{希哲15年7月15日}{希哲15年7月上旬}{室温調整}{無理せず}{考えさせられること}{状況の急激な変化}{微妙な蒸し暑さ}{希哲15年7月7日}{バリバリ}{新生デライト宣言}...=}(29)

{希哲15年7月7日の日記 K#F85E/A-E74C-6639}

今日からバリバリ仕事を進めようと思ったものの,少しぼーっとしてしまう時間帯が多かった。

ここ数日,状況の急激な変化があったり,考えさせられることが多かったりするせいかもしれない。たまには必要なことでもあるので,無理せず仕事そこそこにして休むことにした。

蒸し暑い日が増えたこともありそうだ。冷房をつけるまでもないような微妙な蒸し暑さだったが,そろそろ意識的室温調整必要か。


少し頭の中ごちゃごちゃして目標意識も薄れてきているため,上旬中にデラング整備一段落させること,15日までに新生デライト宣言第四次宣伝攻勢開始を実現することを目安として意識し直す。

{第三次黄金状態の回復}{定休日}{第三次黄金状態}{理想的な一日}{黄金休日}{休ませる}{休日の過ごし方}{理想的な休日}{迷っていた}{自分自身についての研究}...=}(60)

{希哲15年6月13日の日記 K#F85E/A-E74C-C1D6}

第三次黄金状態の回復後,初めての休日だった。

週休1日有効性先月確認していたが,第三次黄金状態でも必要なことかまだ確信がなく,デライト開発では出振るい直後でやりたいこともあり,休日にすべきかまで迷っていた

特に疲労感は無かったものの,第三次黄金状態の回復後,進捗は連日20歩前後という異常な高水準推移しており疲労が無いとは考えにくく,前日胃腸の調子にやや不安定化が見られたこともあり,結局休日とすることにした。

一日,気まま描出をしたり,散策したり過ごした。良い気分転換も出来,有意義でもある理想的な休日だったが,一日一文熱中して少し就床時間が遅くなってしまった。


休日の過ごし方などについても少し考えた

週のうちいつを休日とするかは,これまでその時の状況で決めていたが,生活律動のためにも定休日を決めておくことにした。この日たまたま日曜日だったため,まずは日曜日を定休日として様子を見る。

生活律動執務以外の日課は基本的に維持する。

休日にやるべきではないことを決め過ぎても利楽しにくいが,意識的心身休ませる必要もあるので,とりあえず,ある程度緊張感を保つための手段である進捗時限記録を付けないことだけは決めた。

輪郭整備などは庭いじりのようなもので,仕事でもあるが娯楽でもあるので休日の過ごし方として一番無難かもしれない。

黄金休日」という言葉を思いついたのがきっかけで,「黄金日」という言葉を思い出した。第一次黄金状態発現した日としてよく使っていたが,いつからかあまり使わなくなっていた。

黄金生活とは黄金日を重ねていくことなので,もう少し広く,「理想的な一日」の意味でこれからまた使っていくことにした。

14日振り返り日記

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{バリバリ}{眠くなる}{希哲15年6月11日}{振り返り日記}{『希哲日記』}{起き}{絶好調}{仕事}{}{日記}=}(10)
{一日一文}{希哲15年6月の一日一文}{SNS 嫌い}{社交辞令}{社会的行為}{腑に落ちた}{最高の誉め言葉}{容姿が良い}{喧嘩が強い}{学校の勉強}...=}(113)

{誉められて嬉しかったこと K#F85E/A-E74C-5C5B}

私には,誉められ嬉しいと思った記憶がほとんど無い。誉められるのは,どちらかといえば苦手なくらいだ。先日の一日一文では私の独特な金銭欲について書いたが,これは私の独特な名誉欲かもしれない。

なぜ誉められても嬉しくないのかと考えてみると,そもそも幼い頃に自尊心完成されてしまっていた気がする。自尊心に欠けているところが無いので,いわゆる承認欲求的な感情も無い。

誉め言葉をもらっても,すでに満杯に余計なものを注がれているような感覚で,こぼれたのを拭くのが面倒になる。それが社会的行為である以上,例えば,謙遜して見せなければならないとか,こちらも社交辞令で返さなければならないとか,新しく得たものも無いのに“対応”を求められるわけだ。

私の SNS 嫌いもこんなところから来ている気がする。好意的反応をもらうことはもちろん「ありがたい」と思うし,仕事であれば必要なことでもあるが,個人的心情としては嬉しさより面倒臭さを感じてしまうことが多い。

誉められて嬉しくないのだから,貶され悲しいこともない。むしろ,他人が顔をしかめるようなことをしていた方が,自由を感じることが出来て面白いとすら思っていた。

子供の頃からこんな性格だが,大人になってからも,名誉ある地位に就きたいとか,ナントカが欲しいとか,テレビネット有名になりたいとか,そういう感情を抱いたことが無い。

日ごろ私の活動を見ている人なら納得出来るのではないかと思う。希哲館事業は,誰の肯定神託必要とせずに自分のやることに絶対確信を頂き,この上ない充実感を得て生きる人間がここにいる証拠なのだ。

私には,自分で作った「初代希哲館執務長」が,どこの国の君主首脳肩書きよりも,ノーベル賞よりも名誉に感じられる。だからこれ以上の名誉は一切不要だ。

これも病気といえばそうかもしれないが,SNS などの発達で,名誉欲承認欲求に人生を狂わされる者が無数にいることを考えると,「健全」とは何か,考えずにはいられない。


そんな私にも,人生で一つだけ,誉められて嬉しかったことがある。

恐らく4歳5歳頃だ。保育園で,はさみを使って工作のようなことをしていた。何か工夫をして,上手いこと出来たな,と思った時,保母さんが「ひろくんはアイデアマンだね」と言った。この時のことがなぜかずっと,鮮明記憶としてある。そして定期的に思い出す

当時の私に「アイデアマン」という言葉の意味が分かったとも思えないが,自分は何か工夫をすることが得意なんだな,ということくらいは体験として分かっただろう。もしかしたら,言葉が分からなかったから印象的だったのかもしれない。これもカセット効果という奴だろうか。

その後,私は,トーマス・エジソン憧れたり,信長でも家康でもなく秀吉好き少年に育っていく。子供ながら,発明とか発想価値を感じていたのだろう。

そして17歳の頃に輪郭法き,デルンデライト開発して今にいたる。確かに,これ以上価値あるものが今の私には想像出来ない。

頭が良いと誉められて学校の勉強を極めても,運動が出来ると誉められてスポーツの世界に行っても,容姿が良いと誉められて見た目を売りにするような世界に行っても,もちろん,喧嘩が強いと誉められてヤクザな道に入っても,今の私にはならなかっただろう。

私にとって最高の誉め言葉があるとすれば,やはり「アイデアマン」以外考えられない。この文章を書きながら,三十年来,心のどこかに引っかかっていたものがようやく腑に落ちた

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{時間を巻き戻す}{良い調子}{希哲15年5月の月記}{希哲15年5月31日}{特別な日}{最大の収穫}{希哲15年6月}{デラング整備}{第三次生活習慣改善}{頑張ろう}...=}(33)

{希哲15年5月31日の日記 K#F85E/A-E74C-5447}

今日も良い調子で過ごせた。

せめてデラング整備一区切り付けたかったが,月末なので適当な所で中断月記を付けながら今月振り返りをした。

こうしてみるとデライト開発にもそれなりの進展があったが,何より生活習慣改善最大の収穫だった。全くの想定外で,当初は選択肢にすら無かったことながら,これに勝る収穫も考えにくい。月初時間を巻き戻せたとしても,これを選ぶだろう。

今月は“特別な日”もあり,気持ち区切りとしても大きな月だった。

ここまで健康で,身内にも大事なく,仕事順調に進んでいる奇跡のような幸運感謝しつつ,また来月頑張ろう

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{一日一文}{希哲15年5月の一日一文}{先が思いやられる}{関の山}{最終目標}{迷い込んだ}{良い暮らし}{立ち尽くす}{分かれ道}{選んだ}...=}(75)

{いくつかの岐路 K#F85E/A-E74C-05DC}

私にも,いくつか人生の岐路というべき場面があった。

私は12歳頃から変わったを歩むことになったので,これも岐路といえばそうかもしれない。ただ,意識的にこの道を選んだわけではないし,その後のことも全く想像出来なかった。なんとなく迷い込んだという感じだ。

分かれ道を前に立ち尽くすような人生の岐路という意味では,やはり17歳の頃を思い出す。「閃き」で輪郭法希哲館事業青写真が出来た頃だ。

希哲館事業に進むべきか,その気持ち押し殺して普通の人生に進むべきか。どちらを選んでも困難は目に見えていた。結局,決心して希哲館事業発足にいたるまで4年ほどかかった。希哲元(2007)のことだ。

次の岐路は,希哲6(2012)デルンの実用化直前のことだった。

当時の私は,何かと恵まれ個人事業主として好条件司組システム開発仕事をもらったりしていた。このまま無難に仕事を続けるか,思い切ってデルン開発注力するか,という岐路だ。

この時は,あまり迷いもなくデルン開発を取った。希哲館事業を始めた時点で,私の目標は,とりあえず世界史上最大の企業を創り知識産業革命実現することだった。それすら最終目標ではない。このまま無難にやっていれば,そこそこの大企業を創るのが関の山だろうと思った。

デルンの実用化成功とともにそれまでの仕事は全て止め,デルン育てることに注力するようになった。それから更に8年ほど経った希哲14(2020),デルンはデライトとして世に出る

そして今年開発が上手く行き,デライトの成功時間の問題という所まで来て,また一つの岐路があった。じっくり時間をかけてデライトを成功に導くか,多少リスクが増してもデライトの成功を急ぐか,という岐路だ。

もちろん,私はデライトの成功を急ぐことにした。デライトの成功は,希哲館事業の成功過程に過ぎない。デライトだけが成功しても意味がなかった。これは「デライトはなぜ成功を急ぐのか」でも書いた通りだ。

結局,私は無難な道を選ぶということが出来なかった。希哲館事業の成功への希望が残るかどうか。17歳の頃から,それだけが私にとっての死活問題だった。どんなに安全だろうとその希望がゼロなら私は生きていられないし,どんなに危険だろうとその希望がわずかにでもあれば生きていける。

今のところは環境のおかげで良い暮らしが出来ているし,見通しも良いが,生き方そのものがとんでもない綱渡りには違いない。そう考えてしまうと,具体的心配もないのに先が思いやられる

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{希哲15年5月の月記}{右目の三重瞼}{希哲15年5月25日}{振り返り日記}{第三次生活習慣改善}{贅沢な悩み}{はっきり}{2日間}{『希哲日記』}{デライト開発}...=}(19)

{希哲15年5月25日の日記 K#F85E/A-E74C-FB7C}

また一日外出。この2日間で,6月一杯まで落ち着いてデライト開発を進めるための仕事をしてきた。これも幸運なことだった。


生活習慣改善成果か,昨年から気になっていた右目の三重瞼はっきりとした改善が見られ,嬉しかった。贅沢な悩みだが,色々な問題解消するにつれ余計気になっていた。

26日振り返り日記

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{仕事}
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