{誤謬}{ジョージ・エドワード・ムーア}{自然主義}(3)

{自然主義的誤謬 K#F85E/3EB1}

自然主義(定義主義)的誤謬(naturalistic fallacy)

ジョージ・エドワード・ムーア『倫理学原理』

ムーアの主張によれば,

善 (good) は他の概念で定義できない。定義は複合概念を単純概念に置き換えることであるが,善は単純概念である。単純概念は直感的にしか捉えることが出来ないが,人はそれを経験的対象や形而上学的対象と同一視するという過ちを犯して来た。これを自然主義的誤謬という。

更に,単純概念である「善」を含む複合概念である「善であるもの・こと」は,善とは何か,ということを明らかにせずには知ることは出来ない,という。従って,厳密な意味では,メタ倫理学(倫理学の可能性を問うこと)以外の,実践的な倫理学は,体系的な知識にはなりえないことになる。

では他の単純概念と同一視するのはどうなのか?反対意見もある。定義主義的誤謬としたほうが正確ともいわれているが……

{経済学}{合成}{誤謬}{広告付き}(4)

{合成の誤謬 K#F85E/C7E3}

合成の誤謬(ごうせいのごびゅう,英語:fallacy of composition)とは,経済主体にとって好ましい行動が,社会全体にとって好ましい行動であると考えてしまう誤謬(誤り),またそれによって引き起こされる失敗を指す経済学用語である。

{遡及}{誤謬}{宇田川の用語}{楽曲}{内容信念}(5)

{遡及の誤謬 K#F85E/6AB2}

「遡及の誤謬」(そきゅうのごびゅう)は,宇田川の用語である。

ある物事の価値について,それが形成されたものである事を論拠に不当な判断を下してしまう事を指す。一般に,「〜は作られたものである」を論拠にする言説に多い飛躍である。

例えば,「『日本人』は作られたものに過ぎない(故に無意味な概念である)」という言説は,なぜ「日本人」が作られたのかは説明できていない。また,新しい概念はより多くの批判検討を加えられた結果なので,原初的な概念がより正しいとは限らない。

全ての概念は形成されたものなので,ある概念の意味について,恣意的に遡及した時点から現在の意味を批判する時には注意を要する。

内容信念(#F85E/A-2CF8)」も参照のこと。

{誤謬}

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