{『希哲日記』}{日記}{}{38歳}{希哲17年5月26日}{生きたい}{やり直したい}{自分の若さ}{蔑んでいた}{20歳そこそこ}(92)

{希哲17年5月26日の日記 K#F85E/E74C-9284}

今日休めないかと思ったが,意外と良い感じ肩の力が抜け最低限のまとめ作業だけしてゆっくり過ごせた昼頃散髪出かけ帰ってから誕生日であることに気付いた折角の誕生日くらいはと自分に言い聞かせ半休にしていた。

珍しいこと重なるもので,久しぶりに大きめの地震もあった。


38歳という年齢には,思っていたほど感傷感慨無かった強いて言えば38歳という若さよくここまで来られた思う。これは希哲館事業巨大さゆえの感情だろう。大事業にとって人生どれだけ短い散々思い知らされてきた

若さというのは本当に相対的なものだなと最近よく思う20歳くらいの若者もう若くないなどと嘆いている滑稽思えるが,自分が10代20歳そこそこだった若さ満喫出来ていたかというと,そんな余裕無かった無力もがき,幼さ憎み蔑んでいた自分の若さ楽しめるようになったのは30代からだ。

老いへの恐怖後悔似ている少なくともあの頃戻ってやり直したい思うことが無いのは幸せなことなのだろうし,これからもそういう最善の日々生きたい一昨日友人話していてそれを再確認した

{開発}{開発記録}{右側}{}{}{デライト}{希哲17年1月4日の副日記}{比較的深刻}{復元出来ない}{それ以外}(246)

{希哲17年1月4日の開発 K#F85E/E74C-6436}

いったん出振るい終え他自我内検索用合い改良兼自我ページ整備一段落した

開発時間確保しにくい時期だったことや交度整理時間をかけたことで12月22日着手してから日数かかったが,総合的に満足出来る結果となった。

特に実装時期予測すら出来なかった自我ページ整備出来たことが大きい。これで新生デライト像完全なものになった。自我ページ整備自体作業時間正味2日間程度で,時間対効果非常に高かった

今後はまず新生全知検索整備り,輪郭整備兼文書整備並行させ新生デライトの成立目指すことになる。

実装について

12月19日の検討通り他自我内検索時に自我アイコン並べ自我ページではこれをプロフィール風見せることにした整備後1整備後2

見ただけではまずやり方分からなかった他自我内検索整合的かつ直感的に行えるようになり,自我知番による検索結果過ぎず一見意味の分からない自我ページ整備前一応プロフィールページらしくなった。

自我ページは,デライトにおける自己表現入り口となる部分であり,初めてデライト触れたまず覗いてみる部分でもあるので,直感的に理解出来るようになったことは大きな進歩言える最低限の又情報設定したので多少の SEO 効果望めるあとは風船輪郭出来ればデライトプロフィールページとしては無駄なく十分なものになるだろう。

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{『希哲日記』}{希哲15年}{日記}{一日一文}{デライト}{希哲16年5月5日}{希哲館事業}{希哲16年5月4日の睡眠}{大事に}{書けてしまった}(90)

{希哲16年5月5日の日記 K#F85E/E74C-8CBD}

今朝自分の不注意により赤ん坊殺しかけてしまう悪夢目覚めた睡眠記録かなり強烈なだったので,一日中何か考えざるをえなかったしいて教訓見出すとすれば,状況よく見て,大事なもの見失うな,ということか。

物質的にも人間的にも恵まれた環境も,希哲館事業とこのデライト恵まれた状況も,やっていることとんでもなさ考えれば全て奇跡中の奇跡だ。本物の赤ん坊もちろんデライト大きな可能性秘めた赤ん坊みたいなものだろう。焦らず弛まず粘り強く大事に守り育てていかなくてはならない。

体験してはいけないことを夢の中体験して自分を見つめ直すことが出来たのだから,幸運だったのかもしれない。


ここで少し最近の状況考えると,「平常心行く」と考えていた割に,黄金週間前半力み過ぎた。そのおかげ書けなかった一日一文書けたりもしたが,なまじ勢いのある文章書けてしまったことで気持ち前のめりになっていた。この間得たもの余裕換えそろそろ平常心取り戻したい

黄金週間はあくまでも世間年度始め慌しさから落ち着く節目として重要なのであって,特にデライト宣伝適した期間というわけではない。無理に詰め込む必要はない昨年今頃全く同じこと考えていたのを思い出した

{『希哲日記』}{日記}{良い意味}{希哲16年6月}{デライト}{希哲16年4月20日}{落として}{良い区切り}{果すべき}{不完全さ}(72)

{希哲16年4月20日の日記 K#F85E/E74C-060F}

だんだん調子が上がってきた

時間的余裕のあった3日時点ではぼんやりしていたが,ここに来て第四次宣伝攻勢具体的なイメージ固まりつつある

新生デライトの完成6月目標にしているため,いずれにせよ不完全状態での第四次宣伝攻勢開始となる。機能追加に関してはある程度割り切り,開発組計予告しつつ同時進行させればいいとして,高速化文書整備はやはり十分に進めておく必要がある

高速化兼ねた Cμ 文字列処理改良までは予定通り進め高速化KNEST 隠し実装文書整備という順序行くことにした。余裕があれば描写渡括輪郭小窓公開設定機能といった機能整備着手したいが,そこはあくまでも加点要素として,無理に詰め込まない

第四次宣伝攻勢最初に果すべき目的は,完璧なデライト十分なデライト見せることではなく,デライトの可能性見せることだ。宣伝攻勢終わりについては決めていなかったが,そう考えると,新生デライトの完成良い区切りになるのかもしれない。その後は,ペース落として日常化か。

新生デライトの完成目指せるようになり当努整理しやすくなった面も大きいが,また悪しき完璧主義陥りつつある気もしている。もう少し不完全さ寛容にならないと無駄に疲弊するので,良い意味気楽に行く

{『希哲日記』}{黄金状態}{}{日記}{希哲16年3月}{第四次黄金状態}{大輪郭整備}{希哲16年2月24日}{振り返り日記}{定休日}(109)

{希哲16年3月6日の日記 K#F85E/E74C-F72B}

定休日のため無理をしない程度作業をしようと思っていたが,一日思いのほかぼーっと過ごせた最近休むに休めないことが問題だったので,少し安心した久しぶりにぶらぶらサイクリング出来た

脳爆発整理をつける糸口が掴めたことでだいぶ気が楽になったようだ。

第四次黄金状態では脳爆発抗わずむしろ促進してしまった方が良い,と考えてからしばらく上手く行っていたが,こう脳爆発続くと,噴煙視界が悪くなるように頭の整理出来なくなってくる

これが心理的負担だったようで,最近生活習慣乱れがちで,心身の調子概ね良好ではあるものの黄金状態というほど冴えてもいない,という微妙な状態続いていた

大輪郭整備経て脳爆発完全に利用出来るようになれば,今度こそ本当に第四次黄金状態物にした言えるだろう。


ウクライナ侵攻についても,初めてまともに考えることが出来た。侵攻始まった2月24日は,ちょうど新しい脳爆発連鎖起き始めたで,まともに考える余裕無かった

20代のころロシア史熱心に勉強して,『ラドガに到着したリューリクと兄弟達』希哲館素材絵画にしたり,虎哲並ぶ新交通機関構想リューリクもじった竜力」という名前を付けたりしていた私にとって,運命を感じる事件ではあった。

そして,あの英米政治危機から顕在化した自由民主主義脆弱さ招いた結果だ。私に出来ることは,知識産業革命成し遂げ希哲民主主義確立し,独裁者付け入る隙を与えない強い自由民主主義作り上げることしかない。私にしか出来ないことでもある。

ジパング計画にもいよいよ猶予無くなってきたが,もう麻痺しているのか,不思議と重圧感無かった


7日振り返り日記

{余裕}

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