{希哲15年4月12日の開発}{Feedly ボタン}{希哲15年4月12日の進捗時限}{希哲15年4月12日の進捗}{希哲15年4月12日}{手定め済み}{待っ読ボタン実装}{待っ読ボタン}{出振るい済み}{27時}...=}(20)
{一日一文}{希哲15年4月の月記}{デライト高速化}{自然の流れ}{計画通り}{希哲館事業の広告塔}{全ページ0.3秒以内表示}{全ページ1秒以内表示}{希哲15年4月9日}{デライト小理腑}...=}(74)

{希哲15年4月9日の日記 K#F85E/A-E74C-2520}

昨日の激務デライト小理腑を終えた安心からか疲労感がどっと押し寄せてきた。日中はなかなか頭も手も動かず,調子が戻ってきた夜に小理腑や今後の方針についてまとめることで精一杯だった。

3日目にして一日一文休みだが,楽しもうと決めたばかりなので無理はしないでおくことにした。


小理腑後に残った時間では上旬中に出来ることも高が知れているため,今日で短期集中生活を終えようかと思ったが,振り返ってみると,短期集中生活に入った28日の開発待っ読ボタン実装理腑時間を充てることを決めていた。前後しただけで方向としては計画通りに進んでいるので,もう一日頑張り,待っ読ボタン実装までは上旬中に終わらせることにした。

中旬は,小理腑で得たものを最大限に活かし,新生デライトをこれまでの想定以上水準仕上げることを目指す

小理腑に時間をかけたことで第三次宣伝攻勢開始が遅れる可能性もあるが,『道草録』が多少は補完してくれるだろうし,調整はどうとでも出来る。


完成度勝負しようということ以外,まだ全体像明確ではなかった第三次デライト市場戦略についても,概ね考えがまとまった。

いわば「希哲館事業の広告塔」という本来の位置付け立ち返りありのまま希哲館事業の全てを自然に活かしていくことにした。新生デライトへの信頼感が高まるにつれ希哲館累新の動きも加速しているので,これも自然の流れだろう。

第二次市場戦略では宣伝上のにしようと思っていた「知能増幅」についても,隠さないまでも,必要以上に前面に出さないことを方針として決めた。先月からのデライト開発快調で,知能増幅デライトの姿で示せばいい,と思えるようになっていた。


小理腑でデライト高速化新鮮手応えを得て,調安が妙に楽しくなってきた。

当初,デライト高速化の目標全ページ1秒以内表示などとしていたが,これでは遅さが気にならないだけで速さを感じるには中途半端だ。目標は高く,全ページ0.3秒以内表示を目指すことにした。いっそのこと,速さで有名になるくらいにしたい。

{一日一文}{希哲15年4月の月記}{重要な発見}{心の散歩}{環境の変化}{不採録}{書きたい}{驚いた}{一日一文『道草録』再開とデライト近状}{希哲15年4月7日}...=}(73)

{希哲15年4月7日の日記 K#F85E/A-E74C-F014}

小理腑を通じて,自分が思っていた以上にデライト複雑化していることに気付かされる。単純性を保ってきたつもりではあったし,実際単純なようにも見えるが,この保守性を保っていることがいかに価値あることか実感出来る。

その複雑さの分だけ,小理腑によってデライト開発が大きく加速するという確信も出来,ますますデライト貴重なものに見えてきた。


『道草録』として一日一文の再開も出来た(「一日一文『道草録』再開とデライト近状」)。『道草録』と一日一文の関係をどうするか少し迷ったが,とりあえずは,『道草録』への採録を前提に一日一文を書き,一定水準に満たないものは不採録とすることにした。

ちょうど2歩分で,非常に楽しく書くことが出来た。この楽しさ新鮮感覚だったことに,自分で少し驚いた

振り返ってみると,過去の一日一文一日一章)は,あくまでも執務としての義務感の方が大きかった。一日八章なんて言っていた頃は,ほとんど「試練」として捉えていた。書き上げた時の達成感の大きさはよく覚えているが,それは書く苦労と引き換えだった。それは続かないわけだ。

今回も,デライトのため,希哲館事業のため,という理屈が無くはなかったが,どちらかというと後付けだった。むしろ,月内にデライト収益目標達成だと言っているのに,そんなことしている場合か,という思いもあった。第三次宣伝攻勢寄与するかもしれないが,単なる負担になるだけかもしれない。そんな懸念書きたい気持ち振り切った。

環境の変化も大きいだろう。今のデライトは,過去のどの時期デルン実装よりも洗練されている。数年前までの希哲館事業第一次市場戦略までのデライトには伏せたいことが多く,文章を書くにもいちいち神経を使っていた。全て開けっ広げに書けるようになったのはつい最近のことだ。ずいぶん開放的で,書きやすい環境になったものだ。

半信半疑でいざ書いてみると,一気に持ち辺が高まり,間違いなくデライト開発寄与するという確信に変わった。結局,継続近道楽しむことだ。もっと書くことを楽しめるようなデライトにしたい,という意欲も湧いてくる。これは嬉しい発見でもあり,重要な発見にもなりそうだ。

『道草録』希求主義文学実践にしようと少し気負っていたが,もっと気楽に,「心の散歩」みたいなものだと思うことにした。これを一つの趣味にしていきたい。

8日振り返り日記

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{〜さ}{新鮮}=}(2)
{希哲15年2月11日のツイスト}{希哲15年2月11日}{ツイスト}{新鮮}{安室奈美恵}{『DANCING JUNK』}{}=}(7)
{論理共感覚}{あれ}{寝る準備}{希哲15年2月3日}{閃き}{立ち上がり}{目を温める}{蒸しタオル}{小休憩時間}{進捗時限法}...=}(31)

{希哲15年2月3日の日記 K#F85E/A-E74C-E2A7}

デライト開発本格的再開した。

昨日,閃きについて考えたことで論理共感覚論理実装主義についての考え事もあったものの,立ち上がりにしては良い調子だった。

手定めで初めて自分のアイコンを使ってみた。新鮮面白かった。KNS としてのイメージがより明確になり,持ち辺が上がった。

少し眼精疲労全身凝りを感じていたが,しっかり小休憩時間を取り,蒸しタオル目を温めるとみるみる改善した。昨年10月頃から生活律動が乱れ進捗時限法適当になっていたせいだろう。

調子が上がりきったところで,夜更かししないように早く寝る準備をした。明日以降もこの調子を保ちたい。

{迷いをなくしておく}{ご回答ありがとうございます。}{輪括}{引き入れ}{立体階層構造}{子輪郭}{親輪郭}{輪郭構造説明図粗描}{輪括記号}{輪結}...=}(33)

{後景記号 =} について K#F85E/A-E74C-1BB1}

ご質問ありがとうございます!

記号 =} は,輪郭間の関係を表す記号で,「後景記号」と呼んでいます。逆向き {= は「前景記号」ということになります。

以下の図を見て頂くと分かりやすいのではないかと思いますが,「立体階層構造」とも言える輪郭同士の入れ子関係は遠近関係でもあります。つまり,親輪郭前景(手前)で,子輪郭後景(奥)に配置されているというイメージです。

親子というのは便宜上の表現で,正式な用語としては前景・後景といいます。一覧では三層になっていますが,中間のものは中景と呼びます。

この記号は,どちらかというと不等号集合記号のような数学記号イメージで昔考案したものです。単純に連想関係を表す矢印のようにも見えるので分かりやすいだろうと思いました。

ちなみに,引き入れ関係は「輪括」(リンクルージョン)と呼びます。希哲館訳語輪結リンク)と引括インクルージョン)の合成です。この二つの性質を合わせ持っていることを表現しています。

後景記号前景記号を総称して「輪括記号」とも言えます。

このあたりの用語記号はまだ整備途上なので,将来的には変わる可能性もあります。

逆向きの方が直感的というのは新鮮ご意見だったので参考になりました。今後の検討材料に加えさせて頂きます。

{知番付け検索}{最短化}{最悪応答時間}{希哲14年7月23日}{四方吹き描き図}{全輪郭検索}{吹き描き}{デライト離立補完}{領当て}{検討}...=}(25)

{希哲14年7月23日の開発 K#F85E/A-5B28-5C7D}

初めて四方吹き描き図を作って見た。頭の中では思い描いていたことだが,こうしてみると新鮮で,より吹き描き領当て方針が明確になった。

18日の開発から検討してきた無番検索仕様についても概ね整理出来た(4歩)。

また,デライトの扉で分かりにくかった全輪郭検索への誘導も兼ねた総描出輪数表示も実施デライトの扉・総描出輪数を表示)。

その他,今後の運用上の問題などについて考えたり調べ物をしたりして過ごした。収穫は少なくなかったが,やや散漫だったか。

運用面では,現在あちこちに応答時間が長過ぎる部分が残っているのが気になっている。安定的な運用のためにも,最悪応答時間最短化していきたい。箇所も解決策見当は付いているので,デライト離立補完後すぐに取り組みたい。

{第三次黄金状態}{第二次黄金状態}{閃き}{希哲14年12月27日の日記}{希哲14年7月の月記}{新黄金状態}{希哲14年7月6日の日記}{柔らかさ}{躁状態}{叶った}...=}(127)

{希哲14年7月4日の日記 K#F85E/A-5B28-D4A7}

整理が付かないうちに夜遅くなってしまったため,この日考えていたことを翌日翌々日に整理して書いている。

頃,何気ないことから鎌倉入り目標を思い出し,持ち辺がまた一段と高まった。鎌倉入りに関しては5月26日の日記でも触れているが,この頃はまだ新黄金状態どころか今後の見通しすら立っていなかったので,全く違う新鮮感覚だった。

夕方頃になり,極めて興味深い心境の変化体験した。新黄金状態になってから失っている気がしていた人間らしい感情が戻ってきたのだ。

実は,新黄金状態になってからというもの,感情冷たく硬く乾いたような,無機質な感じになっていることには薄々気付いていた。この前日の日記にも,非常に苛立ちやすくなっていることを記しているが,感情が不快かに単純化されているような気がしていた。

新黄金状態,もとい第二次黄金状態というのは,規則正しい生活健康の上に頭脳活性化,高い身体感度高揚感多幸感などが持続するという状態であり,それは偽りではなかった。確かに,毎日が自然に笑い出したり踊り出したりするほど楽しく,活力に溢れ,仕事捗る。一見,理想的状態だ。

それだけ素晴しい状態であれば,のように穏やかに,寛容に,慈悲深くなりそうなものだが,不思議と些細なことで苛立つようになり,他人には厳しく冷たくなっていた。まるでサイボーグにでもなったかのように,他者への共感思いやり急速に失っていた。

思えば,この新黄金状態における「楽しさ」も,どこか情緒に欠けていた。ただ身体物理的理想状態にあるだけで,それを維持するために違和感不快感反射的排除しようとしていたのが例の「苛立ち」だったのかもしれない。最近,痒みが気になることが多く,肌の乾燥注意していたが,にも似たような問題があるのではないかという気がした。躁状態に似た傾向があることにも気付いていた。

この心境変調が見られたのは,この日の夕方頃だった。午後になって熊本豪雨による被害報道されだしていた。この時私は,凶事があるたびに憂鬱気分になっていた過去の経験から,少し災害関連の情報から距離を取ろうとしていた。なにせ,ついこのあいだ金魚が死んで落ち込んだくらいなので,とにかく折角の好調が崩れることを恐れた。ところが,不意に,老人ホーム14人心肺停止という情報が目に入ってしまった時,少し気分重石が乗ったような感覚があった。

この少し前,私は動画を送っていた。が見せていなければ,父が動くを見るのは初めてだろう。朝方,飼い犬のがひどく出血して心配になることもあった。父も花も老人老犬なので,この時は何かと感傷的になっていたのだと思う。

このあたりから,人間らしい潤い柔らかさ温かさが戻ってきたように感じた。気持ち穏やかになり,これまでとは違う,慈愛熱情が溢れるような快感で満たされるようになった。これまで「新黄金状態」と呼んでいた時の精神状態とは明らかに様子が違い,「第三次黄金状態」という言葉すら脳裏をよぎった。

第二次黄金状態を「真黄金状態」ではなく「新黄金状態」という表現に留めたのは,これで究極なのか,まだ確信が持てなかったからだ。とにかく状態を安定させるために抑制必要であり,それが人間らしさ排除に繋がっていたのかもしれない。そういう意味では,この変調した状態が第三次黄金状態と呼べるほど安定するかも分からない。

しかし,第二次黄金状態が人間らしさを失うものであれば,私が希哲館事業で目指すことが実現出来ないことも確かだった。超人的な「鉄の心臓」でどれだけ強力事業を推し進めても,最後に凡人になれなければ私にとっては無意味だ。

第二次黄金状態を得てから,私はこれが,あの閃きの残光であるように何となく感じていたが,この日,確信に変わった。

17歳での閃きから間もなく,私はこの日のこれまでのように世界から遠退いていった。それから長い葛藤期を経て人間らしさを取り戻し,希哲館事業を始める。ちょうどさっき鎌倉入りについて考えたばかりだったこともあり,駆け出しの頃の自分を再体験しているようだった。

とにかく,この体験を可能な限り克明記録しておきたかったため,この日記例外的翌々日までじっくり時間をかけて書いた。前日の日記に書いた「もっと穏やかに過ごせるようにしたい」という望みが次の日には叶ったのだから,それだけの価値はあるだろう。

{新鮮}
{}