{『希哲日記』}{日記}{演待}{演待累新}{演待改革}{またまた}{希哲15年11月10日}{呼んでおく}{気がする}{定問}(20)
{『希哲日記』}{日記}{しっくりきた}{呼んでおく}{仮に}{極めて大きな出来事}{蘇ってくる}{切り崩せた}{書類の山}{手の付けようがなかった}(34)

{希哲15年10月4日の日記 K#F85E/E74C-DE69}

長年手の付けようがなかった書類の山ようやく切り崩せた。これで少しずつ片付けていけそうだ。

音楽聴きながら書類仕分けしていると,やはり色々な思い出蘇ってくるレシート一枚でも,もはや「史料」みたいなものだ。


昨日方針転換も,今後極めて大きな出来事として振り返ることが多くなりそうなので,仮に浦安累新」と呼んでおくことにした。

なんだか自分の中で色々なものが更新されて若返ったような新鮮な気持ちで,「累新」がしっくりきた希哲館累新でもあり自己累新でもあり,もしかしたら鎌倉累新前段階になるのかもしれない。

{一日一文}{希哲館事業}{希哲15年5月の一日一文}{人間の主体性}{発展形}{人間の可能性}{宗教的権威}{新しい思想家}{人類知のあり方}{知能増幅サービス}(38)

{個人知識管理と新しい人間 K#F85E/E74C-CE0B}

個人知識管理(PKM)は人類知のあり方を変える。まだなかなか理解してもらえていないが,これはデライトも含めた希哲館事業根底にある考えだ。

ヨーロッパでは,中世から近代に移り変わる過程で新しい思想家が多く生まれた。彼らは,宗教的権威から人間の可能性を取り戻そうとした。

累新ルネサンス啓蒙時代のような運動が,デライトのような個人知識管理サービス中心にまた現れるだろう,と私はみている。

いまや技術は「新しい神」となりつつある。人工知能仮想通貨暗号通貨に対する熱狂も,人間を越えた何かへの期待という意味で,かつての神への信仰に近いものがある。

私が提唱する,個人知識管理サービス発展形としての知能増幅(IA)サービスは,「新しい人間」のための技術だ。

司組システム埋没しつつある人間の可能性主体性取り戻す。そんな世界史を変えるような運動が,日本から始まろうとしている。

{『希哲日記』}{日記}{デライトの成功}{デライト}{希哲館事業}{新生デライト}{デライト開発}{利素}{希哲15年3月29日8歩}{寝食を忘れる}(101)

{希哲15年3月28日の日記 K#F85E/E74C-5782}

意を決し,この日から4月10日までの短期集中生活に入ることにした。デライト収益目標達成必達期限11月1日としていたが,努力期限としていた5月1日を必達期限に置き換える。つまり,この一ヶ月決着を付ける覚悟をしたということだ。

4月最後の12週間ラストスパート的な短期集中生活に入る可能性想定していたが,入らなくて済む可能性も残していた。あくまでも努力期限として,収益目標未達になることも無論想定していた。失敗出来ない状況になれば短期集中生活に入ることは避けられず,どうせ入るなら早い方が良い。新生デライトをある程度形にしておきたい4月上旬まで,偶然にもこの日からちょうど14日間だった。経験上,容易生活律動矯正出来る限度だ。連日興奮気味でどの道まともに眠れそうにないということもあった。

このごろ,デライト希哲館事業全体に累新ルネサンスをもたらしているように感じる初心に返ってみることが多くなったり,長年死蔵していた物事が続々と息を吹き返している。デライトが心臓となって事業全体に再び血が巡ってきたようだ。

デライトの成功焦点を絞り,あらゆる利素をデライトに注ぎ込んだ成果と言えるだろう。このデライト集約によって立ち塞がっていた突破することが出来たのは間違いないが,ずっとこのままというわけにもいかない。デライト開発快調に進むにつれゆとりが出来,視界が広がってくると,今度はその視野の狭さ足枷になってくる。

と言っても,このことにはっきり気付いたのはついさっきのことで,そのきっかけはつい前日,希哲館本館構想急速具体化してきたことだった。あえて目隠しをしていたようなものとはいえ,希哲館事業全体に対する視野を失っていたことの意味に気付かされた。

希哲館事業の成功デライトの成功は必ずしも一致しない。デライトの成功が確実になる代わりに希哲館事業の成功が皆無になる道と,デライトの成功が危うくなる代わりに希哲館事業の成功が雀の涙ほどありうる道があれば,迷わず後者を選ばなければならないのが希哲館執務長という立場だ。私はデライト開発者である遥か以前に,執務長として希哲館事業の成功に責任を負っている。

そう考えれば,今の歩みは明らかに遅過ぎる5月1日までの収益目標達成に失敗すれば多少の調整期間を挟む必要があり,6月7月とずれ込んでいく可能性が高い。それでも必達期限は11月1日なのだからまだまだ余裕がある。それに失敗しても生活に困るわけでもなく,デライトは細々と運営していける。何年か後に成功していれば世間的には大成功で,それはまず確実なのだから焦る必要は全く無い。心のどこかにそんな気持ちがあったことは否めない。希哲館執務長ではなくデライト開発者になっていたからだ。

デライト極めて重要希哲館事業一環ではあるが,所詮は一環だ。デライトの成功は,希哲館事業の成功爪先にも及ばない。その後にやらなければならない仕事デライト開発の何百倍とある。デライト収益目標達成ごときにてこずっているわけにはいかない。

最近,日々の展開のあまりの速さに目が回るなどとよく書いていたが,これも今思えば情けない泣き言だ。実際,昨日大きな心境の変化があったかと思えば,今日また新しい心境が開けるのだから,頭の中洪水のようだ。前日の考えをまとめるだけで半日かかっている。宇宙飛行士訓練ではないが,これは慣れるべきことなのだろう。むしろ,毎日加速を続けなければ寿命千年あっても希哲館事業の成功を見ることは出来そうにない。

来月10日までは寝食を忘れてでも頭が働く限り開発に専念し,誰に見せても恥ずかしくない新生デライト5月1日までの収益目標達成を確実にする。11月1日には希哲館仮本館が出来ているくらいの勢い加速し続けたい。

29日振り返り日記

{開発}{『希哲日記』}{日記}{}{希哲館事業}{一夜革命}{嬉しい発見}{かくれんぼ}{あれ}{希哲15年1月18日の日記}(45)

{希哲15年1月19日の日記 K#F85E/E74C-F70C}

昨日の日記を付けながら,デライト累新希哲館累新でもあり,「千年の集約」でいうところの累新に,希哲館黄金期近代化過程相当することに気付いた。

最近,こんなことをぼんやり考えながら時が過ぎてしまうことが多い。がよほど情報整理しようとしているのか,少し思考に引っかかりを感じて手を止めると,そのまま何時間も経っていたりする。そのせいで開発も少し停滞気味だ。

経験上,こういう時は「待つ」以外にこれといった対処法が無いことは分かっているが,流石にそろそろ手を動かしたい。

そう思いながら,デライト公式希哲館訳語についてツイストを書いていた。相変わらず,独自性という言葉陳腐に感じるほどの異形ぶりに,自分は日本の中心部にありながらどんな環境で育ってきたのだろうと改めて感じていた。

あるツイストを書き終えた瞬間、なぜか,幼少期かくれんぼで大人達を困らせた記憶が蘇えってきた。希哲館事業というのは,自分にとってずっとそんな「わくわく」する悪戯だったのかもしれない。一夜革命なんて,やたら壮大なだけでまさにかくれんぼではないか。久しぶりに「三つ子の魂百まで」という言葉を思い出した。

急に童心にかえったような気分になり,すっと肩の力が抜けてなんだか笑えてきた。

気付いてみればこんな単純なことに今まで気付かなかったのか,気付いたことを忘れているのか,灯台下暗しということもあるから分からないが,変に嬉しい発見だった。

これだから思索はやめられないのだろう。

{『希哲日記』}{日記}{デライト}{新生デライト}{希哲14年12月の月記}{千年の集約}{意識の変化}{デライト累新}{旧デライト}{新デライト}(22)

{希哲14年12月29日の日記 K#F85E/E74C-5C93}

27日活動統一をもって「デライト完全集約」として,これ以後のデライトを「新生デライト」,ここまでの一連の出来事を「デライト累新」と呼ぶことにした。

旧デライトに対して単に「新デライト」と呼ぶのも味気ないだろう。何をもって新生とするかは難しいところなので「意識の変化」ということにしておく。

ふと,これからデライトでやろうとしていることが世界史でいえば知恵の館あたりから累新近代化までに相当する「千年の集約」でもあることに気付き少し気が重くなった。新近代化というのは大分前から語っていることだが,それだけ具体化が進んだということなのだろう。

31日振り返り

{累新}

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