昨日,脳爆発気味だったせいか,少しぼーっとしてしまった。それなりに収穫も大きかったので仕方ない。
ここ一週間ほど,また少し心境の変化を感じている。やはり「デライトの歩み」のせいだろう。あの文章を書きながら,これまでの達成の重みをより強く感じるようになった。それは良いが,これからの達成もより重く感じるようになった。
サービス経営の観点から言えば,デライトの問題はいま,用者数が伸びないことだけに絞られている。それ以外は限りなく理想に近い状態にある。つい先日まで,この問題は新生デライトの完成が解決するだろうとほぼ確信していた。つまり,新生デライトの完成がデライトの完全な成功そのものだと思っていた。そしてそれは,希哲館事業が未曾有の成功を収めることを意味している。
ただ,これまでの歩みを振り返っているうちに,少し不安になってきた。わずか15年の事業で,そんな成功がありうるのだろうか。事の大きさを考えると非現実的な早さだ。成功の大きさに苦労が見合っている気も全くしない。作り話のようなとんとん拍子だ。
書きかけではあるが,あの文章で書いたことが,思いがけず自分を動揺させている。
理論や技術として完成させられるかどうかは時間の問題だと考えていた。本当の問題はその先にあった。地動説にせよ進化論にせよ,世界の見方を大きく変える考えには無理解や反発が付き物だ。常識を越えた考えであればあるほど,その壁は大きくなる。(後略)
確かに,最初の葛藤に陥いった原因は,輪郭法を理論や技術として完成させることの難しさではなかった。常識を変えることの難しさだ。これを現状に当てはめれば,新生デライトの完成を過信してはいけない,ということになる。
だからといって,やることが大きく変わるわけではない。一日一文に想定以上の時間を割いたのも,この理屈でいえば正しかったことになる。ただ,心構えは少し変える必要があるのかもしれない。