先日の一日一文「日本はどう逆転するか」では,あまりにも長くなり過ぎたため最後の見出しを削った。なかなか理解しにくいであろう私自身の政治思想についての余談だ。
大きな個人主義
面白いことに,私は昔から「極右」の類ではないかと誤解されることが,どちらかというと多い。これは先の文章のように,日本を極大国にしようなどとずっと言ってきたからだろう。
しかし,そんなことを一人で勝手に語っているのだから,私自身は個人主義者以外の何者でもない。私がイメージする国家というのは,昔のヒップホッパーが肩に担いでいた巨大ラジカセみたいなものだ。国家に従属したり逃避したりする「小さな個人主義」ではなく,国家を担いで鼻歌交じりに世界を歩いてしまうような個人主義を「大きな個人主義」と私は呼ぶ。
私が日本という国家を重視しているのは,それが世界を変える有効な手段だと感じているからだ。
日本で知識産業革命を起こし,日本が極大国になれば,かつてのイギリスがそうであったように,世界中の国々にその技術や文化を伝えることが出来る。実際,平成バブル期までの日本は,世界の経営学に大きな影響を与え,「日本に学べ」という風潮を作った。
「成功」さえすれば,世界の注目を集めることが出来,世界の変革を主導することが出来る。希哲館事業におけるジパング計画は,その最初の段階というわけだ。
希哲館の目的は,まず「希哲日本」という成功模体を創り上げ,その後は国際連合に代わる国際機関として「希哲」の理念に基く新国際秩序を形成することにある。知性と反知性の分断を乗り越え,万人が知による繁栄と平和を共有出来る世界だ。
私は一人で「希哲紀元」という独自の紀年法を使っているが,これはキリスト教の西暦でもなく,天皇の元号でもないという,端的な独立表明でもある。中立性のために必要であれば,平和的・合法的にバチカン市国のような小さな独立国家を持つ計画まで準備している。