第二次知番改良からか。
{希哲17年1月7日の日記 K#F85E/E74C-3AC0}
宇田川浩行無理をしないと書いたそばから,調子が良いを通り越して過熱気味で,また寝るのが遅くなってしまった。
開発では輪郭選り手の改良に熱中し,輪郭整備もまたお預けとなった。ただ,描出効率の大きな向上が見込める改良となり,今後の輪郭整備を考えればむしろ良かった。きっかけは昨日の開発での不具合修正で,これも怪我の功名だった。
輪郭選り手改良に意識が向いたのは,最近,執筆環境としてのデライトへの期待が高まっていたからかもしれない。もちろん,デライト文書整備が念頭にある。
デライトの完全な成功までの「最後の壁」だと思っていたものを突破しては次の壁にぶつかるということを繰り返してきたので,“その時”が来るまで,結局何が「最後の壁」なのかは分からないだろう。
用者が大きく増えないままデライトが進歩し,洗練されるたびに不思議な感覚を覚えてきた。こんなに凄いものをこんなに少人数で使っていることに,罪悪感に近いものを覚える。隠しているわけでもないのに独占しているみたいだ。事実,デライトほど構想的・技術的に高度で,高品質で,なおかつ無名なサービスは他に無いだろう。
現在のデライトを俯瞰した時,明らかに欠けている大きな部分はもはや一つしかない。それが“文書”だ。
正式離立から適当な状態のまま,ほとんど手を入れていないデライト文書の整備を遅らせてきたことには,修正回数を最小限に抑えるという戦略的な理由があった。実際,ここまでのデライトの急激な変化にいちいち文書を追随させていたら,デライト開発自体がここまでの速さで進んでいないだろう。第二次快調期と第四次宣伝攻勢を経て,安定感が出てきた今が一番効率的・効果的に文書整備を進められる時期なのは間違いない。
{希哲16年12月31日の日記 K#F85E/E74C-53A4}
宇田川浩行{希哲16年12月14日の日記 K#F85E/E74C-B161}
宇田川浩行ちょっとした用事を片付け,第二次快調期からまともに出来なくなっていた書類整理も少し進め,あとは大輪郭整備や考え事をして過ごした。
考え事での大きな収穫として,文書整備にかかわるデライト用語体系の方針がまとまった。
デライト用語体系に関しては,従来の輪郭法新用語体系を基礎に,初心者向けの分かりやすい代替用語の導入などを検討していたが,これはやめ,基本的に新用語体系をそのまま踏襲し,説明体系を洗練させていくことにした。
例えば,知名を「輪郭名」,知番を「輪郭番号」などと説明することを考えていたが,元々技術としての固有性・独立性が高い知番に関しては早々に断念していた。「輪郭名」などを補助的に導入するかどうかで最後まで迷っていたのが知名だった。この問題を考える上で,「知名」という用語の妥当性についても再考する必要があった。
「知名」の必然性について直感的な確信はあったものの,言語化が意外と難しかった。それを象徴するかのように,いつからか,輪郭「知名」の選り手は開きっぱなしで,再描出下書き抜控一覧を実装した頃から常に表示されている唯一の輪郭になっている。
知名は単なる「記事名」でも「題名」でもなく,森羅万象に付けることが出来る認知上の名前であり,その性質は既成語では表現出来ない。更に,「輪郭の名前」として輪郭に従属するものではなく,あくまでも「知の名前」として理解される必要がある。そうでなければ,そもそも輪郭が何を目的として何を扱っているのか分からなくなってしまうし,自己目的化しかねない。ここに知名という用語の必然性がある。輪郭とは,知の名前と知の番号を鍵に知そのものを具現化するものだ。
この方向で説明体系を洗練させていけば,代替用語は複雑化を招くだけのものになる。「急がば回れ」で,多少時間はかかってもデライトを正しく理解出来る説明をしていくべきだろう。この点において,特に「輪郭」「知名」「知番」「描写」といった基礎用語には動かしがたい“正しさ”があり,それは十分わかりやすく説明出来る。ようやくその確信が持てた。
{希哲16年12月11日の日記 K#F85E/E74C-BBAC}
宇田川浩行{希哲16年11月24日の日記 K#F85E/E74C-DFA1}
宇田川浩行一夜明けて特に未練も無かったので,ツイストの無期限停止と,それに伴う Twitter アカウントの削除を決めた。
やはり,デライトの用者体験が向上し過ぎて,他のサービスに全く気が向かない,ということに自分で気付いてしまったのが決定的だった。この調子では今後もツイストの優先順位は上がりそうにない。Twitter に関しては,拡散力といってもデライトとの相性による限界もあり,蒔けるだけの種は蒔いたという感覚がある。
第二次快調期は最高の開発者体験だったが,10月頃から輪郭整備の時間を増やしたことで最高の用者体験が得られたのも大きかった。小手先の宣伝活動もいいが,ここに唯一無二の体験があるという事実を示し続けること以上に重要な市場活動は無い。
今後は,デライト開発と,輪郭整備や一日一文などでの献典整備をひたすら進めてデライトの完全な成功を目指す。飛んで火に入る夏の虫というべきか,鴨が葱を背負って来るというべきか,ちょうど世界一の富豪が分の良い勝負に持ち込んでくれたところだ。これに勝てば世界がひっくり返る。
その希望が外部サービスに依存せず持てていることに大きな成長を感じた。同時に,ツイストが役目を終えたことを悟った。希哲12年1月17日に考案してからおよそ5年,ツイストのある生活がデライトを育てた。
多くの人が SNS にロックインされ,独自の価値を持った新しいサービスが育たない中にあって,発信力だけ利用して自サービスに蓄積出来た戦略としての正しさも再確認した。ツイストをしていなければ出会えなかった人も多いし,普通に SNS を利用していたら SNS に同化してしまっただろう。
解放感と達成感によるものか,朝から晴れ晴れとした気分で,顔色も非常に良かった。そもそも SNS という性に合わないものをなんとか利用するための折衷案がツイストであり,それ相応に精神的負担だったのだろう。
{希哲16年11月6日の日記 K#F85E/E74C-5CA2}
宇田川浩行非常に収穫の多い気分転換として輪郭整備に時間を割くようになったが,やっているうちに,むしろこれこそ今やるべきことなのではないかという気がしてきた。
もともと輪郭量に対して輪括量・描写量が少な過ぎるという問題があったが,優先順位の問題でなかなか本格的な輪郭整備は進まなかった。第二次快調期を経て描出効率も発信能力も飛躍的に向上し,十分な時間対効果が期待出来るようになっている。
もう一つ,他用者への波及効果が意外と大きい感触がある。やはり,私自身が活発に描出しているかどうかで他用者の賑わいも違う気がする。この用者の少なさで一番の重用者なので,当然といえば当然だ。
開発に没頭していた期間,大きな収穫があっても用者の反応に乏しいということがよくあり,違和感を覚えていた。一つの理由として,そういう時期は待欄が進捗記録などの事務的な記録で埋まりがちで,献典として面白くないということがあったのかもしれない。
先日の日記では,Twitter の騒動を利用することに関して消極的な見方をしていたが,よく考えると,そもそも「Twitter ではない Twitter のようなもの」が失敗してきた理由は,Twitter との差別化が出来ていなかったからだ。この場合,KNS としてのデライトの革新性は,障害ではなく近道として機能するかもしれない。積極的に利用することを考えるべきか。
面白いのは,デライトのキャズムについて最近考えていたこととの対比だ。個人知識管理通類の用者層は意外と保守的であり,大きな変化を望んでいない人が多い。それはメモと自己保存欲求の相性の良さから来ているのではないか,と考えていた。先述の用者の反応に乏しい問題にも通じるが,新機能を追加しても意外と喜んでもらえない。こうした層向けには,印迫よりも安心感を与える施策が必要なのだろう。
この二方面への売り込み方を上手く使い分け,組み合わせることで新しい道が開けそうだ。
{希哲16年6月17日の日記 K#F85E/E74C-A4FB}
宇田川浩行{第二次知番改良 K#F85E/E74C-8D2A}
宇田川浩行{希哲16年4月14日の日記 K#F85E/E74C-8D6F}
宇田川浩行昨年11月30日から Galaxy S21 5G で写真を撮り始め,写真上信の環境を整えたが,これをきっかけに第二次知番改良,第二次快調期とデライト開発が急進展したため,11月30日の最初の4枚しか上信出来ていなかった。写真よりも開発記録のための画面撮りの上信に活用することが多かった。
最近,良い春の写真が溜まってきたこともあり,なんとかしたいと思っていた。大輪郭整備といいつつ輪郭整備もろくに出来ていなかったので,輪郭整備を兼ねた写真整理という形が良さそうだと考えたものの,間もなく第四次宣伝攻勢という時期で開発時間を削っていいものか,迷いがあった。
この日はサイクリングという天気でもなく,姉が姪達を連れてくるので開発に集中出来そうでもなく,とたまたま輪郭整備兼写真整理に適した条件が揃った。想像していたよりずっと手応えが良く,デライトが豊かに感じられる。やってみて,むしろこれは第四次宣伝攻勢前にやっておくべきことだと気付いた。新生デライトが「仏作って魂入れず」になるところだった。
一日がかりでやれば S21 で撮った写真くらいは終わるかと思ったが,思いのほか量が多いので,開発作業の合間に少しずつやっていくことにした。過去の写真が片付いたら新しい写真をこまめに上信するようにし,デライトにおける日常の表現をより豊かにしたい。また一つ,停滞していた課題が良い方向に滑り出して清々しい気分だった。
日本では S22 の発売日が今月21日になったが,一時考えたように待っていたらこの快調期は別の形になっていたかもしれず,良い春の写真も撮り逃していただろう。そう考えると,あの機種変更も奇跡的な出来事に思えてくる。
{希哲16年3月15日の日記 K#F85E/E74C-4AA3}
宇田川浩行12日の脳爆発を引きずってまだ脳疲労感が残っていた。一ヶ月分にも相当するであろう収穫だったのだから仕方ないと,気分転換も兼ねて,半年ほど放置していた Aejs 整備を再開してみることにした。
まずは交度の見直しと軽く違了修正程度出来ればいいと始めたものの,驚くべきことに,作業の続きがよく捗った。これだけ間があくと,作業方針を思い出すのと再整理に時間がかかるのではないかと思っていたが,むしろ中断前より捗った気がする。この半年間での環境整備や設計方針の洗練,知見の蓄積がそれだけ大きかったのだろう。当時は,ゆとりがなく混沌とした状況でもあった。
金風で中断してからなかなか再開出来ず,中途半端な状態で出振るいも出来ず,前縁周りの作業が非常に進めにくい状況ではあったが,この間の収穫を考えれば仕方ないと思っていた。設計面・仕様面での変化も小さくなかったので,再修正の手間も省けた。唯一の懸念だった作業再開にかかる負担が全くと言っていいほど無かったのだから,仕方ないどころか大正解だったと言うべきだろう。
Aejs 整備の中断経緯について記録を振り返っている内に,もう一つの放置課題だった KNEST 隠し実装についても再整理が急速に進んだ。
輪郭選り手抜控機能整備がなかなか進まなかったことで Aejs 整備に入ったのが昨年9月9日だった。14日11歩を最後にそれも止まり,代わりに HTML 隠し実装からの KNEST 隠し実装に重点を移すことにした。頭の整理をしているうちに18日になり,金風が起きた。以後は何度か再開を試みているが継続出来ず,そのまま第二次快調期に突入した。
金風があまりに大きい出来事だったので,このあたりで記憶が分断されている感覚がずっとあった。特に Aejs 整備と KNEST 隠し実装は,第二次快調期でも置き去りになっていた部分で心残りだった。第四次宣伝攻勢に向けて新生デライト開発も佳境というところで二つの強力な武器を上手く取り戻せた。言うまでもなく,極めて大きな収穫だ。
今日は疲労回復のため休みにしたが,次回の陶練からランニングを再開することにした。