散髪。
{散歩記録}{散歩}{希哲17年8月25日の副日記}{希哲17年8月25日}{からっとした暑さ}{希哲17年8月の散歩}{10時過ぎ}{12時過ぎ}{事務的な用事}{気持ち良かった}(15)
{希哲17年8月25日の散歩 K#F85E/0758-1AD9}
宇田川浩行{散歩記録}{散歩}{希哲17年5月26日の副日記}{希哲17年5月26日}{希哲17年5月の散歩}{11時近く}{ぶらぶら走った}{行く}{気持ちの良い天気}{40分}(13)
{希哲17年5月26日の散歩 K#F85E/E74C-8C73}
宇田川浩行{『希哲日記』}{日記}{頃}{38歳}{希哲17年5月26日}{生きたい}{やり直したい}{自分の若さ}{蔑んでいた}{20歳そこそこ}(92)
{希哲17年5月26日の日記 K#F85E/E74C-9284}
宇田川浩行今日も休めないかと思ったが,意外と良い感じに肩の力が抜け,最低限のまとめ作業だけしてゆっくり過ごせた。昼頃散髪に出かけ,帰ってから誕生日であることに気付いた。折角の誕生日くらいはと自分に言い聞かせて半休にしていた。
38歳という年齢には,思っていたほど感傷も感慨も無かった。強いて言えば,38歳という若さでよくここまで来られたと思う。これは希哲館事業の巨大さゆえの感情だろう。大事業にとって人生がどれだけ短いか散々思い知らされてきた。
若さというのは本当に相対的なものだなと最近よく思う。20歳くらいの若者がもう若くないなどと嘆いていると滑稽に思えるが,自分が10代や20歳そこそこだった頃も若さを満喫出来ていたかというと,そんな余裕は無かった。無力にもがき,幼さを憎み蔑んでいた。自分の若さを楽しめるようになったのは30代からだ。
老いへの恐怖は後悔と似ている。少なくとも,あの頃に戻ってやり直したいと思うことが無いのは幸せなことなのだろうし,これからもそういう最善の日々を生きたい。一昨日友人と話していてそれを再確認した。
{散歩記録}{散歩}{希哲17年3月2日}{希哲17年3月の散歩}{13時30分頃}{事務的な用事}{散髪}{買い出し}{1時間}{サイクリング}(10)
{希哲17年3月2日の散歩 K#F85E/E74C-E459}
宇田川浩行{散歩記録}{散歩}{希哲16年12月7日の副日記}{希哲16年12月7日}{11時40分頃}{希哲16年12月の散歩}{走った}{出かけた}{20分}{散髪}(11)
{希哲16年12月7日の散歩 K#F85E/E74C-2E35}
宇田川浩行{『希哲日記』}{日記}{大輪郭整備}{希哲16年12月7日}{希哲16年12月の日記}{振り返り日記}{出来た}{捗った}{気分一新}{散髪}(10)
{希哲16年12月7日の日記 K#F85E/E74C-2116}
宇田川浩行{開発}{『希哲日記』}{早起き}{日記}{夜}{希哲16年3月11日}{希哲館事業}{迎えつつあった}{経った}{重なった}(42)