最近,「一年後のデライト」についてよく考える。この勢いでデライト開発が進めば,一年後のデライトは今よりはるかに快適で,機能も文書も整っているだろう。そのデライトは,世界史上最高の柔品と言っても過言ではない。自分の年齢を考えれば,デライト開発の猶予はさらに何十倍もある。
デライトの未来は明るいなとつくづく思うが,それは限界まで詰め込んだ日々を送っているから見える景色だ。ここで一年間のゆとりをポンと与えられても意味がない。かといって,目先のことだけを必死に考えていればいいわけでもない。少し気を緩めたり,遠くに目をやることも必要になる。極端さに寄りかかるのは楽だが,一番難しく一番重要なのは,そのぐらぐらした所でばら成しを取り続けることだ。
近頃自分が成長したと思うのは,状況の揺らぎに対して心が揺らがなくなったことだ。結局,そういう“綱渡り”こそ自分の仕事の本質なのだと思えるようになっている。