- 超人を越えた凡人への旅(2日)
- デライターの未来(5日)
- 誉められて嬉しかったこと(7日)
- 心身の“黄金状態”と健康管理技術としてのデライト(8日)
- なぜ日本なのか(9日)
- 仏教とデライト(10日)
- 非言語思考と論理実装主義(11日)
- 高度非言語思考の落とし穴(12日)
- 自分自身についての研究(13日)
- 日本はなぜ繁栄し,なぜ衰退したのか(15日)
- 日本はどう逆転するか(16日〜19日,22日,24日,29日〜30日)
{日本はどう逆転するか K#F85E/E74C-3C71}
宇田川浩行昨日の一日一文では高度経済成長期以後の日本の盛衰について分析してみたが,今日は,そんな日本がどうやって中国を抜き返し,アメリカをも凌ぐ世界史上最大の極大国となりうるのかについて書いてみよう。
アメリカは脱工業化に成功し繁栄を極め,日本は工業にしがみつき凋落した……物語はここで終わったわけではない。ジパング計画という“新しい物語”が始まるのはここからだ。
あての無い家出
私は,これまでの世界で起きた脱工業化という現象を「あての無い家出」と表現したことがある。とりあえず工業中心から脱してはみたものの,落ち着ける先が見えていないからだ。脱工業化は世界にとって時期尚早だったかもしれない,という雰囲気は実際に広がりつつある。
それを象徴するような二つの出来事が同じ2016年に起きた。イギリスにおけるブレグジット決定,アメリカ大統領選挙におけるドナルド・トランプ当選だ。私はこれらに象徴される英米政治の混迷を「英米政治危機」と呼んできた。
そしてその背景にあったのが,情技(IT)産業をはじめとする知識産業の隆盛に伴う工業の衰退,格差拡大,国民分断だった。世界経済と脱工業化の先頭を走っていたアメリカ,そのアメリカを生み出したかつての超大国であるイギリスが同時に似たような危機に陥ったことは偶然ではないだろう。
産業革命から近現代を牽引してきた両国の産業構造はもちろん,政治や文化にも通底する何かの限界が,ここに来て露呈したのだ。
トランプ政権下のアメリカでは,まさに脱工業化の煽りを受けたラスト・ベルトに支持され“再工業化”の動きすら見られた。それは,あてのない家出から“出戻り”してきた少年少女のような,心細いアメリカの姿だった。
近代と工業,そして新近代化へ
一般に,国民国家や間接民主主義・資本主義といった現代社会の標準的な体制が形作られた,18世紀頃から20世紀頃までの時代を「近代」という。
{希哲15年7月1日の日記 K#F85E/E74C-9060}
宇田川浩行昨日,2日分の作業はしてしまったため,半休にし,事務的な問題を片付けたり,振り返りや軽い作業をしながら過ごした。
6月の一日一文は11編。よく休んでしまった気がしていたが,内容の濃さを考えると,3日に1編以上書けていたことにむしろ驚きがあった。計ったわけではないが,凡人思想について書いた「超人を越えた凡人への旅」に始まり,ジパング計画について書いた「日本はどう逆転するか」で終わるという,首尾の良さも不思議なくらいだ。
「日本はどう逆転するか」を書き上げるために短時間睡眠となったが,気分はすこぶる良く,晴れ晴れとした気持ちで新しい月を迎えることが出来た。よほど吐き出したいことが溜まっていたのだろう。
昨日終盤は疲労もあり,いよいよデライト収益目標達成の大詰めという時にこんなことをしていいのだろうか,という気持ちも皆無ではなかったが,終わってみれば書いて良かった。
昨日久しぶりに深夜まで作業をしたが,ふと,本来であれば追い込みの時期に9時頃に寝て5時頃に起きるような生活をしていてもいいものか,とも思った。
デライトの早期成功を確信したはいいものの,その後,なまじ余裕があるせいで手を広げ過ぎてしまっている感もあるので,もう少し目先の利益に焦点を合わせるべきかもしれない。
生活律動の乱れついでに,この際また最長2週間の短期集中生活に入るかどうか夜まで迷ったが,これはまだ止めておくことにした。
現状,生活律動を保ちながら持続可能な範囲で限界に近い進捗は出せているので,これ以上出すとなると持って2〜3日だろう。使い所を見極める必要がある。
{希哲15年6月20日の日記 K#F85E/E74C-40D3}
宇田川浩行{希哲15年6月19日の日記 K#F85E/E74C-F71E}
宇田川浩行{日本はなぜ繁栄し,なぜ衰退したのか K#F85E/E74C-C2D6}
宇田川浩行昨日の一日一文では,日本人と独自性などについて書いた。その中では,日本人の性格における負の側面を強調してしまったが,もちろん,日本人にも良い面はたくさんある。
私が「ジパング計画」などと言って日本を最重要視しているのも,その日本人の性格を活かし,アメリカや中国に大逆転勝ちする道があると思っているからだ。
ある程度定常的に存在している事物には全て,進化論的な存在理由がある。つまり,この世界のいつかのどこかに適応しやすかったから存在しているわけだ。これは人間の性格についても言えることだ。
ある場面では勇敢で大きな功績をあげた人が,別の場面では無謀な行動で身を滅ぼすことがある。ある場面では臆病で役に立たなかった人が,別の場面では慎重さで成功することもある。性格というのは,状況や環境で良くも悪くも見えるものだ。
日本の盛衰
1980年代頃には,日本は世界最強の工業国だった。人口規模などの問題で「超大国」にこそならなかったが,超大国アメリカを凌ぐ富豪や企業が輩出し,金持ちといえば日本人だという時代が確かにあった。工業の時代がずっと続いていれば,日本がアメリカを凌ぐ超大国になるのは時間の問題だったはずだ。
ところがこの1980年代というのは,すでに「脱工業化社会」の到来が広く議論されるようになっていた時代であり,アメリカでは水面下で脱工業化に向けた産業転換が始まっていた。言うまでもなく,その中心は情技(IT)産業だった。
「シリコンバレー」が注目されるようになったのは70年代からだ。90年代になると,クリントン政権によって情技を中心とした産業改革が推し進められていく。「工業では日本人に勝てない」と悟った80年代のアメリカ人には,脱工業化という,あえて進むべき茨の道が見えていたわけだ。
日本はといえば,90年代初めにバブル崩壊という憂き目を見て,「失われた三十年」とも言われる長期停滞が現在にいたるまで続いている。
情技産業に牽引された中国が日本の GDP を抜いてからもう10年以上経つが,昨年には,GAFAM(Google,Amazon,Facebook,Apple,Microsoft)などと呼ばれるアメリカ情技企業数社の時価総額が,二千社を越える東証一部上場企業全体の時価総額を上回った。
{自分自身についての研究 K#F85E/E74C-7BFB}
宇田川浩行この一日一文という日課を再開してから改めて強く感じることは,私にとって最大の関心事は私自身だということだ。
確かに,釈迦,孔子,ソクラテス,キリスト……その他高名な歴史上の思想家達の思想や生涯よりも,自分自身が体験した「閃き」の方が私には気になる。あの閃きの起源と真の可能性を探究することが生涯の仕事になるのだろうと思う。
10代の頃から世界中の思想について情報収集してきたが,ほとんど自分自身の体験だけを元にここまで思想を展開し,独自の技術まで開発している人間なんて他には思いつかない。「独創的」という日本語は賞賛に近い響きを持っているので自分で言うのはすこし憚られるが,「世界で最も独自的な思想家」くらいのことは言っても許されるだろう。
もっとも,“独自性”というのもここまで来ると実際病気に近いものがあり,一概に褒められたものではない。この独自性のせいで自殺を考えるほど悩んだこともあるし,この独自性から生み出したデライトはその独自性ゆえに苦労しているわけだ。私が希哲館事業を「精神の癌」と呼んできた所以だ。
それでも,私がこの極端なまでの独自性に希望を見出しているのは,しばしば「独自性の欠乏」を指摘される日本で,閉塞感の突破口を一つでも多く作りたい,という思いがあるからだ。
日本は紛れもなく“個性的な”国だ。外国人は,お世辞もあるだろうが「日本人はユニークだ」などと言ってくれる。ただ,日本人自身は,その個性の大半が,個人によるものではなく,みんなで同じことをやっていたら世界的には珍奇なことになっていた,という類のものであることを知っている。ガラパゴスというやつだ。
思想・哲学の分野で昔からありがちな日本人批判に,外国の思想や思想家についての研究者は多いが,独自の思想を持つ日本人がほとんどいない,というものがある。日本人がやっているのは「哲学」ではなく「哲学学」に過ぎないのではないか,というわけだ。
これはいまだに重い問いだと思う。「日本の個性的な思想家」というと,武士道やら禅やら外国人の東洋趣味に訴えるような人であったり,サブカルのような「隙間」で活躍する人ばかりが思い浮かぶ。世界史のど真ん中で,例えば,ルソーやカント,マルクスなどと肩を並べられる日本人思想家が一人でもいるか,という話なのだ。
私は,10代の頃から哲学と情報技術の両方に関心を持っていたので,日本の情技(IT)業界にも同じような「日本病」があることに,割と早く気付いた。
{高度非言語思考の落とし穴 K#F85E/E74C-E202}
宇田川浩行昨日,高度非言語思考について書いたが,これには落とし穴がある。
言語を伴う思考というのは,いわば他人との“キャッチボール”だ。意思疎通出来る範囲内で,他人に伝わるように考えを組み立てていく。それは制約でもあるし,社会生活をしていく上で必要なことでもある。
高度非言語思考は,そういった社会性を放棄して思考の自由を手に入れる手段だ。出家するならまだしも,普通に社会生活を送ろうとする者にとっては危険な行為でもある。
私はそれによって輪郭法を手に入れているが,それからしばらく精神的混迷に陥った。世間の人とは全く違う精神を持ってしまうと,まず「普通に生きる」ということが不可能に近くなる。かといって,これを活かして生きるというのも至難の業だ。その狭間で悩んだ挙句,自殺寸前まで追い込まれた。
もっとも,こうして語る人間がいてそれを真似するのと,何の手掛かりもなく一人で抱えてしまうのとでは危険性も大分違うだろう。希哲館は灯台のようなものだ。
{非言語思考と論理実装主義 K#F85E/E74C-A114}
宇田川浩行昨日の一日一文で「高度非言語思考」という言葉を久しぶりに使ったので,今日はこれについて少し書いてみよう。
人間にとって,言語と思考を切り分けることは難しい。ある程度高度な概念を扱う思考をする時,言語は自然に伴なうものだ。
他方,言語が無ければ思考出来ないのかといえば,そうではないのも明らかだ。言語獲得以前の幼児にも猿にも思考能力はある。こうした,言語を必要としない程度の非言語思考を「原始非言語思考」と私は呼んでいる。
通常は言語によって為されているような高度な概念を扱う非言語思考,これがつまり「高度非言語思考」だ。
私は,デライトの基礎理論である輪郭法と,それを中核とした希哲館事業構想を17歳で閃くが,この時に実践していたのが高度非言語思考だ。
なぜそんなことを始めたのかと言えば,言語の制約を越えたかったからだ。当時の私は,技術以上に哲学に関心がある少年で,様々な思想の対立や現代思想の停滞を乗り越えるには,「言語思考」の速度が遅過ぎると思っていた。
つまり,概念に名前を付けたり,文章的に整理するのではなく,直感に従って,手で組み立てるように思考を組み立て,言語表現については概ね形が出来上がってから後付けすればいい,と考えた。その結果が「閃き」だったわけだ。
デライトの使い方を理解している人なら,この思考法がデライトにそのまま反映されていることに気付くだろう。この頃の私は,まさに「あれ」だけで思考していた。
私にはもともと,「論理共感覚」と呼ぶ不思議な能力があった。論理と視覚・触覚が連動しているような共感覚(異種連動感覚)だ。子供の頃から,論理というものを,目の前にあるモノを目で見て,手で触るように扱えた。つまり,頭で考えるというより,感じるように思考を組み立てることが出来た。
論理共感覚は,高度非言語思考を可能にすると同時に,論組と強く結び付くことになった。ごく直感的に論組を組み立てることが出来たからだ。「論組」という翻訳語自体,プログラムの本質が論理にあるという感覚に基いて造ったものだ。
そして,論組による実装を最良の知の裏付けとする考え方を「論理実装主義」(論理実証主義のもじり)と呼ぶようになった。デライト開発はまさにその実践と言える。
私は,高度非言語思考,論理実装主義から極めて独特な思想体系を構築することになるが,当然ながら一文で書き切れることではないので,折に触れて少しずつ書いていこうと思う。
{仏教とデライト K#F85E/E74C-8C25}
宇田川浩行日本は仏教大国だが,その日本で生まれたデライトにも,仏教の影響かと思うことがいくつかある。
もともと,私自身が子供の頃から仏教的な考え方をしていた。小学生の頃,何も考えていなさそうな微生物が,自分で作り出した悩みにとらわれている人間よりも「賢い」生き物だと思っていた。特に仏教の教えを知っていたわけではないが,「縁起」のようなことも独自に考えている子供だった。
私はしばしば,17歳でデライトの基礎理論でもある輪郭法を思いついたことを「閃き」と呼んでいるが,これ自体,「高度非言語思考」と呼ぶ独特な思考法によって得たものだ。つまり,「言語にとらわれず思考すること」を独自に追求していたわけだ。これが仏教的かどうかはさておき,明らかに西洋思想的ではない。
語りと悟り
私は西洋思想を「語りの文化」,東洋思想を「悟りの文化」と表現することがある。
言語的であるということは,順序的であり一面的であるということだ。言葉は順番に並べることしか出来ないが,それゆえに階層的秩序と相性が良い。西洋思想における「ロゴス中心主義」というやつだ。
しかし,当然ながら世界は平面ではなく,決まった順序で捉えられないことが数多くある。東洋思想は大昔から仏教を含めた「悟りの文化」を発達させ,この世界を非言語的に捉えようとしてきた。
19世紀頃から,「西洋人」達は西洋思想の限界と東洋思想の可能性に気付き始めた。先日の一日一文で触れたニーチェも仏教に傾倒していたことが知られている。20世紀以後の思想は,多かれ少なかれ東洋思想の影響下にある。
悟りと閃き
さて,デライトの出発点となった「閃き」だが,実は,もともと「悟り」と呼んでいた。後に語弊があるとして改めたが,それほどの神秘的な体験だった。
実際,この閃きから出来あがったデライトは,あらゆる情報が固有の名前を持たずに垣根なく連環し,立体階層構造を成すようになっている。これは私が16歳頃から実践していた高度非言語思考を具現化したものでもある。
一昨日の一日一文で書いた「黄金状態」というのも,実質的に悟りの境地みたいなものかもしれない,と思うことがある。デライトによって誰でも体験出来るなら,これに勝る用者体験は無いだろう。
もしかしたら,デライトを「触れる仏性」として「カジュアル悟り」を広めることが出来るかもしれない。不謹慎なようだが,必ずしも小難しい理論や厳しい修業によらず,時代に合わせて大衆化・軽常化してきたのが仏教の歴史だ。
メカソクラテスでもありメカブッダになるかもしれないデライトは,悟りの文化と語りの文化を統合した「閃きの文化」と言えるかもしれない。
{なぜ日本なのか K#F85E/E74C-0142}
宇田川浩行先日の一日一文でも書いたように,希哲館事業では「ジパング計画」を推進している。知能増幅(IA)技術による知識産業革命を日本で起こし,日本主導で新しい国際秩序を作っていこうという計画だ。
私自身も希哲館事業も一見して“日本人らしい”とは言えないが,どちらも,紛れもなく,現代日本の産物だ。だから,「なぜ日本なのか」という問いも本来はおかしい。
私は日本生まれ日本育ちの日本人で,日本社会に温かく育ててもらった。平気でこんなことをやっていられるくらいだから,甘やかされた,と言った方が正確かもしれない。家族,親戚,友人,知人,みな良い人ばかりに囲まれて,日本にも日本人にも良い思い出しかない。
希哲館事業も,そんな日本から生まれて育った事業だ。散々日本人に助けられてここまでやって来れた。デライト用者も,恐らくは日本人ばかりだろう。希哲館事業が日本で,日本の繁栄を重視するのは自然なことだ。
もちろん,事業本拠地の要件として「日本でなければならない理由」はいくつもある。政治的安定性,法的自由度,宗教的寛容,地政学的利点,社会基盤……どちらかといえば,今日はこういうことを書こうと思っていたのだが,書き始めてから,「なぜ日本なのか」という問い自体の悲しい面白さについて考えてしまった。
“日本脱出”のような言説があまりにも普通になってしまった今の日本では,日本人が日本を選ぶ理由を考えなくてはならない。
確かに,情技(IT)業界でも,最近は日本人が作った柔品やサービスが最初から英語表示で,英語版以外無いことも多い。見かけるたびに複雑な気分にさせられる。日本人自身が日本に目を向けなくなりつつあるのだ。
それでも私は,日本から世界史上最大の企業を生み出せるし,日本を世界史上最大の極大国にすることが出来ると思っている。そして,日本語がいまの英語をも凌ぐ世界の言語になるだろう。決して夢ではない。それを現実にするジパング計画という地図がここにある。