{陶練記録}{陶練}{21時15分}{睡眠時間}{短くなる}{良くない}{遅くなったため}{気がする}{気持ち悪さ}{希哲15年11月1日}(20)

{希哲15年11月1日の陶練 K#F85E/E74C-DB71}

21時15分頃から,腕立腹筋背筋スクワット50回ずつ。柔軟体操

これまで,夜遅くなると休みにすることが多かったが,多少睡眠時間短くなっても睡眠の質上がる気がするので,これから出来るだけ,遅くなったためという理由休むことはしないようにする。

何より運動不足微妙な気持ち悪さ一日中続くことがあるのが良くない

{『希哲日記』}{}{日記}{デライト}{睡眠時間}{希哲館事業}{希哲15年9月の月記}{重苦しくなる}{気分が晴れなかった}{掴めた}(86)

{希哲15年9月12日の日記 K#F85E/E74C-69BB}

今週に入り,ますます状況良くなる一方……なはずなのに,妙に気分が晴れなかった理由について考えていた

やはり,デライトの早期成功,引いては希哲館事業の成功もはや夢ではない,というのがかえって重いのだろう。希哲館事業は「人類史上最大の事業構想」なのだから,営利事業として成功することなど歴史的偉業であって,そう簡単に行くわけがない……そんな言い訳開き直りももう出来ない。思えば気楽なものだった。

いまの希哲館事業は,努力次第で十分経営的軌道に乗る状態だ。それが出来ていないということは努力不足だということだ。最近,デライト運営状況に対する自分の見方厳しくなっているし,あれもこれもしなければと気持ちが逸り,それに追い付いていないことに,これまで感じたことのないような焦り悔しさ込み上げてくる

希哲館事業が負っている社会的責任のようなこともよく考えるようになった。これまで全くと言っていいほど利益を生み出さなかった事業にこれだけの時間注ぎ込んでこれたには,身内はもちろん,間接的にも社会にかけてきた多大負担迷惑がある。その歴史も,元を辿れば,かれこれ四半世紀になる。希哲館事業の成功以外では返せない借りだ。

そんなことを考えていれば,否が応でも気分重苦しくなるし,無意識のうちにも自分を追い込みがちになる。ここからデライト収益目標達成までが一番苦しい過渡期なのかもしれない。

ただ,過度な緊張感百害あって一利なしだ。無駄な心理的負担能率が落ち,判断誤らせる。ここからは休息もしっかり取り,意識的心身利楽させることにした。この状況適度な緊張感保つにはそれくらいで丁度良いだろう。睡眠時間平均的短くなっていたため,まずは十分な睡眠を取ることから意識していく。

なんにせよ,得体の知れない感情正体掴めたことは大きな収穫だった。

{『希哲日記』}{日記}{十分}{進捗}{睡眠時間}{気分が乗らない}{希哲15年7月29日}{輪郭選り手}{抜控機能}{希哲15年7月}(24)

{希哲15年7月29日の日記 K#F85E/E74C-5F9C}

いまいち気分が乗らず振り返りは進まなかったが,開発では十分進捗進展があった。

もう少し早め活動を始めたいが,脳疲労に陥りやすい状況な上に徹夜をしたばかりなので,睡眠時間十分確保したい。焦らず着実調整していく。

今月は,振り返り輪郭選り手抜控機能整備までを終えられれば上出来だろう。

{『希哲日記』}{}{散歩}{日記}{一日一文}{進捗}{執務}{デライトの成功}{8時間睡眠}{7時間睡眠}(105)

{希哲15年5月8日の日記 K#F85E/E74C-872A}

今日は普通に執務をこなすつもりだったが,昼頃になってもいまいち調子が上がらず,息切れ感を覚えたため半休にした。一昨日の半休と合わせて今週分休養とする。

単純に疲労の蓄積もあるだろうが,KNEST 隠し実装作業範囲想定以上に広がり,かなり大掛かりになりそうなこと,朝の一日一文重い題材を選んでしまったこと,ちょっとした事務上問題発生したことなどが重なり,頭の中渋滞していた気がする。


昨日朝の一日一文は,頭の準備運動にもなり非常に感触良かった

しばらく夕方頃に気分転換のつもりでやってみた一日一文だが,ちょうど開発宣伝切り替え時であまり落ち着ける時間帯ではなかった。気分転換どころか,詰め込みがちになり気持ち乱れてしまうことが多い。

頭の準備運動と,一日の行動を変えうる思考の整理を兼ねて朝の一日一文を書き,その一日を日記振り返る,というのが一番合理的かもしれない。

ただ,今日は「全知検索について」という比較的重い題材から入ってしまったせいか,書き切れなかった。途中で題材を変えようとしたが,この日記が長くなりそうなので止めておいた。


晩の散歩中,なんとなく子供の頃によく通っていた模型店に入ってみた。店の前は散歩などでよく通っていたが,入るのはいつぶりか分からない。最後にはっきりとした記憶があるのは20年ほど前のことだ。

ずいぶん懐かしいのだろうなと思って入ってみたが,不思議と,ここに遊びに来ていたのがついこの間のことのように感じられた。4日の散歩でも,子供の頃によく遊んでいた神社境内を久しぶりに歩いてみたが,似たような感覚だった。

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{『希哲日記』}{希哲館創立14周年}{希哲館創立13周年}{日記}{正午}{デライトの成功}{デライト}{記録}{睡眠時間}{2年}(74)

{希哲14年11月10日の日記 K#F85E/E74C-7B7B}

諸々整理して一息つけるようになってきたため,今日は一日じっくり、ここ数日の諸記録を埋めながら今後について考えることにした。デライト宣伝も全く出来ない日が続いてしまったため,今日から毎日1歩分でも必ず時間を割くことにした。

また,今後の正しい計画策定のため,第一次総括から2年あまりの歩みまとめ,これを「第二次総括」と呼ぶことにした。第一次総括同様,何日かかるか分からないが納得行くまで続ける。

そんなことを考えていた正午頃,叔父について悪い報せを受けた。ここ数年,妙に自分や周囲にとって都合の良いことばかり起きるので,そろそろ不幸が訪れるのではないかとかえって不安だったが,いよいよ来たか,と思った。それと同時に,デライトの成功,ひいては希哲館事業の成功を急がなければならないもう一つの理由を思い出した。

ここ最近,希哲館創立13周年を過ぎ,米大統領選挙も誰が勝ったとも言えないまま一応終わり,デライトの成功を急がなければならない理由を見失っていた。

用合い改良山場を越えたことで太く短く時間投入しなければならない作業はほぼ無くなり,細く長く継続していくことが重要段階に入ったという感覚もあった。

普通,事業収益化を急ぐのは存続に関わるからだが,デライト超高効率運用なら十年でも五十年でも,私が生きている限り存続させることは難しくない。そういう意味で,デライトの成功時間の問題には違いなかった。

それにもかかわらず,短期決戦から持久戦への移行決断することは出来なかった。何か忘れているような,引っかかりがあった。件の報せを受けたとき,それが何だったのか突き付けられたような気分だった。私が成功を急いでいたのは,大義名分のためばかりではない。その前に死んでほしくない人が多い。

今のデライトの状況なら,目標期限を短かく設定すれば早期成功可能性は高まるが,その代わり確実性は低くなる。一年後を見据えるか十年後を見据えるかで時間の使い方も変わってくる。健康上直ちに問題にならない程度に睡眠時間調整するだけでも一日あたり数時間変わるだろう。

デライトの成功が十分な確実性早さ期待出来る期限を考えた時,あと1年キリのいいところで希哲館創立14周年となる希哲15年11月1日が最も妥当な線として思い浮かんだ。

離立から2年以内なら「ダーウィンの海短期攻略作戦」という白熊作戦趣旨も辛うじて保てる。とりあえずはこれで短期決戦路線を維持することにした。

{睡眠時間}

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