{『希哲日記』}{15年目}{14年目}{金風}{希哲館創立14周年}{日記}{デライト}{記録}{20歳}{希哲館}(133)

{希哲15年10月31日の日記 K#F85E/E74C-BA88}

今日までに途中まとめ作業片付けてから明日希哲館創立14周年迎えようと思っていたが,順調に改善している生活律動のため,無理せず来月持ち越すことにした。雑多な考え事頭が一杯だったところに,たまたま被った第49回衆議院議員総選挙のせいでまた一つ重い考え事が出来てしまった。

新生デライト開発の再開とともに朝の日課再開するつもりだったので,ネット環境整備ドメイン名完全集約についてのまとめ月記穴埋めは,朝の輪郭整備少しずつでも片付けていくことにした。

結局金風希哲館事業14年目最後を飾ることになった。15年目デライト収益目標達成せば,それはそれで綺麗な展開だ。


今回の総選挙では,記憶にある限り初めて白票を投じてきた。

私の政治思想明快既成政治勢力一線を画しているが,これは選挙権得た20歳の頃には概ね固まっていた。従って,既成政党政治家積極的に支持することはない,という立場一貫している。ただ,この立場正しく投票行動反映させるのは難しいとも感じていた

これまでの選挙振り返ると,ほぼ野党への消極的投票消極的野党支持棄権のどちらかだった。黙って投票するなら白票よりは消極的野党支持の方が有効だろうと思っていたし,希哲館事業成り行きの方が日本にとって重大な政治問題であるという考えで,寸刻を惜しむような時期には堂々と棄権してきた。

今回白票を投じることになった理由としては,デライト上で投票記録を取ることを考えるようになっていたことが大きい。これまでは,投票に行ったとしても適当な野党野党候補に入れるだけだったため,投票先に関しては記録もしていなければほとんど覚えてもいなかった。

しかし,希哲館執務長としての投票行動公式に記録公開することを考えると,消極的支持とはいえ特定政党や特定候補者名前を出すことは誤解を招きかねず,極力避けたい棄権にも政治参加否定するような別の誤解を招く可能性がある。となると,白票を投じるしかないことになる。

こう考えて投票を終えた後で,第25回参議院議員通常選挙時のように具体的な投票先を明かさない消極的野党支持という選択肢もあることに気付いたが,それにしても誤解の余地はあり,不透明感拭えない。結局,白票一番潔い。「希哲党」と書きたい気持ちもあったが,今は迷惑行為にしかならないだろう。

公開前提とするなら,白票にも希哲館政治的独立性表明する手段としての意義見出せなくもない。希哲党結党実現するまでは,この「白票原則」を採用することにした。長年すっきりしない問題だったので,これはこれで大きな収穫だった。

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{希哲館はなぜ潰れないのか? K#F85E/E74C-9EBB}

一日一文という日課再開して3ヶ月経ち,希哲館事業についてもだいぶ伝えやすくなったと感じている。

この希哲館事業も,11月1日14周年を迎える。もっと遡って,17歳の時の「閃き」を原点とするなら,もう20年近い歴史がある。今まさにデライト収益目標達成に向けて大詰めという時期だが,これだけ長い間,まともな収益がなく事業が存続してきたことには,いくつかの理由がある。

覚悟

まず,「日本はどう逆転するか」や「私の政治思想」などを読めば分かるように,希哲館事業構想は,「人類史上最大の事業構想」と言っても過言ではない無謀の極みであり,当然ながらその自覚絶望から始まっている。

希哲館事業の可能性気付いた17歳の私は,その過程にある,あらゆる困難想像し,絶望と戦うことになった。

この前年,アメリカ同時多発テロ事件があった。希哲館事業の根底には,あらゆる宗教,あらゆる思想を越えて世界連帯させうる“新しい価値観”への世界的要請があったように思う。

今となっては笑い話に近いが,そんな世界情勢もあり,私は,イスラム過激派にでも捕まって自分が生きたままを斬られたり,日本を追われて世界放浪したりするのではないか,そんなことまで想像していた。そんな極限状態でもこの事業を育てるために,あらゆることを考えた

閃きから5年後,私はあらゆる困難と戦う覚悟を決め,希哲館事業を始めた。全ての,自分以外の全ての人間敵に回すかもしれない,人生の全てをかけた努力が全く報われないかもしれない。それでも自分はこの事業尽力しよう。そういう覚悟だ。

希哲館館章竜胆蛍」は,この絶望的暗闇に飛び出す一匹を模したものだった。希望儚い光であり,滅びの美学のような,私の人生観覚悟象徴するものでもあった。

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{私の政治思想}

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