{気分が乗らない}{希哲15年7月29日}{輪郭選り手}{抜控機能}{希哲15年7月}{焦らず}{『希哲日記』}{振り返り}{早め}{無茶}...=}(24)

{希哲15年7月29日の日記 K#F85E/A-E74C-5F9C}

いまいち気分が乗らず振り返りは進まなかったが,開発では十分進捗進展があった。

もう少し早め活動を始めたいが,脳疲労に陥りやすい状況な上に徹夜をしたばかりなので,睡眠時間十分確保したい。焦らず着実調整していく。

今月は,振り返り輪郭選り手抜控機能整備までを終えられれば上出来だろう。

{生命}{活動}=}(2)
{一日一文}{希哲15年6月の一日一文}{SNS 嫌い}{社交辞令}{社会的行為}{腑に落ちた}{最高の誉め言葉}{容姿が良い}{喧嘩が強い}{学校の勉強}...=}(113)

{誉められて嬉しかったこと K#F85E/A-E74C-5C5B}

私には,誉められ嬉しいと思った記憶がほとんど無い。誉められるのは,どちらかといえば苦手なくらいだ。先日の一日一文では私の独特な金銭欲について書いたが,これは私の独特な名誉欲かもしれない。

なぜ誉められても嬉しくないのかと考えてみると,そもそも幼い頃に自尊心完成されてしまっていた気がする。自尊心に欠けているところが無いので,いわゆる承認欲求的な感情も無い。

誉め言葉をもらっても,すでに満杯に余計なものを注がれているような感覚で,こぼれたのを拭くのが面倒になる。それが社会的行為である以上,例えば,謙遜して見せなければならないとか,こちらも社交辞令で返さなければならないとか,新しく得たものも無いのに“対応”を求められるわけだ。

私の SNS 嫌いもこんなところから来ている気がする。好意的反応をもらうことはもちろん「ありがたい」と思うし,仕事であれば必要なことでもあるが,個人的心情としては嬉しさより面倒臭さを感じてしまうことが多い。

誉められて嬉しくないのだから,貶され悲しいこともない。むしろ,他人が顔をしかめるようなことをしていた方が,自由を感じることが出来て面白いとすら思っていた。

子供の頃からこんな性格だが,大人になってからも,名誉ある地位に就きたいとか,ナントカが欲しいとか,テレビネット有名になりたいとか,そういう感情を抱いたことが無い。

日ごろ私の活動を見ている人なら納得出来るのではないかと思う。希哲館事業は,誰の肯定神託必要とせずに自分のやることに絶対確信を頂き,この上ない充実感を得て生きる人間がここにいる証拠なのだ。

私には,自分で作った「初代希哲館執務長」が,どこの国の君主首脳肩書きよりも,ノーベル賞よりも名誉に感じられる。だからこれ以上の名誉は一切不要だ。

これも病気といえばそうかもしれないが,SNS などの発達で,名誉欲承認欲求に人生を狂わされる者が無数にいることを考えると,「健全」とは何か,考えずにはいられない。


そんな私にも,人生で一つだけ,誉められて嬉しかったことがある。

恐らく4歳5歳頃だ。保育園で,はさみを使って工作のようなことをしていた。何か工夫をして,上手いこと出来たな,と思った時,保母さんが「ひろくんはアイデアマンだね」と言った。この時のことがなぜかずっと,鮮明記憶としてある。そして定期的に思い出す

当時の私に「アイデアマン」という言葉の意味が分かったとも思えないが,自分は何か工夫をすることが得意なんだな,ということくらいは体験として分かっただろう。もしかしたら,言葉が分からなかったから印象的だったのかもしれない。これもカセット効果という奴だろうか。

その後,私は,トーマス・エジソン憧れたり,信長でも家康でもなく秀吉好き少年に育っていく。子供ながら,発明とか発想価値を感じていたのだろう。

そして17歳の頃に輪郭法き,デルンデライト開発して今にいたる。確かに,これ以上価値あるものが今の私には想像出来ない。

頭が良いと誉められて学校の勉強を極めても,運動が出来ると誉められてスポーツの世界に行っても,容姿が良いと誉められて見た目を売りにするような世界に行っても,もちろん,喧嘩が強いと誉められてヤクザな道に入っても,今の私にはならなかっただろう。

私にとって最高の誉め言葉があるとすれば,やはり「アイデアマン」以外考えられない。この文章を書きながら,三十年来,心のどこかに引っかかっていたものがようやく腑に落ちた

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{一日一文}{希哲15年6月の一日一文}{霞んで見える}{大きな画期}{新しい社会}{人間社会の縮図}{宗教指導者}{そぐわない}{知の可能性}{知の不可能性}...=}(95)

{超人を越えた凡人への旅 K#F85E/A-E74C-CC47}

私の人生観希哲館事業を貫く「凡人思想」については時々断片的言及してきたが,そろそろしっかり書いておきたい。

私の凡人思想は,ニーチェ超人思想を“克服”するように形成された。

19世紀後半活動現代思想大きな影響を与えた哲学者フリードリヒ・ニーチェが言う「超人」とは,「孤独虚無をも楽しめる創造力を持った人間」のことだ。

私が言う「凡人」とは,「自らの創造力によって“新しい普通の人間”であり続ける人間」のことだ。これを私は「まだ見ぬ凡人」などとも呼んできた。この凡人は,超人を越えたところにいる。“新しい普通の人間”になるということは,万人のためのを創るということでもある。

17歳輪郭法閃きを得た私は,この発明が“知の不可能性”を前提としてきた現代思想を終わらせるものであることにも気付いた知能増幅によって“知の可能性”が異次元に広がり,知識産業隆盛と結び付いて世界あり方を変えうる。この可能性が「新しい物語」の原点だった。

それは同時に,気の遠くなるような,超人を越えた凡人への旅予感させる出来事でもあった。


凡人思想について哲学的なことをあれこれ語り出すと一日一文にはそぐわない内容になりそうなので,具体的に考えてみよう。ちょうど良いがここにある。他でもない,デライトだ。

デライトは,輪郭法に基いた世界初知能増幅メモサービスだ。私は,これを KNS(knowledge networking service)として SNS対峙している。SNS はいわば人間社会の縮図だ。各国首脳宗教指導者,各界の権威著名人を含めた数十億人ともいう人々がひしめき合う世界だ。それでも,たった一人で始めた KNS には,SNS に勝る価値があると私は思っている。

実際の所,私は希哲館事業を始める時に,「全てのと自分以外の全人類を敵に回してもこの事業に尽くせるか」と自問自答した。その決意が出来たから今こうしている。これは超人以外の何者でもない,ニーチェもびっくり精神性だ。

しかし,この程度のことなら私にとって難しいことではなかった。「三つ子の魂百まで」というのは本当で,私のこういう性格は幼い頃からほとんど変わっていない。普通ならどこかで破滅していると思うが,環境のおかげで生きてこれてしまった「超人ネイティブ」なのだ。

本当に難しいのはここからだ。このデライトを多くの人に使ってもらうためには,単なる“超人”でいてはいけない。自分自身が,万人共鳴してもらえる模体モデルとならなければ,新しい技術に基く新しい人間新しい社会を創ることなど出来ない。これ以上に人間としての器量を試されることなどなかった。

新しい凡人」になること。これこそが,17歳の私を絶望させた重圧であり,超人が霞んで見えるほどの価値だった。


たまに,デライト思想臭くてとっつきにくいなどと言われることがある。

ただ,人類知のあり方を変えようという技術新しい思想を伴なわないわけもなく,全て必然であり自然なことなのだろうと思う。

もともと希哲館事業は「テクノロジーとフィロソフィーの結合」を掲げている。デライトの成功は,技術史のみならず,思想史にとっても大きな画期となるだろう。

{捗らない}{女の子}{SNS の誹謗中傷}{一進一退}{大画期}{重く}{5時30分起床}{21時就床}{希哲15年6月1日}{生活律動調整}...=}(57)

{希哲15年6月1日の日記 K#F85E/A-E74C-42BB}

朝の一日一文でなんとなく凡人思想について書き始め(「超人を越えた凡人への旅」),久しぶりに希求主義についてまともに考えた

旧現代思想新現代思想たる希求主義の分水嶺は「可能性」だ。輪郭法閃き現代相対主義克服した。

そこからデライトまでを通観してみると,“デライトの成功”がこれまでよりずっと重く感じられる。技術史のみならず思想史にとっても大画期だ。十分現実的だという考えは変わらないが,あまりにも大きな現実で,急にふわふわした気分になってくる。


そんなことを考え過ぎたせいか,午後に入ってから強い眠気に襲われ,開発作業はいまいち捗らなかった。

ちょうど先週は水曜日休日を取っているので,ここで半休を入れておくことにした。明日も午前の様子次第で半休にするかもしれない。

ついでにこの半休を生活律動調整利用し,今日から21時就床5時30分起床を始めることにした。

22時就床にはだいぶ慣れたが,第四次宣伝攻勢朝のデライト宣伝を考えると,6時には活動を始められるようにしたかった。少しずつ就床時間を早めようとしたものの,一進一退という感じで埒が明かなかった。


SNS の誹謗中傷18歳女の子自殺したというドキュメンタリー番組をたまたま観てしまったのも,ぼんやりしてしまった原因かもしれない。

近年よく聞く話題ではあるが,従兄弟にもそのくらいの年齢の女の子がいて,2人のも出来たばかりで,余計生々し想像してしまい少し気分が暗くなった。

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{一日一文}{日本のネット文化}{終戦直後}{日本の独自性}{世界一“面白い”ネット献典コンテンツを……という誤算}{外来語翻訳}{ギブ・ミー・チョコレート}{盤本}{英語}{ネット人口}...=}(56)

{世界金融危機は日本人の何を変えたのか K#F85E/A-E74C-1766}

先日の一日一文世界一“面白い”ネット献典コンテンツを……という誤算」でも希哲館事業ネット文化すれ違いについて書いたが,これは恐らく,単にネット人口が増えたことだけが原因ではない。

希哲館事業が発足した希哲元(2007)というのは,日本人には「リーマン・ショック」でお馴染みの世界金融危機が始まった年でもあった。

振り返ってみると,確かにこの時期,日本社会にも大きな雰囲気変化があったように記憶している。テレビでもネットでも社会の先行きに対する悲観論一色だったが,個人的に興味深いのは,ネット文化変質だ。

この頃まで,例えばいま希哲館でやっている外来語翻訳であったり,独自の応司(OS)開発といった,日本の独自性強化しようという活動ネット散見されるものだった。

しかし,世界金融危機を境に,その気運が一気に萎縮してしまった印象がある。「長い物には巻かれよ」「寄らば大樹の陰」と言わんばかりに,英語アメリカ製盤本プラットフォームへの追従がよしとされるようになった。「ギブ・ミー・チョコレート」ではないが,いま思えば,終戦直後雰囲気に近かったのかもしれない。

不況ということは,企業に金が回らなくなり,何をするにも予算が減り,にあぶれる者が増えるわけで,独自性主体性なんてものは“贅沢”になる。生き残るためには自尊心より費用対効果コスパだったのだろう。

今の希哲館事業は,元気希望野望に満ちていた頃の日本のネット文化温存しているとも言える。ここから再びそんな気運を盛り上げていきたい。

{希哲15年5月の月記}{寝支度}{希哲15年5月30日}{一歩手前}{18歩}{『希哲日記』}{振り返り}{7時}{活動}{完璧}...=}(11)
{一日一文}{希哲15年5月の月記}{14歩}{面白がられる}{良いネタ}{火が付く}{希哲館事業の重さ}{希哲13年}{握接状況}{希哲15年5月3日}...=}(80)

{希哲15年5月3日の日記 K#F85E/A-E74C-D43C}

引き続き生活習慣改善が進む。

昨晩からやたら調子が良い。生活習慣改善が頂点に達した希哲13年頃に使っていた製品を揃え,同じように手入れし始めたばかりだった。当時熱心研究していただけあって,ってしまうほどの即効性だ。


デライト宣伝は少し抑制した。やはり手応えの良さに対して高速化が遅れている。

昨年,最初に宣伝を始めた頃から感じていたことだが,やはりデライトは妙に掴みが良い。「面白そう」と思ってもらうまでは早い。そこから「分かりにくい」と大半が脱落していくが,流石に一年前とは比べ物にならないほど改良されているので,一応登録自我数にも描出にも反映されるのは早くなっている。

感覚的に,今のデライトはいつ火が付いてもおかしくない。ただ,その時に耐えられる実装ではない。握接状況観察しながら,それを恐れてしまっている自分がいる。

実際,握接集中微妙デライト挙動がおかしいと感じることが多くなった。この日は珍しく新規描出違了遭遇した。

安定拡大戦略で“希哲館事業の重さ”に期待出来なくなっている,ということもある。希哲館事業デライト宣伝にとって重荷であり,当面理解されることなどないだろうから,過熱抑止してくれるはずだ……安定拡大戦略はこの観測依存していた。

ところが最近,一日一文良いネタになってしまっていることもあり,自分の中で希哲館事業デライト調和しつつあるように感じる。上手くデライトに物語性を与えてくれている。

敬遠してもらいたかった希哲館事業が,無視されるか,事によると面白がられることすら想像出来てしまうようになった。これは本来喜ぶべきことだが,安定拡大戦略にとっては誤算だ。

とはいえ,安定拡大理想であることに変わりはなく,希哲館事業の重さも全く使えなくなったわけではない。とりあえず安定拡大戦略は維持しておくとして,デライト高速化で補うしかない。


進捗14歩まで出て,目標まで文字通りあと一歩というところだ。

一日のまとめはいつも寝る間際になってしまうが,どうしても考え事が多くなるので入眠を妨げる。これからは就床2時間前には始めることにした。時間が余ったら開発作業を進めるなり文章を書くなりしていればいい。昨日から考えていたが明日から実践する。

活動も早めにし,17時までに10歩以上は終わらせ,22時就床目標にする。

黄金週間が終われば6時には朝のデライト宣伝を始めたいので,早寝早起き出来るようにしておかなくてはならない。

4日覚え書きに大幅加筆修正

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{活動}
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