{希哲17年6月3日の散歩 K#F85E/E74C-006F}
宇田川浩行{希哲17年5月12日の日記 K#F85E/E74C-ABEF}
宇田川浩行最近,顔付きにも精神状態にもデライト開発に入る前の希哲12年あたりの懐かしいものを感じている。デライト以後の高次化した黄金状態とも異なる,自然で穏やかな黄金状態が続いているような感じで,これはこれで良いものだと思う。
思えば,デライト開発が始まってから,一応の休日はあっても本当に心が休まることなどありえなかった。知らず知らず,気持ちのゆとりが出来ていたようだ。この心境の変化の要因を探ってみると,デライト開発とデライト市場戦略の局面の変化に行き着く。
目先の当努を追いかけながら,個人知識管理サービス市場における小さな波を大きくすることに四苦八苦する,これが長いことデライト開発というものだったが,今は,すぐそこまで来ている SNS 市場の大きな波を待ち構えながら,少しずつでもばら成し良く当努を進めていけばいい,という考え方が出来ている。これを軸に,生活全体がばら成し重視になってきている。
デライト以前の生活への回帰,というようなことは長期戦態勢に切り替えた昨年10月頃から11月頃にも感じていたが,間もなく第三次快調期が始まるなどして慌しくなり持続しなかった。回帰したまま希哲館事業の成功に向けた希望が保てるほどの条件も揃っていなかった(昨年12月21日の日記)。その後,新生デライトが仕上げ段階に入り,第五次デライト市場戦略の方向性が固まったことで条件が揃ったのだろう。
何はともあれ,“デライトのあるデライト以前のような生活”ほど幸福なものはないな,としみじみ思った。
{希哲17年2月21日5歩 K#F85E/E74C-5A3E}
宇田川浩行{希哲17年1月28日21歩 K#F85E/E74C-46A3}
宇田川浩行また新生デライトの要件外ではあるが,ついさっき,急に実装イメージがまとまってしまった輪郭複製機能実装で終了。出振るい・手定め済み。
描写欄が空の状態の新規描出フォームで,自輪郭の輪符を知名欄に貼り付けるかドロップすると輪符から知名・描写が複写される。
複写に成功すると「複写完了」と表示,「複写失敗:自分の輪郭ではありません」と「複写失敗:描写が空ではありません」の違了表示も付け,自我知番の省略にも対応済み。使い勝手は非常に良好。
これまで通り「輪郭複製機能」と呼ぶべきかどうかは再考の余地があるが,眠気で考える余力が無いのでとりあえずは仮称としておく。「輪郭複写機能」の方がしっくり来る気もするが,「輪郭複製のための機能」という意味ではそこまで間違っていない。
輪郭複製機能については,昨年5月18日の開発で「知名・描写を複製して新規描出フォームに移動するボタン」として実装することを考えたが,その後の用合い改良を経て,抵抗感が募っていた。
輪郭を直接複製するような機能はやはり避けたい。手軽にし過ぎると誤操作や濫用の可能性が高まる。適切な手間という点で,新規描出フォームへの複写というアイデアは悪くなかった。ただ,現状の輪郭選り手が理想的にまとまっているので,極力ボタンのような要素を追加したくないと思うようになった。
さっきふと,「知名欄への輪符貼り付け」という案について考えていたら,これが急速にまとまってしまった。過去にも何度か脳裏をよぎった案だが,その時はいまいち気乗りしなかった。
貼り付け方式の最初の懸念は誤入力だった。復元ボタンだけでは心許ないので,知名が空であることを条件にしようとしたが,空の知名で書き始めることは少なくないので中途半端だ。複製したい輪郭を検索してから写し取り,貼り付けという流れを考えると,知名欄をいちいち空にしなければならないのは煩雑過ぎる。
間もなく,描写欄が空という条件なら全く問題ないことに気付いた。誤操作の懸念がなくなったので,ドラッグ&ドロップにも対応することにした。
もう一つ,自輪郭のみという制限を付けることにした。描写内の自我知番の省略に Aejs で対応するのが難しいという問題もあるが,濫用され著作権上の手溢れが増えることが予想される。他人の描写の扱いは慎重に,という意味でもこれくらいが適切だろう。
こうしてするする実装イメージがまとまり,一通りの機能を付けた実装も難なく完了した。余計な視覚要素を追加せず,それでいて直感的という,理想的な輪郭複製機能があっという間に出来てしまった。
{希哲17年1月25日10歩 K#F85E/E74C-7A41}
宇田川浩行吹き描き外背景のダブルクリック/ダブルタップで新規描出フォームに移動出来るようにして終了。出振るい・手定め済み。
デライト最初期,新規描出フォーム固定機能で試していた(希哲13年8月1日4歩)用合いだったが,自分でも驚くほど忘れていた。固定機能の削除以後,何度か再活用を検討した記憶はあるが,今ほど全体的な用合いの方向性が定まっていなかったからか放置していた。新規描出フォームへの握接について先日あれだけ検討していたのに全く思い出さなかった。ついさっきふと思い出した。灯台下暗しというやつか。
初見で分かりやすい用合いも必要なので全知検索窓固定機能の輪結も予定通り実装するが,スマートフォン右手持ちではタップしにくい位置だとは思っていた。個人機でもマウスカーソルの移動距離は短くない。しかし,これならよくある固定表示ボタンよりよほど賢い。上手い補完手段が出来た。
現状の幅狭領当てでは吹き描き外背景が小さ過ぎて誤タップしやすいが,これは縦方向の吹き描き間マージンを調整していくことにした。
{希哲16年10月25日の整清 K#F85E/E74C-A453}
宇田川浩行{希哲16年10月19日の散歩 K#F85E/E74C-3A25}
宇田川浩行dlt.kitetu.com
}{デライト2周年}{難}{一段落}{一編}{研究}{話}{今}{形}{英語}(600){デライトの歩み K#F85E/E74C-09D2}
宇田川浩行デライトは,今年の2月13日に2周年を迎えたばかりの若いサービスだ。しかし,その背景には長い長い歴史がある。詳しく書くと書籍数冊分くらいにはなる話だ。デライトの完全な成功を目前にした良い頃合いなので,駆け足で振り返ってみたい。
輪郭法の閃き
技術としてのデライトは,私が17歳の頃,主に哲学と情報学への関心から「輪郭法」を閃いたことに始まる。2002年,もう20年前のことだ。デライトにおける輪郭法の応用については,「デライトの使い方の考え方」で出来るだけ簡単に解説したつもりだが,本来の輪郭法は,“輪郭という概念を中心にした世界の捉え方”であり,哲学用語でいう「弁証法」に近い位置付けの概念だ。
このアイデアが,哲学上の理論に留まらず,極めて実践的で,極めて強大な技術になりうることに気付くのに時間はかからなかった。これを応用することで,計算機科学における長年の最重要課題を解決し,知能増幅(IA)技術の実用化につなげることが出来る(参考)。すでに IT 産業の勢いが明らかだった当時,これは“世界史上最大の成功”と“知識産業革命”への道が開けたことを意味していた。
さらに,アメリカ同時多発テロ事件が起こって間もない頃だ。後の英米政治危機,世界に広がる社会分断,SNS の暴走,そして目下のウクライナ侵攻を予感させる事件だった。
あらゆる争いの背景には,世界の広さに対する人間の視野の狭さと,それによる“心の分断”がある。当時から私はそう考えていた。我々は,世界の一部分をそれぞれの立場から見ているに過ぎない。立場が違えば見える世界も違う。その衝突を回避出来るとすれば,個々人の世界に対する視野を広げるしかない。輪郭法の応用技術にはその可能性があると感じていた。この考え方が現在の KNS という概念につながっている(参考)。
葛藤
この閃きは止まるところを知らなかった。17歳の少年の人生観も世界観も,何もかもを瞬く間に作り替えてしまった。この閃きをどこまで大きく育てられるか,それだけを考える人生になった。適当に金に換えることも出来たかもしれないが,世界にかつてない平和と豊かさをもたらす鍵を手に入れたようなものだ。中途半端な売り物にすることなど,現実には考えられなかった。能う限り最高の状態で世に出さなくてはならないと思った。
もちろん最初は,とんでもない宝くじに当たったような気分だった。天にも昇る心地とはこのことだろう。どんな人生の喜びも,この喜びには勝るまい。少しばかり時間が経ち,冷静になるにつれ,呪いのような重圧に苦しむようになった。
{希哲16年4月14日の日記 K#F85E/E74C-8D6F}
宇田川浩行昨年11月30日から Galaxy S21 5G で写真を撮り始め,写真上信の環境を整えたが,これをきっかけに第二次知番改良,第二次快調期とデライト開発が急進展したため,11月30日の最初の4枚しか上信出来ていなかった。写真よりも開発記録のための画面撮りの上信に活用することが多かった。
最近,良い春の写真が溜まってきたこともあり,なんとかしたいと思っていた。大輪郭整備といいつつ輪郭整備もろくに出来ていなかったので,輪郭整備を兼ねた写真整理という形が良さそうだと考えたものの,間もなく第四次宣伝攻勢という時期で開発時間を削っていいものか,迷いがあった。
この日はサイクリングという天気でもなく,姉が姪達を連れてくるので開発に集中出来そうでもなく,とたまたま輪郭整備兼写真整理に適した条件が揃った。想像していたよりずっと手応えが良く,デライトが豊かに感じられる。やってみて,むしろこれは第四次宣伝攻勢前にやっておくべきことだと気付いた。新生デライトが「仏作って魂入れず」になるところだった。
一日がかりでやれば S21 で撮った写真くらいは終わるかと思ったが,思いのほか量が多いので,開発作業の合間に少しずつやっていくことにした。過去の写真が片付いたら新しい写真をこまめに上信するようにし,デライトにおける日常の表現をより豊かにしたい。また一つ,停滞していた課題が良い方向に滑り出して清々しい気分だった。
日本では S22 の発売日が今月21日になったが,一時考えたように待っていたらこの快調期は別の形になっていたかもしれず,良い春の写真も撮り逃していただろう。そう考えると,あの機種変更も奇跡的な出来事に思えてくる。
{希哲16年3月15日の日記 K#F85E/E74C-4AA3}
宇田川浩行12日の脳爆発を引きずってまだ脳疲労感が残っていた。一ヶ月分にも相当するであろう収穫だったのだから仕方ないと,気分転換も兼ねて,半年ほど放置していた Aejs 整備を再開してみることにした。
まずは交度の見直しと軽く違了修正程度出来ればいいと始めたものの,驚くべきことに,作業の続きがよく捗った。これだけ間があくと,作業方針を思い出すのと再整理に時間がかかるのではないかと思っていたが,むしろ中断前より捗った気がする。この半年間での環境整備や設計方針の洗練,知見の蓄積がそれだけ大きかったのだろう。当時は,ゆとりがなく混沌とした状況でもあった。
金風で中断してからなかなか再開出来ず,中途半端な状態で出振るいも出来ず,前縁周りの作業が非常に進めにくい状況ではあったが,この間の収穫を考えれば仕方ないと思っていた。設計面・仕様面での変化も小さくなかったので,再修正の手間も省けた。唯一の懸念だった作業再開にかかる負担が全くと言っていいほど無かったのだから,仕方ないどころか大正解だったと言うべきだろう。
Aejs 整備の中断経緯について記録を振り返っている内に,もう一つの放置課題だった KNEST 隠し実装についても再整理が急速に進んだ。
輪郭選り手抜控機能整備がなかなか進まなかったことで Aejs 整備に入ったのが昨年9月9日だった。14日11歩を最後にそれも止まり,代わりに HTML 隠し実装からの KNEST 隠し実装に重点を移すことにした。頭の整理をしているうちに18日になり,金風が起きた。以後は何度か再開を試みているが継続出来ず,そのまま第二次快調期に突入した。
金風があまりに大きい出来事だったので,このあたりで記憶が分断されている感覚がずっとあった。特に Aejs 整備と KNEST 隠し実装は,第二次快調期でも置き去りになっていた部分で心残りだった。第四次宣伝攻勢に向けて新生デライト開発も佳境というところで二つの強力な武器を上手く取り戻せた。言うまでもなく,極めて大きな収穫だ。
今日は疲労回復のため休みにしたが,次回の陶練からランニングを再開することにした。