{希哲15年11月1日の陶練 K#F85E/E74C-DB71}
宇田川浩行{希哲15年9月12日の日記 K#F85E/E74C-69BB}
宇田川浩行今週に入り,ますます状況は良くなる一方……なはずなのに,妙に気分が晴れなかった理由について考えていた。
やはり,デライトの早期成功,引いては希哲館事業の成功がもはや夢ではない,というのがかえって重いのだろう。希哲館事業は「人類史上最大の事業構想」なのだから,営利事業として成功することなど歴史的偉業であって,そう簡単に行くわけがない……そんな言い訳も開き直りももう出来ない。思えば気楽なものだった。
いまの希哲館事業は,努力次第で十分経営的な軌道に乗る状態だ。それが出来ていないということは努力不足だということだ。最近,デライトの運営状況に対する自分の見方も厳しくなっているし,あれもこれもしなければと気持ちが逸り,それに追い付いていないことに,これまで感じたことのないような焦りや悔しさが込み上げてくる。
希哲館事業が負っている社会的責任のようなこともよく考えるようになった。これまで全くと言っていいほど利益を生み出さなかった事業にこれだけの時間を注ぎ込んでこれた裏には,身内はもちろん,間接的にも社会にかけてきた多大な負担と迷惑がある。その歴史も,元を辿れば,かれこれ四半世紀になる。希哲館事業の成功以外では返せない借りだ。
そんなことを考えていれば,否が応でも気分は重苦しくなるし,無意識のうちにも自分を追い込みがちになる。ここからデライト収益目標達成までが一番苦しい過渡期なのかもしれない。
ただ,過度な緊張感は百害あって一利なしだ。無駄な心理的負担で能率が落ち,判断を誤らせる。ここからは休息もしっかり取り,意識的に心身を利楽させることにした。この状況で適度な緊張感を保つにはそれくらいで丁度良いだろう。睡眠時間も平均的に短くなっていたため,まずは十分な睡眠を取ることから意識していく。
なんにせよ,得体の知れない感情の正体が掴めたことは大きな収穫だった。
{希哲15年7月29日の日記 K#F85E/E74C-5F9C}
宇田川浩行{希哲15年5月8日の日記 K#F85E/E74C-872A}
宇田川浩行今日は普通に執務をこなすつもりだったが,昼頃になってもいまいち調子が上がらず,息切れ感を覚えたため半休にした。一昨日の半休と合わせて今週分の休養とする。
単純に疲労の蓄積もあるだろうが,KNEST 隠し実装の作業範囲が想定以上に広がり,かなり大掛かりになりそうなこと,朝の一日一文で重い題材を選んでしまったこと,ちょっとした事務上の問題が発生したことなどが重なり,頭の中が渋滞していた気がする。
昨日の朝の一日一文は,頭の準備運動にもなり非常に感触が良かった。
しばらく夕方頃に気分転換のつもりでやってみた一日一文だが,ちょうど開発や宣伝の切り替え時であまり落ち着ける時間帯ではなかった。気分転換どころか,詰め込みがちになり気持ちが乱れてしまうことが多い。
頭の準備運動と,一日の行動を変えうる思考の整理を兼ねて朝の一日一文を書き,その一日を日記で振り返る,というのが一番合理的かもしれない。
ただ,今日は「全知検索について」という比較的重い題材から入ってしまったせいか,書き切れなかった。途中で題材を変えようとしたが,この日記が長くなりそうなので止めておいた。
晩の散歩中,なんとなく子供の頃によく通っていた模型店に入ってみた。店の前は散歩などでよく通っていたが,入るのはいつぶりか分からない。最後にはっきりとした記憶があるのは20年ほど前のことだ。
ずいぶん懐かしいのだろうなと思って入ってみたが,不思議と,ここに遊びに来ていたのがついこの間のことのように感じられた。4日の散歩でも,子供の頃によく遊んでいた神社の境内を久しぶりに歩いてみたが,似たような感覚だった。
{希哲14年11月10日の日記 K#F85E/E74C-7B7B}
宇田川浩行諸々整理して一息つけるようになってきたため,今日は一日じっくり、ここ数日の諸記録を埋めながら今後について考えることにした。デライト宣伝も全く出来ない日が続いてしまったため,今日から毎日1歩分でも必ず時間を割くことにした。
また,今後の正しい計画策定のため,第一次総括から2年あまりの歩みをまとめ,これを「第二次総括」と呼ぶことにした。第一次総括同様,何日かかるか分からないが納得行くまで続ける。
そんなことを考えていた正午頃,叔父について悪い報せを受けた。ここ数年,妙に自分や周囲にとって都合の良いことばかり起きるので,そろそろ不幸が訪れるのではないかとかえって不安だったが,いよいよ来たか,と思った。それと同時に,デライトの成功,ひいては希哲館事業の成功を急がなければならないもう一つの理由を思い出した。
ここ最近,希哲館創立13周年を過ぎ,米大統領選挙も誰が勝ったとも言えないまま一応終わり,デライトの成功を急がなければならない理由を見失っていた。
用合い改良の山場を越えたことで太く短く時間を投入しなければならない作業はほぼ無くなり,細く長く継続していくことが重要な段階に入ったという感覚もあった。
普通,事業が収益化を急ぐのは存続に関わるからだが,デライトの超高効率運用なら十年でも五十年でも,私が生きている限り存続させることは難しくない。そういう意味で,デライトの成功も時間の問題には違いなかった。
それにもかかわらず,短期決戦から持久戦への移行を決断することは出来なかった。何か忘れているような,引っかかりがあった。件の報せを受けたとき,それが何だったのか突き付けられたような気分だった。私が成功を急いでいたのは,大義名分のためばかりではない。その前に死んでほしくない人が多い。
今のデライトの状況なら,目標期限を短かく設定すれば早期成功の可能性は高まるが,その代わり確実性は低くなる。一年後を見据えるか十年後を見据えるかで時間の使い方も変わってくる。健康上直ちに問題にならない程度に睡眠時間を調整するだけでも一日あたり数時間変わるだろう。
デライトの成功が十分な確実性と早さで期待出来る期限を考えた時,あと1年,キリのいいところで希哲館創立14周年となる希哲15年11月1日が最も妥当な線として思い浮かんだ。
離立から2年以内なら「ダーウィンの海短期攻略作戦」という白熊作戦の趣旨も辛うじて保てる。とりあえずはこれで短期決戦路線を維持することにした。