先日の Trello 経由情報流出騒動は,隣接分野である個人知識管理サービス界隈にも少なからず衝撃を与えたようだ。自分の使っているサービスは大丈夫なのだろうか,といった発言が散見された。
古くは Evernote から最近なら Notion まで,ネットサービスに自分の知識を一元化出来たらいいなという願望は多くの人が持っているが,その安全性について十分考えられているとは言い難い。あまりにも無邪気にサービスを信用している人が多い。
他人に知られて死活問題になるような情報を何の心配もなく預けられるサービス・企業はこの世に存在しない。まずはここから出発する必要がある。権限があれば内部の人間は利用者の情報をいくらでも閲覧出来る。その情報が貴重であればあるほど,世界中から狙われる。どんな対策をしていると言っても,その信頼性を確認する術は利用者に無い。
要するに,ネットサービスを使う以上,最悪,誰かに見られているつもりで情報を入力しなければならない。これは,個人知識管理サービスの未来にとっても重要なところだ。
デライトは見ての通り,「描出公開原則」と言って,全ての投稿を公開している。「なんでもメモ」を謳うサービスなので,この点に違和感を覚えた方も多いようだ。しかし,これは「なんでもメモ」だからこその制約と言える。
デライトは,人間の脳に限りなく近い情報模体を採用し,とにかく何でも,あらゆる粒度の情報を結び付けることが出来る。この技術を使って秘密の情報を蓄えられたら,GAFA 級の企業でも手に負えないものになる。原発を管理するようなもの,と言えば分かりやすいだろうか。
正式離立直前になってこの問題に気付いた私は,急遽デライトを公開前提の設計に切り替え,個人知識管理サービスと SNS を融合した KNS(knowledge networking service)というコンセプトを打ち出した。
私自身は,そんなデライト上で実際に「なんでもメモ」を実践している。実名・顔出しで,毎日考えていること,やったこと,いつ寝起きしたか,何を食べたか,体調はどうか,何から何まで書いている。もちろん,それによって不利益や危険があるかもしれない,ということは常に考えている。10代の頃からこんなこともするだろうなとは思っていて,「人体実験」の覚悟は出来ていた。
最近よく思うのは,「隠さない」ことこそ最強の個人知識管理なのではないか,ということだ。別の言い方をすれば,個人知識管理サービスに最適化された人生観や人生設計を持つことが考えられてもいい時代になってきているのではないか,と思う。
誰しも秘密にしたいことはあると思うが,それは本当に秘密にする意味がある情報なのか,ちょっと考えてみた方がいいかもしれない。「恥ずかしい」程度のことなら,開き直った方が個人知識管理サービスの類は活用しやすくなったりする。
私も最初は,体調記録にいつ下痢をしたとかまで書くのはどうかと思ったが,それも慣れてしまうと面白い気がしてくる。むしろ,自分の全てが世界と繋がっているということは,ある種の神秘体験にすら思えてくるものだ。