬中に機能実装文書整備大方終えたい思っていただから輪郭小窓実装なかなか終わらないことに多少の焦りがあった。しかし,実際に触れるようになってみるとそんな感情吹き飛んでしまった一ヶ月収穫としては大き過ぎるくらいだ。

デライト開発では本当によくあることだが,これも計画対する直感の勝利言える。この収穫活かして組計練り直すことにした。

{dlt.kitetu.com}{デライト2周年}{}{一段落}{一編}{研究}{}{}{}{英語}(600)

{デライトの歩み K#F85E/E74C-09D2}

デライトは,今年の2月13日2周年迎えたばかりの若いサービスだ。しかし,その背景には長い長い歴史がある。詳しく書く書籍数冊分くらいにはなるだ。デライトの完全な成功目前にした良い頃合いなので,駆け足振り返ってみたい

輪郭法閃き

技術としてのデライトは,私が17歳の頃,主に哲学情報学への関心から「輪郭法」を閃いたこと始まる2002年,もう20年前のことだ。デライトにおける輪郭法応用については,「デライトの使い方の考え方」で出来るだけ簡単に解説したつもりだが,本来の輪郭法は,“輪郭という概念中心にした世界の捉え方”であり,哲学用語でいう「弁証法」に近い位置付け概念だ。

このアイデアが,哲学上の理論留まらず極めて実践的で,極めて強大技術になりうることに気付くのに時間はかからなかった。これを応用することで,計算機科学における長年最重要課題解決し,知能増幅(IA)技術の実用化つなげることが出来る参考。すでに IT 産業勢い明らかだった当時,これは“世界史上最大の成功”と“知識産業革命”への道が開けたことを意味していた

さらにアメリカ同時多発テロ事件起こって間もない頃だ。後の英米政治危機世界に広がる社会分断SNS暴走,そして目下のウクライナ侵攻予感させる事件だった。

あらゆる争い背景には,世界の広さ対する人間の視野の狭さと,それによる“心の分断”がある。当時から私はそう考えていた我々は,世界の一部分それぞれ立場から見ている過ぎない立場違えば見える世界違う。その衝突回避出来るとすれば,個々人世界に対する視野広げるしかない。輪郭法応用技術にはその可能性があると感じていた。この考え方現在の KNS という概念つながっている参考

葛藤

この閃き止まるところを知らなかった17歳少年人生観世界観も,何もかも瞬く間に作り替えてしまったこの閃きをどこまで大きく育てられるか,それだけを考える人生になった。適当に金に換えることも出来たかもしれないが,世界にかつてない平和豊かさもたらす手に入れたようなものだ。中途半端な売り物にすることなど,現実には考えられなかった能う限り最高の状態世に出さなくてはならないと思った

もちろん最初はとんでもない宝くじに当たったような気分だった。天にも昇る心地とはこのことだろう。どんな人生の喜びも,この喜びには勝るまい少しばかり時間が経ち,冷静になるにつれ,呪いのような重圧苦しむようになった。

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{始めた}

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