第四次宣伝攻勢に入って間もない希哲16年(2022年)5月頃から使い始めた表現(参考:デライトの歩み)。
集客面での伸び悩みという一点を除いてデライトが理想的な状態(→デライトの不完全な成功)に達していることから,それまで使っていた「デライトの成功」という表現に違和感を覚えるようになっていた。
昨晩は興奮気味で久しぶりの短時間睡眠だったが,一日一文「私の成功観」を書き上げ,デライト開発も捗り出し,快調だった。
一日一文に書いた通り,あと1年かかるとしても奇跡を越えた出来事になるデライトの完全な成功だが,夢は楽しい方が良いので,とりあえずは年内達成を緩く目指すことにした。
最近,花の様子がおかしく,ちょくちょく動物病院に行っているが,今日も診てもらってきたようだ。抜け毛と皮膚の赤みがひどくなってきて,妙にふらふらしている。直ちに命にかかわるような状態ではないものの,明確な治療法もなく様子見らしい。
死を想像して落ち込みかけたが,花の晩年にちょうど長期安定体制が完成しゆとりが出来たことを前向きにとらえることにした。4匹目の飼い犬の死で後悔だけはしたくないので,少しでも穏やかに長生きするように,出来る限りのことをする。
長期安定体制をじっくり構築するため,6月・7月は半ば夏休み気分で過ごしていたが,8月からは気持ちを切り替えてデライトの完全な成功・希哲館事業の成功に向けて調子を上げていきたい。
そんな8月最初の一日一文の題材には,私自身の成功観についてが相応しいだろう。そもそも私自身がこの希哲館事業で何を目指しているのか,改めて,これまで以上に明確に記しておきたい。
さて,「デライトの完全な成功」というのは希哲館事業における目下最大の課題だ。
人気があるサービスが必ずしも幸福なサービスではない,というネットサービス開発・運営の難しさが旧 Twitter の騒動で広く知られるようになった。もっとも,非業界人にも分かりやすくなっただけで,全く問題を抱えていないサービスはほぼ存在しないというのが業界の実態だ。
デライトは,集客に成功していない点を除けば,あらゆる意味で極めて上手く行っているサービスと言える(デライトの不完全な成功)。これが「デライトの完全な成功」という表現を多用している理由だが,ではなぜデライトは集客に成功していないのだろうか。よく考えてみればそう不思議なことでもない。
多くのサービスは当然ながら営利目的なので,集客を第一に考える。すぐに利益が出なくても「金の卵」である利用者数が伸びれば投資は集まる。その過程で,無理な資金繰りをしたり,人間関係や権利関係でしがらみを作ったり,いわゆる技術的負債を積み上げてしまったり,構想として小さくまとまってしまったりする(これが日本人に一番多い)。そうしなければ生き残れないからだ。デライトの場合,幸運なことに,そうしなくても生き残れてしまった。集客を最後に回せた稀有なサービスなのだ。
デライトとその完全な成功が何のためにあるのかといえば,希哲館事業の成功ためだ。デライトの背景としての希哲館事業については「デライトの歩み」にもざっと書いたが,日本でかつてのイギリス産業革命を越えるような知識産業革命を起こして米中を大きく凌ぐ極大国(ハイパーパワー)に成長させ,日本を盟主とした自由民主主義の究極形(希哲民主主義)によって世界中の権威主義体制を打倒,知によって万人が自由と平和と富を享受出来る世界を作り上げることが希哲館事業の目的であり,最終的な成功だ。
これが実現出来なければ,世界一の大富豪になろうが自分は「失敗者」である,というのが私が17歳頃から引きずってきた呪縛のような成功観だ。
希哲館事業は,5月から“長期安定体制”への転換を始め,この7月で新体制を完成させた。
長期安定体制の完成は,「デライトの完全な成功」を果すため質・量ともに十分な時間を確保出来たということを意味する。この体制で,デライトの改良,コンテンツ整備,宣伝はもちろん,希哲館事業全体にかかわる環境整備,私自身の生活の質改善など,あらゆる要素の改善をじっくり,バランス良く進めていきたい。
サービス開発・運営の経験を積んでみてつくづく思うのは,サービスは生き物だということだ。複製されたスタンドアローン型のソフトウェアと違って,サービスは常に生きていなければならない。健全で活力あるサービスは健全で活力ある人間にしか維持出来ない。私はデライトを名実ともに世界最高のサービスとして成功させたいので,私自身がそれに見合う人間でなければならないと思っている。
何より,ここまでデライト開発を成功させ,この SNS 戦国時代 に KNS という唯一無二の構想を持って立っている奇跡にお腹いっぱいだ。宝くじを何百回と当てては宝くじに注ぎ込むような綱渡りをしてきたが,すでに得たものが大き過ぎて,それを賭けるに値する博打もなくなってきた。流石にそろそろ堅実に生きるべきではないか。そんな心境の変化と,この期に及んで安定を取り戻す選択肢があった幸運ぶりを象徴する出来事になりそうだ。
昨日の日記にも書いたように,ほとんど世界史上最大の成功と言える「デライトの完全な成功」を果すには環境がぬるま湯過ぎるのかもしれない,とちょっとだけ考えていたところで,Twitter では閲覧制限を巡って大騒動になっていた。騒動の大きさは過去最大級かもしれない。
Twitter 危機は,サービス開発の難しさを非業界人にも分かりやすくしてくれたという点でやはり意義深いものがある。なぜデライトが「完全な成功」と「不完全な成功」を概念化しているのか,ぐっと理解してもらいやすくなった。
Twitter のように人気は集めていても問題を山ほど抱えていて,経営者に「地獄」と形容されるようなサービスもあれば,デライトのように閑散としていてもほぼ完全に理想的な状態にあって開発者・経営者にとっては天国そのものというサービスもある。考えてみれば,「完全な成功」と言えるサービスなんて一つも思い浮かばないし,それに限りなく接近しているデライトの到達点がいかに高いかということでもある。
ほとんどのサービスは集客の代償として様々な問題を抱え込んでしまうわけで,集客をここまで後回しにしてこれた,それだけ環境に恵まれていた,というのがデライト経営の特異性であり,優位性なのだろう。
長期安定体制の完成に向けた仕上げの月が始まったが,すでに落ち着いて楽しく日々を過ごせているので,早速大成功という感じだ。特に第五次生活習慣改善の進展は目覚ましく,健康面・美容面では毎日何かしら良い変化を感じるので楽しい。
ふと,これこそデライトの完全な成功に至らない最大の理由かもしれないとすら思った。結局,恵まれ過ぎていて切実さに欠ける。俗に言う成功を収めなくても幸せに生活出来てしまうのだから,必死にならないわけだ。そもそも,デライト以前にデルンを一人で使い続けられたのも,そんな生活が楽しかったからだ。その上「デライトの不完全な成功」を果してなお余力があること自体奇跡だ。甘やかされ過ぎている気がしないでもない。
だとしても,いまさら背水の陣という気にもなれないし,方針が変わるわけでもないが,微かな心の揺らぎを感じた。まあいつものことで,妙に冒険したくなるのは安定期に入った証拠だ。
生活習慣改善の甲斐あって,顔付きが一段と良くなってきた。過去最高の状態を100点とするなら85点くらいにはなった。3年以上前に撮った今のアイコン写真が良くも悪くも80点くらいの状態なので,だいぶ取り戻した感がある。このまま100点,欲を言えば120点を目指したい。
デライト開発生活ではなかなか難しかった睡眠改善と食事改善が大きな課題だ。
最近の生活習慣改善を正式に「第五次生活習慣改善」と呼ぶことにした。
輪郭整備をしながらこれまでの生活習慣改善について振り返ったりもしたが,やはり,生活習慣改善・黄金状態とデライトのあいだには切っても切れないものがある。第一次生活習慣改善はデライト開発への助走のようなものだった。最近,デライトの完全な成功への期待が高まる中にあって開発にブレーキをかける格好になったのも,心身の状態が釣り合っていないと感じていたからだ。
私にとって,二つの夢を同時に叶える唯一の希望がデライトの完全な成功であり,黄金状態とデライトは車の両輪だ。これからの長期安定体制を活用し,最高の状態で釣り合うようにじっくり調整していく。
長期安定体制の完成に向けてのちょっと面倒だった雑務が片付き,一層気楽になった。あとは7月いっぱいまで新旧雑務を並行したら完全移行出来る。
長期安定体制では,「持続可能な黄金生活」の確立を一つの定問とすることにした。デライトの完全な成功が遠くないとしても,この安心感が心身に与える影響は大きい。
最近,マスク無しで外出することが増え,気分的にも画期だと感じている。
在宅かマスク着用での外出かという生活で表情が乏しくなっていたのか,外出先の鏡で自分の顔を見たりすると,ちょっと違和感を覚えることが多い。同様に表情に乏しかった時期を思い出すような顔付きなので,やはりマスク老けというやつなのだろう。
マスクの習慣にも利点がなくはないため少し迷っていたが,良い顔付きを完全に取り戻すため,出来るだけマスク無しで生活していくことにした。