デルン(デライト)上で毎日一つの文章を書くという日課,またはその文章。
宇田川が希哲8年(2014年)から断続的に行ってきた。平均して一日に一文を目指すため,一日に複数の文章を書くこともある。また,長文を何日もかけて書くことも多い。
小理腑を通じて,自分が思っていた以上にデライトが複雑化していることに気付かされる。単純性を保ってきたつもりではあったし,実際単純なようにも見えるが,この保守性を保っていることがいかに価値あることか実感出来る。
その複雑さの分だけ,小理腑によってデライト開発が大きく加速するという確信も出来,ますますデライトが貴重なものに見えてきた。
『道草録』として一日一文の再開も出来た(「一日一文『道草録』再開とデライト近状」)。『道草録』と一日一文の関係をどうするか少し迷ったが,とりあえずは,『道草録』への採録を前提に一日一文を書き,一定水準に満たないものは不採録とすることにした。
ちょうど2歩分で,非常に楽しく書くことが出来た。この楽しさが新鮮な感覚だったことに,自分で少し驚いた。
振り返ってみると,過去の一日一文(一日一章)は,あくまでも執務としての義務感の方が大きかった。一日八章なんて言っていた頃は,ほとんど「試練」として捉えていた。書き上げた時の達成感の大きさはよく覚えているが,それは書く苦労と引き換えだった。それは続かないわけだ。
今回も,デライトのため,希哲館事業のため,という理屈が無くはなかったが,どちらかというと後付けだった。むしろ,月内にデライト収益目標達成だと言っているのに,そんなことしている場合か,という思いもあった。第三次宣伝攻勢に寄与するかもしれないが,単なる負担になるだけかもしれない。そんな懸念を書きたい気持ちが振り切った。
環境の変化も大きいだろう。今のデライトは,過去のどの時期のデルン実装よりも洗練されている。数年前までの希哲館事業や第一次市場戦略までのデライトには伏せたいことが多く,文章を書くにもいちいち神経を使っていた。全て開けっ広げに書けるようになったのはつい最近のことだ。ずいぶん開放的で,書きやすい環境になったものだ。
半信半疑でいざ書いてみると,一気に持ち辺が高まり,間違いなくデライト開発に寄与するという確信に変わった。結局,継続の近道は楽しむことだ。もっと書くことを楽しめるようなデライトにしたい,という意欲も湧いてくる。これは嬉しい発見でもあり,重要な発見にもなりそうだ。
『道草録』も希求主義文学の実践にしようと少し気負っていたが,もっと気楽に,「心の散歩」みたいなものだと思うことにした。これを一つの趣味にしていきたい。
(2日分)
約12,000輪の描出。文章はゼロ。現時点で全2,458,609輪。
持ち越し1,243輪。
(2日分)
約7,400輪の描出。文章はゼロ。現時点で全2,446,688輪。
持ち越し1,227輪。
約4,400輪の描出。文章はゼロ。現時点で全2,439,258輪。
持ち越し1,211輪。
(8日分)
約16,000輪の描出。文章はゼロ。現時点で全2,434,859輪。開発作業に集中するため描出は一時停滞中。
持ち越し1,203輪。
約1,000輪の描出。文章はゼロ。現時点で全2,418,902輪。
持ち越し1,139輪。
約3,100輪の描出。文章はゼロ。現時点で全2,417,847輪。
持ち越し1,131輪。