{希哲17年5月16日の日記 K#F85E/E74C-D343}
宇田川浩行{希哲17年5月15日の日記 K#F85E/E74C-66BB}
宇田川浩行{希哲17年5月14日の日記 K#F85E/E74C-0100}
宇田川浩行{希哲17年3月27日の日記 K#F85E/E74C-6C4B}
宇田川浩行{希哲17年1月20日の開発 K#F85E/E74C-D455}
宇田川浩行全知検索演算子についての検討(1歩),交度埋め込み記法の実装方針検討と数式記法も含めた概念整理(5歩),知名デラングの対応方針についての検討(7歩),交度記法で対応言語スクリプトを動的に追加する方法についての検討(12歩)など,検討作業がよく捗った。
実作業も,交度写し取りボタン実装(13歩〜16歩),交度埋め込み記法調整などそこそこ捗ったが,特に大きかったのは,交度埋め込み記法と数式記法の概念整理が出来たことだった。
交度埋め込み記法と数式記法の概念整理
交度埋め込み記法では,対応言語に tex
,latex
,katex
を追加した。これまで katex
のみを追加するつもりだったが,意図の明示という観点から使い分けられる方が望ましい。例えば,KaTeX という実装にこだわらず LaTeX を書きたいということは十分に考えられる。
また,これまでは数式記法も KaTeX 交度埋め込み記法の糖衣構文程度に考えていたが,ここで「数式のための TeX 風記法」と位置付け直すことにした。これにより,例えば mhchem などの数式以外の応用は交度埋め込み記法を使うといった使い分けが可能になる。
Mermaid 対応以後,交度埋め込み記法で KaTeX に対応する機会を窺っていた。これは同記法を考案した時点で考えていたこと(希哲16年2月15日18歩)で,いずれ対応するつもりではあったが,30分もあれば十分だろうという実装コストの低さにもかかわらず,いまいち気が乗らなかった。
数式記法を糖衣構文として再定義する,それ以上の意義が見出せなかった。整合性という大義名分はあったが,悪い意味での冗長性を加えるような感覚もあり,なんとなくぼんやりした,すっきりしないものを感じていた。
{希哲17年1月3日の日記 K#F85E/E74C-9D6C}
宇田川浩行比較的早く調子を上げることが出来,開発作業もよく捗った。この調子で行きたい。
週1回くらいでいいと思っていた全身浴だが,結局毎日のようによく入っている。夜の休憩や,就寝前に気分を落ち着かせるのに丁度良い。全身浴を再開してから顔色や肌の調子なども非常に良い。もっとも,これはゆっくり湯に浸かれるだけの気持ちのゆとりが出来て,生活律動が整ってきたことも大きいのだろう。
そんなわけで今日も上手く就寝出来るかと思ったが,入浴前の21時頃から昔のことを色々思い出してしまい,少し調子が狂った。他自我内検索用合い改良兼自我ページ整備が出振るいまであと一息というところだったこともあり,寝るのは遅くなってしまった。
色々なことを思い出しながら,小学校高学年で経験した自由で満たされた時間,その中で抱いた理想と後悔が半世紀経って結実しつつあるのだと,これまでにないほど強く感じた。自分の中でまた重要な何かが更新されたような気がした。
デライトの完全な成功への意識が更に高まったので良しとする。
{希哲16年12月17日の日記 K#F85E/E74C-B627}
宇田川浩行{希哲16年6月12日の日記 K#F85E/E74C-2177}
宇田川浩行dg_kno_vac()
修正を終わらせて明日早朝出振るい,のつもりだったが,結果的にまた想定外の収穫を得てしまい早朝出振るいは見送ることにした。明日の状況次第では,早朝出振るいにこだわらず出振るいしてしまった方がいいかもしれない。
その代わり,今日は交度・出場整理がよく捗った。新括体採番法が出来た一昨年8月頃から2年近くも出場周りの本格的な作業をしていなかったため,錆びついた記憶と感覚を取り戻すのにどれだけ時間がかかるか,というのは不安材料の一つだった。それが,「第零番節の削除」に転換した8日の開発からわずか5日間で記憶も感覚も完全に戻ってきた。想定外とはいえ,今後の新生デライト開発を考えれば嬉しい収穫だ。
{希哲16年5月26日の開発 K#F85E/E74C-99B4}
宇田川浩行{希哲16年5月20日の日記 K#F85E/E74C-5438}
宇田川浩行朝から絶好調だった。開発もよく捗った。最近,一応7時30分頃には目が覚めるが,ちょっとした家庭の事情もあり,だらだらして10時過ぎから活動を始めることが多かった。今日は久しぶりに早起きしてきびきび過ごせた。これを継続出来れば理想的だ。
やはり,この一週間における心境の変化の分析から,「新生デライトの完成」と「デライトの完全な成功」を切り分けて考えるようになったことが大きい気がする。これまでは心の全体で適度な緊張感を保つことを意識していたが,特に第四次宣伝攻勢以後,これが難しくなったように感じていた。宣伝攻勢開始当初は力み過ぎたような気がしていたが,利楽してみると今度は弛み過ぎるような気がしていた。
それからこれまで,決して悪くはなかったが,思い描いていたように絶好調な日はほとんど無く,調子に波があった。
利楽していいことと緊張感を持つべきこと,極端な二つの問題意識が混在している状況で緊張感を等分しようとすると,必ず過不足が生じる。結果として,疲れ過ぎたり弛み過ぎたりする。要は,心の利素配分の問題だ。
依然として新生デライトへの期待は大きいが,それはそれとして,デライトの完全な成功には予断なく臨むべきだろう。新生デライトの完成はあくまでも通過点だ。その先を意識するようになったことで,新生デライト開発も適度に引き締められている。
この時期にあって非常に大きな気付きだが,一日一文を書いていなければこれも無かったのかと思うと不思議な気分だ。