{『希哲日記』}{日記}{一日一文}{執務}{デライト}{振り返り日記}{希哲館事業}{デライト開発}{第三次宣伝攻勢}{第一次デライト市場戦略}(73)

{希哲15年4月7日の日記 K#F85E/E74C-F014}

小理腑を通じて,自分が思っていた以上にデライト複雑化していることに気付かされる。単純性を保ってきたつもりではあったし,実際単純なようにも見えるが,この保守性を保っていることがいかに価値あることか実感出来る。

その複雑さの分だけ,小理腑によってデライト開発が大きく加速するという確信も出来,ますますデライト貴重なものに見えてきた。


『道草録』として一日一文の再開も出来た(「一日一文『道草録』再開とデライト近状」)。『道草録』と一日一文の関係をどうするか少し迷ったが,とりあえずは,『道草録』への採録を前提に一日一文を書き,一定水準に満たないものは不採録とすることにした。

ちょうど2歩分で,非常に楽しく書くことが出来た。この楽しさ新鮮感覚だったことに,自分で少し驚いた

振り返ってみると,過去の一日一文一日一章)は,あくまでも執務としての義務感の方が大きかった。一日八章なんて言っていた頃は,ほとんど「試練」として捉えていた。書き上げた時の達成感の大きさはよく覚えているが,それは書く苦労と引き換えだった。それは続かないわけだ。

今回も,デライトのため,希哲館事業のため,という理屈が無くはなかったが,どちらかというと後付けだった。むしろ,月内にデライト収益目標達成だと言っているのに,そんなことしている場合か,という思いもあった。第三次宣伝攻勢寄与するかもしれないが,単なる負担になるだけかもしれない。そんな懸念書きたい気持ち振り切った。

環境の変化も大きいだろう。今のデライトは,過去のどの時期デルン実装よりも洗練されている。数年前までの希哲館事業第一次市場戦略までのデライトには伏せたいことが多く,文章を書くにもいちいち神経を使っていた。全て開けっ広げに書けるようになったのはつい最近のことだ。ずいぶん開放的で,書きやすい環境になったものだ。

半信半疑でいざ書いてみると,一気に持ち辺が高まり,間違いなくデライト開発寄与するという確信に変わった。結局,継続近道楽しむことだ。もっと書くことを楽しめるようなデライトにしたい,という意欲も湧いてくる。これは嬉しい発見でもあり,重要な発見にもなりそうだ。

『道草録』希求主義文学実践にしようと少し気負っていたが,もっと気楽に,「心の散歩」みたいなものだと思うことにした。これを一つの趣味にしていきたい。

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