{希哲19年7月6日の日記 K#F85E/0758-9B57}
{希哲19年6月30日の飲食 K#F85E/0758-8596}
{希哲19年6月30日の睡眠 K#F85E/0758-47FD}
{希哲19年6月30日の日記 K#F85E/0758-A66A}
過去最大級の心境の変化があった黄金日。
自分の中にある罪悪感や贖罪意識のようなものと向き合おうとは思ったものの,そもそもこれがどこから来ているのか,よく考えてみるとはっきり掴めていないことに気付いた。これでは向き合いようもないので記憶をたぐり寄せてみたら,虚構というべきか風装というべきか,思いのほか空虚なものに思えてきた。
私は恐らく,物心ついた頃から少しずつ自分の存在に罪悪感を覚えるようになっていた。幼少期からなにかと苦労の多かった姉に,なにかにつけて弟ばかり得をしているだとか外見だけ良くて性格が悪いなどと言われ続けたせいで,自分は不正に得をしている人間であり,見た目で人を騙している人間であるという自意識ができてしまった。実際,あれもこれもやたら恵まれている上にずる賢い悪ガキだったので姉は間違っていなかった。その姉ですらなんだかんだ言いつつ可愛がってくれたので,結局世界に甘やかされるばかりだった。
極めて明るく振る舞うが実はかなり暗い部分のあるネクラな姉に比べて,私はほとんど暗い感情を持たないネアカであり,それゆえに自ら重苦しいことを妙に前向きに背負い込む人間に育っていった。
希哲館事業がその象徴であるのは言うまでもない。大悪人として問答無用で力ある正義を実現し,理屈の分からない大衆は見た目で騙せばいい,という希哲館事業構想の哲学的・戦略的骨子の原型がすでにここにあった。この事業のために一人で身命を賭して全責任を負える人間が世界には必要であり,そんな業を背負うべき人間は自分くらいしかいないと思っていた。
希哲館事業というのは,そんな悲劇の英雄ごっこから始まっている。20代前半の内に死ぬつもりで始めたはいいが,環境に恵まれ過ぎていたせいで大した苦労もなく30代になり,40歳になって何もかも満たされてしまって,あまりの自己犠牲感の無さでどうもバツが悪いのでスパイス感覚で悲劇性を演出しようとしている自分にふと冷めてしまった。特に20代の頃に憧れていた「悲劇的なかっこいい男」なんて,リヴァー・フェニックスにせよ尾崎豊にせよ早逝しているのだし,真似できることでもすべきことでもない。彼らに比べて私は恵まれ過ぎていたし明る過ぎた。
大体,悪人を自認する割に贖罪だのなんだの,悪人ぶりたいのか善人ぶりたいのか自分でもよく分からなくなってきた。悪人なら悪人らしく,堂々と私腹を肥やし暴利を貪ればいい。正しいことをしてきたと言えるなら,幸福を満喫するのも正当な権利だ。確かにこれまで色々な人に迷惑をかけたり結果的に裏切ってしまったようなことは多々あるが,それは全て希哲館事業のためであり,悪意ではないことは現状でもう実証できているはずだ。それを悪とすることは希哲館事業やデライトの現状を否定することに等しい。ここまで形にした私の真意に気付かない方も愚かだ。
何より,今の希哲館事業にとって作為的な贖罪意識なんてものの有用性が疑わしい。“ありのまま”を重んじる第三次露出戦略に調和しないし,陰鬱さは燦然主義にも逆行する。誰も得せず,百害あって一利なしだ。
{希哲19年6月28日の日記 K#F85E/0758-7CEA}
黄金日。
最近,気分に妙な落ち着きがある。希哲館生活がかつてないほど上手く行っているのだから,もっとはしゃぎたいのだが,どういうわけかそういう気分でもない。多幸感はあるが,静かなものだ。
一言で言えばやはり罪悪感のせいだ。上手く行けば行くほど,自分のずるさに対する後ろめたさも増していく。奇跡と言えば聞こえはいいが,希哲館事業の実質的な成功なんてことは,善良に生きていたらありえないことだ。どれだけずる賢く環境や他人を利用してきたかということだ。
年齢もある。この年齢になると,加齢の個人差を感じることも増える。この人に比べて自分の顔はどうしてこんなに幼いのかと思うことも多い。普通の人が背負っている苦労をほとんど背負ってきていないのだろう。希哲館事業なんて大層なことを長年やってはいるが,そんなもの道楽だと言われれば否定し切れない。それも後ろめたさの一因だ。
外務では,ハエを追い払うような感覚でついやってしまったことに,後で悶々としたりもした。ちょっと前なら,悪さをする奴を牽制しただけ,と思えたようなことでも,今は,弱さゆえに「正しく」生きられない人に冷た過ぎるのではないかという気がしてしまう。
こんなことで悩んでいても仕方ないので,このもやもやした罪悪感に対する“償い”を新しい目標として前向きにとらえることにした。満たされ過ぎて推進力が弱まっているような気がしていたところだったから丁度良い。
一日こんなことを考えていて日課はろくに出来なかったが,気分転換ついでに当努・組計整理も出来てすっきりした。夜には解放感と心地良い眠気に襲われたため睡眠負債解消に利用することにした。
{希哲19年6月27日の入浴 K#F85E/0758-81CB}
{希哲19年6月22日の日記 K#F85E/0758-7F7E}
引き続き睡眠不足で流石にひどい顔をしているだろうと思ったが,顔調も体調もすこぶる良かった。ただ,若干ぼんやりしていた。
最近,外務の終着点が見えてきた感があり,達成感やら安堵感やらが入り交じったような気分だ。ボロボロになりながら働いている人たちを見て,恵まれ過ぎている状況にふと罪悪感のような感情が湧いてきたりもした。
今夏は外務の繁忙期だと思いつつ脱外務依存のために内務日を増やすことにしたが,漫画に端を発する「予言」の流行で結局外務先にとっても都合が良い組計になった。原因の下らなさも含めて,希哲館事業のために世界が無理矢理ねじまげられているのではないかと思うくらい,渡りに船という現象が続いている。
そんなことを考えながら,久しぶりに夕方近くに微糖カフェオレを買って飲んだ。最初はなんとなく祝杯気分だったが,毎日砂糖たっぷりのカフェオレを何本も飲んでいた生活を思い出し,第六次生活習慣改善の成功について思いを馳せた。夜は開発に熱中し,あえて生活律動を乱した。乱れたというより,乱したい気分だった。
皮肉なことに,ここで黄金習慣の確立を確信した。これまで生活習慣を完璧に整えることに躍起になっていたが,もはや自分の中で課題ではなくなっていることに気付いた。肩の力が抜けたのだろう。
一昨日あたりからデライト開発の進展に伴い駁に強く苛立つことが増え,生活律動の柔軟性について考えるようになっていた。例えば,就床時間間近に深刻な不具合や障害が発生することは柔品開発をしている以上避けられない。そのたびに苛立っていては無駄な消耗になり,冷静な判断もできなくなる。無理に生活律動を維持することよりも,状況に合わせて柔軟に調整した方がいいと思えるようになった。緩やかな砂糖断ちでも仮眠問題でも,柔軟にとらえることで上手くいった先例がある。
結局,自動知番付け機能を待たず黄金習慣まで手に入れてしまった。