ふと懐かしくなり何気なく観始めた『ミッション:インポッシブル』,『ミッション:インポッシブル2』に見入ってしまった。特に『M:I-2』のトム・クルーズは少年時代に強く憧れたので,久しぶりに童心に返れた。
当時のトム・クルーズとほぼ同じ歳になったのも感慨深い。当時はどうやってあんな顔になれるのか,想像もつかなかったが,鏡を見れば努力賞くらいのところまでは来れている。ここからどこまで磨き上げられるかだ。
デライトも公開から2年半ほど経ち,色々な人が興味を持ってくれたり,使ってみてくれたりした。遠くから眺めているだけの人,登録してみただけの人,たまに使う人,いつも使っている人……風変わりなデライトでも,出会った人の多様性は他のサービスとさして変わらない。
私は,そんな全ての“デライター”とデライターの卵達に深く感謝している。付き合いの長さも深さも関係ない。デライトに否定的な人ですら,知ってくれただけでありがたいと思う。
これがよくある社交辞令ではないということは,前回の一日一文,「デライトの歩み」を読めば分かるだろう。そもそも全く無謀な挑戦として始まったのがデライトだ。成功どころか,誰にも認められず終わるかもしれない。それならまだいい。弾圧や暗殺で命を失うかもしれない。10代の内にそこまで想像して葛藤を乗り越え,20年かけてここまで来た。
たとえるなら,デライトの歩みとは,真っ暗な巨大洞窟を一人で彷徨うようなものだった。どこかに新しい世界につながる出口がある。生きている内に辿り着けるかどうかは分からない。そんな洞窟を歩き続けていた時に見えた光,聞こえた人の声。それが私にとってのデライト利用者であり,デライトへの声だ。
そして今,デライトは「完全な成功」一歩手前と言えるところまで来ている。すでに夢のようなことだ。感謝せずにいられるだろうか。
今後の Dex 設計方針についての検討で終了。これから越化参照が大活躍しそうだ。
まず,課題だった脚注記法の実装方針について検討している内に,越化参照が部区間通信に活用出来ることに気付いた。
部区毎に越化条件の変化などがあることから,各記法の解釈は部区個体に任せたい。しかし,脚注記法のように最上位部区との出与え共有が必要な記法もある。
このような場合,単純に考えれば指示体を通して部区個体間で変数を共有するということになるが,この種の記法が増えるたびに目的別の指示体を増やすのは設計として美しくない。汎用的な変数一つに集約するのも,効率性や厳密性の観点から難がある。
ここでふと,越化参照が使えることに気付いた。下位の部区個体で中途解釈した記法には目印となる越化参照を付け,上位の部区個体で変換処理を完了させる。
これに似た部区間通信の手法は Dex 初期実装から現 &_skp;
で使い続けているが,どちらかというと「邪道」だと感じていたため,意図的に応用範囲を広げなかった。紆余曲折を経て,これが一番単純性・効率性・保守性のバランスが良いということが分かった。
これで脚注記法や目次記法の実装は容易になった。他にも,輪郭情報の参照が必要な記法など,部区間通信が必要な場面全般で越化参照が活用出来るだろう。
デライトも2周年を迎えた。希哲14年2月13日24時15分,なんとかデライト正式離立に漕ぎ着けた時の生々しい感覚は今でもよく覚えている。
今日を「デライトの早期成功」の目安としたのは昨年9月7日,金風が起こるわずか11日前のことだ(9月7日の日記)。金風で状況整理が困難になった後は,組計上ほとんど唯一の目印になっていた。
そして今,デライトは非常に評価の難しい状況にある。手放しで成功と言うには収益額が低過ぎるが,不成功と言うにはあまりにも理想的な状況にある。
金風後に「デライト収益目標達成」を「デライト収益乗軌化」に改め,一時的な収益額よりも持続的な成長軌道に乗せることを重視するようになった(11月1日の日記)。その点に限れば成功したと言えなくもない。当時の想定より低過ぎる収益額にもかかわらずそう思えるのは,金風がそれだけの時間稼ぎをしてくれたからでもあり,目先の金銭以外の収穫が想定をはるかに越えて多大だったからでもある。
今のところ,デライトにも希哲館事業にも不安はない。とっくに収益面以外では理想的な状態にあったのだから,まさに「鬼に金棒」だ。
今は黄金状態を極力維持し,黄金循環を加速させ続けることくらいしか新しい目標も思い付かない。もう人類の限界というか物理的な限界に近い気がするので,これ以上無理をしても早死にするだけだろう。
成功したのかどうか,頭で考えようとすると訳が分からなくなってくるが,とりあえず気分は最高だ。
それを象徴するかのように,今日は“空を飛ぶ夢”から目覚めた。人間が腕をばたばたさせると鳥のように飛べる世界で,仲間に混じって自分もやっと飛べた,という新鮮な夢だった。
昔から,希哲館事業を背負う自分は飛べそうで飛べない幼鳥みたいなものだと思っていた。それはもどかしさでもあり,嬉しさでもあった。何せ,希望を持つことすら絶望的な事業として始まったのだから,飛び立つ希望を持てるだけで奇跡のようだった。
それが本当に飛べるようになるというのは,奇跡の先の奇跡,夢のまた夢が現実になるようなことだ。今は訳が分からなくて当然なのだろう。
これから新生デライト開発本番だという時に金風が起きて環境が激変し,整理が追いつかないでいた時にデラング整備に頼るようになり,間もなくデラング的転回にいたる……金風が起きなかったら今頃どうなっていたのか,などと考えていた。
いずれにせよ別の道筋でデラング的転回にもデライト収益乗軌化にも到達していたのかもしれないが,なんだか不思議な気分だ。いま最善の道を走っているという実感があるのが嬉しいだけに,当時の自分が迷い子だったように思えてくる。当時は当時で,少し前の自分に対して同じことを感じていただろうから,未来の自分から見れば今の自分も迷い子なのだろうか。
昨日夜更かししてしまったが,それを逆手に取って早起きして,21時前には寝支度を始められた。これで一気に生活律動矯正が進むか。