(書きかけ)
6日,後の「金風」の予兆を掴む。ただし,この時はそこまで大きな出来事になるとは思っていなかった。
7日,10月中のデライト収益目標達成に向けて組計調整することを決めた。
新生デライト開発では高速化・開発環境整備が思わぬ進展を見せ,KNEST 隠し実装の再開(15日の日記)に繋がる。
やはりまだ頭の整理をする必要があると感じたため,ざっと9月の月記を付けながら振り返りをした。金風の衝撃で忘れそうになっていたが,こうしてみると,実はそれ以前から色々な進展があり,それなりに手応えを得ていたことが分かる。
月記は6月から付けていないと思ったが,よく見ると1月から3月も付けていなかった。思えば,そんな余裕も無かった。少し早いが,今年も恐ろしく濃密で急激な年だったなと思う。
特に金風は,いまだに希哲館事業全体の中でどう位置付けるべきか分からないところがある。楽観的に見れば,デライトの成功,あるいは希哲館事業の成功を決定付けた出来事であるような気もするが,まだ手放しで喜べるほどの確信が無い。
引き続き10月中のデライト収益目標達成を目指し,それが失敗しても来年1月までは1ヶ月ずつ延長可能とすることは決めているので,当面やることに迷いがあるわけではない。ただ,それに取り組む上での心構えが定まっていない。
物も心も,一つ一つ,じっくり整理していくしかないのかもしれない。この日記を書いているうちにも少し気持ちの整理が進んだ気がする。
今,限りなく100%に近い成功への確信はあるが,それが油断という失敗要因になりうる。少なくとも二重三重の保証がある120%の確信でなければ,それを確信と認めるわけにはいかない。結局,「確信出来る」が「確信していい」になるのは収益目標達成を果してからだ。
普通に執務するつもりだったが,調子が上がりそうになかったため,臨時休業にした。金風以来の雑務からいったん解放され,疲れがどっと押し寄せてきたようだ。金風が無ければ今頃別種の雑務に追われていたはずであることを考えると,未来というのは本当に分からないものだとしみじみ思った。
じっくり今後のことを考え,律動的集中生活を解除することにした。明日から生活律動矯正を徹底する。
金風によってひとまず収益目標達成の緊急性が下がり,視野を広げてやるべきことが増え,新生デライト開発だけに集中出来る状況ではなくなっている。実際,出来ていない。
8月12日から始めた律動的集中生活は,最低限の生活律動を維持しながら,新生デライト開発を中心として収益目標達成にかける時間を最大化しようというものだった。意識が自然と集中している時は制約を無くすことで上手く行ったが,こういう状況では時間配分が極端に振れやすくなる。生活にメリハリを付け,ばら成しを取った方が開発時間も確保しやすいだろう。
デライト収益目標達成もまだ油断出来ない状況にあり,多少の迷いはあった。そんな思考と裏腹に,この日も花の散歩再開,食生活改善の進展などがあり,自然と黄金日以上の調和的な生活を取り戻しつつある。こうなると,もはや律動的集中生活の意義もよく分からなくなってくる。
そもそも,切り替えやすいように短期集中生活ではなく律動的集中生活にしたので,開発時間がもっと欲しいとなれば,その時にまた切り替えればいい。金風を上手く捉えたことは,収益目標達成のかわりとするに十分な収穫でもあった。
ただし,ずっと後回しにしてきた書類整理と譜類整理をこの機会に進めたいため,これらが一段落するまで朝の輪郭整備と朝の一日一文は引き続き休みにしておく。
今日は1回目の新型コロナワクチン接種で朝から出かけ,少しぶらぶら歩いた。
金か時間かの岐路で時間を選んで歩んできたこの9年だが,もし金を選んで,今と同じくらい奇跡的に成功し,数百億円やら数千億円やらの金を手にしていたらどうなっていたか,などと考えた。
やはり,希哲館事業をここまで持ってくるには,そこから更に10年前後かかるだろう。それも奇跡的に上手く行っての話だ。時機を逃せば,どれだけ金をかけても時間をかけても無理だろう。しかし,今の希哲館事業なら金はどこまでも,どうとでもなる。
どこにも売っていない,誰も持っていない物は時間から生み出すしかない。金は後から付いてくる。この考えは正しかった。どれだけ金を積んでも手に入れられないデライトという至宝を,いま私は手にしていて,金の心配まで無くなったのだから。
帰ってからは作業場周りの大掃除をした。積年の垢を落とせたようで清々しく,気持ち良かった。
色々な思い入れのある音楽を聴きながら,色々な思い入れのある物の埃を取っていると,ここにいたるまでの思い出が走馬灯のように蘇ってくる。思わず感極まってしまった。
つくづく,恵まれ,助けられてきた人生だった。今度こそ自分が皆を助けられるように頑張らなくてはならない,と思えた。
目立って悪いところもなく,記憶している限り手触りも色も愛用していた物に近いが,やはり何年も使っていたものの代わりとしては多少の違和感がある。以前の物も最初はそんな感じだった気もする。使っていれば馴染むのかもしれない。
18日の大きな出来事にそろそろ名前を付けないと参照しにくいなと色々考えていた。
散歩中,「神風」は何かと紛らわしいかなどと考えながら,「金風」という名前を思い付いた。最初は駄洒落の域を出ず,流石に露骨過ぎて品がないのですぐ思い止まった。
しかし,後で調べてみると,秋風を意味する「金風」という漢語があるらしい。偶然にしては出来過ぎだが,「金風」が急に運命的で雅な語に思えてきた。とりあえずこう呼んでおくことにした。
金風が吹いてから一週間ほど経つが,余裕が出来た分だけやりたいこと,やらなくてはならないことが増え,結局気楽なことは何もない。もっとも,ここで“上がり”だと思って気を抜いていたら,それはそれで心配だ。良いことなのだろう。
散歩で,もはや“聖地”となった土手の方まで歩いてみれば,なにか別の感慨が湧いてくるのではないかと思ったが,そんなこともなかった。
金風はデライトの成功をより早く,確実に,大きくする奇跡的な追い風ではあったが,それによって私の生活や希哲館事業の方向性が変わるわけではない。向かい風が追い風に変わったわけでもなく,もともと追い風が吹いていた所に重なってきたようなものだ。そういう意味では,そもそも実感すべきことなど無かったのかもしれない。
調子を整えるため,今日は臨時休業にした。ようやくまともな睡眠が取れたこともあってか,顔色もだいぶ明るくなってきた。
新型コロナワクチン接種の予約も済ませた。これまで考える余裕も無かった。
ふと,以前使っていたようなニット帽がまた欲しくなり,ショッピングセンターに探しに行った。
確か,誕生日にもらったものだ。もともと帽子嫌いだったためしばらく使わなかったが,日本橋に居た頃,折り畳み自転車に乗る時に被り始めてから便利なことに気付いた。それから穴があく何年か前までよく使っていた。整髪の負担軽減や紫外線対策になり,ついでにお洒落としても評判が良かった。
しかし,素材や厚みなど同じようなものが見つからなかった。サマーニット帽という奴なのか,薄手で一年中使えるものだったが,いまその辺の店舗に置いてあるものは大体厚い。
結局,一時凌ぎでアディダスのランニングキャップを買って来た。これでも散歩や近所での買い出し程度の外出には十分使えるだろう。
ニット帽はネットではそれらしいものが色々見つかるが,流石に画像だけでは何とも言えないのでじっくり探すことにした。一応,当時の物に近そうな物を試しに一つ注文しておいた。
ニット帽について考えていたら,折り畳み自転車についても色々思い出した。デライト収益目標達成を果して,もう少しぶらぶらする時間的余裕が出来たらまた欲しい。
当時乗っていたのはダホンの Speed P8 だった。今の後継製品は Speed Falco らしいが,14インチの K3 に人気が集まっているようだ。確かに,折り畳みである以上走行性能より可搬性に惹かれてしまう。ロードスターに積めるというのも大きい。
ここまで思い出したら,久しぶりに『希希遊記』についても考えてしまった。
まだとりとめのない考え事が多く,調子が出るまでに時間がかかったが,KNEST 隠し実装を本格的に再開出来た。
今後の組計に関しては,10月までのデライト収益目標達成という目標は維持し,最低限の事務と整清以外は極力新生デライト開発に集中する。さらに,7日の日記でデライトの早期成功の目安とした希哲16年1月までは1ヶ月ずつ延長可能とすることにした。
それで達成出来なかったとしてもまだ余裕はあり,先行きに不安はないが,しいていえば,この状況に安心感と解放感を抱き過ぎているのが不安だ。敵の本丸を蟻の這い出る隙もないように取り囲み,あとは陥落を待つのみ……勝利は確実に目前にあるが,まだ戦いは終わっていない。一番怖いのは油断だ。
今年に入ってからも目先の利益を見送り続け,長期的利益を見込んだ作業を挟むことが多かったが,それによって,この降って湧いたような幸運を最大限に増幅することが出来た。
偶然はあるが,その偶然を奇跡に変えるデライトの知能増幅にも正直驚いている。
開発時間が多くなることで運動不足になりやすくなるため,毎日の散歩と隔日の陶練は欠かさないようにしたい。
ここ数日,興奮やら感傷やらで睡眠も乱れているので今日からしっかり寝ることにした。