{奈良県}{希哲18年7月15日}{希哲18年7月の一日一文}{この機会に}{機を逸してきた}{どうでもよかった}{このこと}{自分の人生}{分かち難い}{つい先日}(656)

{『友人・鈴木仁大の想い出』 K#F85E/0758-F431}

知り合ってからかれこれ20年になる友人,「鈴木さん」こと鈴木仁大よしひろ長年の夢叶えたという知らせ先日あり,色々なこと思い出していたなにせ20歳頃出会いなので,大人になってから人生想い出ずっと関わっている人物だ。


20歳の誕生日迎えようかという私は奈良県にある某宗教施設にいた。閃きによって17歳希哲館事業青写真得ていたは,この事業絶望的な道程絶望していた自殺未遂騒動まで起こし親戚一同巻き込んで,「更生」のためあちこち連れ出されていたその一つが,某宗教体験ツアー的な行事だった。これについては色々と面白い話があるが,長くなるので端折るとにかく,その合宿所のようなところで,相部屋だったのが鈴木さんだ。

第一印象最悪だった。外見は,明るく染めた髪逆立てカラフル古着ふざけた小物ごちゃごちゃ引っ提げアメカジなんだかパンクファッションなんだかよく分からない格好をした,当時22歳23歳若い男だ。いかにもろくな教育受けていなさそうで,クスリでもやっていそう雰囲気だった。当然ながらこの時,この人物から人生一番大きな影響受けることは知る由もない

こんな男とはいえ相部屋なので,多少打ち解けてくるというよりこの男外見割に礼儀正しく,気さく良い兄ちゃんだった。勉強とはあまり縁が無さそうだったが,地頭が良いのか,話していても面白いある日オールディーズ好きということで意気投合してからは一気に仲良くなってしまいそれからよく行動を共にするようになった。この頃私は希哲館事業への絶望を,酔ったような昔のアメリカ音楽紛らわしていたのだった。

私も鈴木さんも,この宗教信者でもなければ信者になるつもりもなく,この非日常的な体験を,ある種のテーマパークのように楽しんでいたそれでいいという気楽な一般向け行事でもあったので,そこには老若男女いろいろがいた。そして,鈴木さんあっという間にそこで一番の人気者になっていた。若い女の子達から強面老人まで,鈴木さん好きだったお洒落面白くて,誰にでも誠実優しい人だ。中肉中背だが,若い頃塚本高史少し似ていて,お世辞抜きいわゆるイケメンだった。

聞けば国内外あちこち旅をしながら自分なりの生き方模索しているという。ここに来たのもその一環らしい。旅先での面白い話よく聞かせてくれた色々な所色々な人触れ合ってドタバタしている喜劇的な生活楽しそうだった。むしろ鈴木さんより人生楽しんでいるいないのではないかとすら思えた言ってみれば今風寅さんだ。


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{希哲18年7月11日}{溶け合ってくる}{画期的な出来事}{真っ当に}{不自然になってくる}{活用しない}{曝け出されていく}{相互活用}{心情的に}{秘密主義的}(95)

{希哲18年7月11日の日記 K#F85E/0758-B01B}

黄金日

何かと片付いて落ち着けるようになり就床時間守るようになってからよく眠れるようになった睡眠時間帯定まるようになって生活律動安定してきた睡眠改善第五次生活習慣改善でもなかなか進展しない課題だったので嬉しい

メリハリをつけるために進捗記録の再開もし,姿勢矯正丁寧な咀嚼再び意識することにした。進捗時限法進捗記録長期安定体制への転換をしたから外務との兼ね合い実践難しくなっていた


最近リアル希哲館事業垣根について考えることが増えた少しずつ垣根小さくしてきたし,デライト以後無くしたはずだが,積極的に相互活用してきたとは言えない

多少危険なこと想定していた時期異なりデライト以後隠すべきこと無くなったが,心情的にまだ秘密主義的部分引きずっていたり,リアルデライト互いに心許ないところがあったりした。

両者十分に成熟した今なら新露出戦略のようなことは別にもっと自然に相互活用できるだろう。一日一文などで私自身人間像どんどん曝け出されていくし,私の社会生活においてもデライト活用しないことがどんどん不自然になってくる生活良い意味単純化していけば自ずと溶け合ってくるそれによって精神的負担だいぶ小さくなる

デライトによって希哲館事業社会真っ当につながったということで,これはこれで画期的な出来事だ。


11日
覚え書き
13日
振り返り書き上げ
{日本}{希哲17年8月の一日一文}{開発}{成功観}{}{}{}{}{}{前後}(278)

{『私の成功観』 K#F85E/0758-C044}

長期安定体制じっくり構築するため,6月7月半ば夏休み気分過ごしていたが,8月からは気持ち切り替えてデライトの完全な成功希哲館事業の成功向けて調子を上げていきたい

そんな8月最初の一日一文題材には,私自身成功観についてが相応しいだろう。そもそも私自身がこの希哲館事業何を目指しているのか,改めてこれまで以上に明確に記しておきたい


さて,「デライトの完全な成功」というのは希哲館事業における目下最大の課題だ。

人気があるサービス必ずしも幸福なサービスではない,というネットサービス開発運営難しさ旧 Twitter騒動広く知られるようになった。もっとも非業界人にも分かりやすくなっただけで,全く問題を抱えていないサービスほぼ存在しないというのが業界実態だ。

デライトは,集客成功していない除けばあらゆる意味極めて上手く行っているサービス言えるデライトの不完全な成功。これが「デライトの完全な成功」という表現多用している理由だが,ではなぜデライト集客成功していないのだろうか。よく考えてみればそう不思議なことでもない。

多くのサービス当然ながら営利目的なので,集客第一考えるすぐに利益出なくても金の卵」である利用者数伸びれば投資集まる。その過程で,無理な資金繰りをしたり,人間関係権利関係しがらみ作ったりいわゆる技術的負債積み上げてしまったり,構想として小さくまとまってしまったりする(これが日本人一番多いそうしなければ生き残れないからだ。デライト場合幸運なことにそうしなくても生き残れてしまった集客最後回せた稀有なサービスなのだ。

デライトその完全な成功何のためにあるのかといえば,希哲館事業の成功ためだ。デライト背景としての希哲館事業については「デライトの歩み」にもざっと書いたが,日本かつてのイギリス産業革命越えるような知識産業革命起こして米中大きく凌ぐ極大国ハイパーパワー成長させ日本盟主とした自由民主主義究極形希哲民主主義によって世界中権威主義体制打倒によって万人自由平和享受出来る世界作り上げることが希哲館事業目的であり,最終的な成功だ。

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{一日一文}{サービス}{希哲17年7月}{希哲17年5月}{希哲17年7月の一日一文}{なくなってきた}{幸運ぶり}{この期に及んで}{お腹いっぱい}{生きるべき}(92)

{希哲館事業は長期安定体制へ K#F85E/0758-E7F9}

希哲館事業は,5月から“長期安定体制”への転換始め,この7月新体制完成させた

長期安定体制の完成は,「デライトの完全な成功」を果すため質・量ともに十分な時間確保出来たということを意味する。この体制で,デライト改良コンテンツ整備宣伝はもちろん,希哲館事業全体かかわる環境整備私自身生活の質改善など,あらゆる要素改善じっくりバランス良く進めていきたい

サービス開発運営経験を積んでみてつくづく思うのは,サービス生き物だということだ。複製されたスタンドアローン型ソフトウェア違ってサービス常に生きていなければならない健全活力あるサービス健全活力ある人間にしか維持出来ない私はデライト名実ともに世界最高のサービスとして成功させたいので,私自身それに見合う人間でなければならないと思っている

何よりここまでデライト開発成功させ,この SNS 戦国時代KNS という唯一無二構想持って立っている奇跡お腹いっぱいだ。宝くじ何百回当てて宝くじ注ぎ込むような綱渡りをしてきたが,すでに得たもの大き過ぎて,それを賭ける値する博打なくなってきた流石にそろそろ堅実生きるべきではないか。そんな心境の変化と,この期に及んで安定取り戻す選択肢があった幸運ぶり象徴する出来事になりそうだ。


{開発}{方向}{}{}{}{}{一日一文}{サービス}{希哲17年2月}{希哲17年7月の一日一文}(204)

{X(旧 Twitter)はなぜライトモードを捨てたかったのか K#F85E/0758-FB71}

昨日X旧 Twitterダークモード以外配色モード廃止するイーロン・マスク氏が表明し反対意見殺到するという騒動があった。結局ダークモードデフォルトにしてライトモード一応残すという方向軟化させたようだ。

デライトでは,今年2月ダークモード(ダークテーマ)対応実現したばかりなので,個人的に色々思うことがあった。前回予告した KNS についての文章時間がかかり過ぎているため,今回の一日一文つなぎとして,開発者の視点からこの騒動背景について書いてみたい


デライト元々明るい配色いわゆるライトモードのみでやってきた大きな理由一つに,イメージ問題がある白背景基本としたデザインにはやはり明るく清潔印象がある。サービスメディア紹介されるなど,イメージ戦略考えるとこれは馬鹿にできない

個人的には黒背景好きだが,この種のネットサービスではどうしてもアングラ感出てしまう背景色微かな灰色にすることも試したが,白背景比べるちょっとくすんだような,地味印象になってしまう。なるほどダークモード流行しても大手サービス多くデフォルト眩しい白背景採用している理由はこれかと思ったものだ。

今年2月満を持してダークモード対応完了し,テストがてらダークモード常用していた時期がある。最初新鮮さもあって,それこそダークモードだけでやっていけそう気がしたが,慣れてくると,眠気が強くなったり,いまいち調子が上がらないことに気付いて結局ライトモード常用する生活戻った

ライトモードダークモードも,どう感じるかは個人差環境差によるところが大きいどちらかが万能だと思ってしまうのは,単純な経験不足なのだろう。今回の騒動は,ソフトウェア開発におけるマスク氏の経験不足と,新しいロゴ象徴される偏った趣味起因する出来事とも言える

ただもう少し踏み込むと,マスク氏をこの拙速追い込んだ X切実な開発事情見えてくる

配色モード追加維持というのは,見かけよりずっとコストかかる例えば外観絡むような機能追加をしたそれぞれの配色モード問題生じていない確認する必要があるし,問題があれば個別に調整する必要があるそして,このコストは,既存のコード保守状況ければ悪いほど,変更程度多大であればあるほど高くなる

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{日本}{イギリス}{『希哲日記』}{}{}{}{日記}{}{}{}(401)

{希哲17年7月15日の日記 K#F85E/0758-279C}

激化する SNS 戦国時代の中で,サービス文化について考えさせられること多い今日ちょっと面白い発見もあった。

以前にも SNS におけるオタク文化について考えたことがあるが3月1日の日記依然としてその影響力強い感じる例えばMisskey猫耳機能などは私の価値観からすると完全にありえないものだが,そういう部分があることでオタク層からの信頼得ているはあるだろう。誰かにとっての「居心地の良さ」を提供することは SNS核心であって,Misskeyまだ小規模ながら興味深い事例ではある。

最近でいえば,Threads急速な台頭によって,キラキラした Instagram 的な対するドブ川」としての Twitter に,想像以上に多くの Twitter 用者想像以上に強い愛着持っていることが分かってきた。「陽キャ」に対する陰キャ」のコミュニティであるという意識やはり根強いようだ。それは単なる自虐というより,昔から言う明るい人気者ほどつまらない」とか「面白い奴には根暗多い」とか,その種含みがある。

確かに自分が好きだったお笑い芸人なんかを振り返ってみても,根暗ひねくれていたばかりだ。そういう人が,業界一定の地位いて妙に社交的な「明るい人」になったりして,つまらないこと笑うようになり,かつての面白さ失っていく,という哀しい現象よく見てきた

明るい人というのは箸が転んでもおかしいというなので,日常そこまでひねりの効いた刺激求めていないのだ。Twitter 用者Instagram 的SNS感じるつまらなさとは,こういうことなのだと思う

幼稚なデマ煽られやすいなど,全体としては知的脆弱さ目立つ Twitter ではあるが,役立つ投稿面白い投稿比較的多いことは認めざるをえない学問文芸も,多少ひねくれていたり,オタク気質だったりするくらいが丁度良いからだろう。その点で,Twitter 文化にはマイクロブログ型 SNS における確かな優位性がある。

そういう観点からデライト文化について考えてみたら,対 Twitter 戦略なんて無理筋じゃないかと一瞬思いかけた。というのも,デライト文化種子たる私自身が,人間の限りない可能性限りない成功対して限りなく楽天的性格であって,その実現のためにデライト開発してきたからだ。サービス名〈delight〉歓喜かけているくらいなので,そもそもデライトこの上なく明るい気分から生まれているそういう意味では,インスタグラマー真っ青キラキラ志向なのだ。

単純な話Twitter陰キャ寄りオタク寄りSNS だとして,デライトそうでないとすると,どうやって用者移行させるのかという問題があるここまでのデライト運営実感としても,Twitterはじめとするマイクロブログ型 SNS からの訪問者は,明らかにデライト文化引いている

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{黄金週間}{『希哲日記』}{日記}{}{希哲17年2月}{譜類添付機能}{希哲17年3月31日}{一年毎}{離れられなくなっている}{作業に没頭する}(88)

{希哲17年3月31日の日記 K#F85E/E74C-94C6}

今月の雑務片付き晴れ晴れとした気持ち過ごせるのはずだったが,親戚についての不吉な報せから聞いてしまい気分沈んだ

私自身このまま健康ならあと五十年粘れるが,待ってくれないものもある,という単純な事実思い出させられたここ数年一年毎くらいで似たようなことがあり,似たようなこと考えている気がするそういう年齢なのだろう。

希哲館事業の成功果したには恩返し償い出来ないままいなくなっているかもしれないと思う背筋が凍る雑務なまじ楽しくなってきて良くも悪くも緩んでいた気持ちが,思いがけず引き締まった

とはいえいま自分出来ることデライト開発着実に進めていくことしかない。杞憂消耗していても仕方ないので,気を取り直して平常心作業に没頭することにした。


今月の開発では閲覧専用模動譜類添付機能大きな収穫だったが,新生デライトの完成持ち越しとなった。

特に譜類添付機能中途半端に良い出来で,先月ダークテーマ全知検索窓固定機能のように調整作業から離れられなくなっている早く落とし所見つけたい

いずれにせよ年度替わり集客には不向き時期なので,また黄金週間睨んで調整していくことにした。

{『希哲日記』}{一から}{日記}{}{}{デライト}{とらわれず}{精神の最適化}{長年の}{無茶な話}(115)

{希哲17年3月1日の日記 K#F85E/E74C-5E35}

最近SNS 戦国時代観察しながらオタク文化」についてよく考えていたが,これまでオタクというものを漠然としか理解していなかったことに気付いた

同時に自分オタクではないということにも気付いてしまった昔からオタク文化には抵抗が無いのにネットオタク交鳴体コミュニティやたら苦手だった。それはオタク嫌いだからではなく,元々子供時代から特定の集団属することが苦手だったからだ。

教室の隅漫画を描いているような勉強好きな子スポーツ少年不良少年……誰とでも遊びたいし,なんでも知りたいなんでもやりたい,そういう子供だったよな,なんてことを思い出していた私にとって,それが「自由」の原体験だった。やがてそれは人生観世界観となり,希哲館事業にもデライトにも繋がっている。「なんでもメモ」の真意は,分野とらわれず,この世界について網羅した百科全書自分の中で育てようということだ。

そもそもこんなことを考え始めたのは,オタク交鳴体味方に付けられるSNS地盤作りには有利だなと感じることがあったからだ。人を選ぶ側面もあるが,デライト直面しているキャズム早さ深さ考えると,隣の芝生的に羨ましい思わなくもない

結局私自身は,オタク文化つまみ食いするのは好きでも,オタク文化囲まれるのは嫌い人間であって,いわゆるオタクとは言えないのだということに気付いてしまうと,何か期待していたことも滑稽思えてくる

巨大なオタク交鳴体味方に付けても SNS立ち上げには長い年月大きな苦労伴うというのに,デライトの文化一から広めるってどれだけ無茶な話なんだ,という気重気付きでもあった。前向き考えれば長年のもやもや晴れすっきりした部分もあるので,精神の最適化進んだとも言えるか。

2日振り返り日記

{開発}{開発記録}{右肩}{一通り}{十分}{デライト}{filter}{ダークテーマの様子・輪郭選り手}{ダークテーマの様子・輪郭小窓}{ダークテーマの様子・Mermaid}(170)

{希哲17年2月12日の開発 K#F85E/E74C-A440}

{私自身}

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