{一日一文}{希哲15年5月の一日一文}{政治的合意}{代替策}{交通技術}{基礎所得保障}{人間への共感}{両立}{世界史上最大の企業}{階層的}...=}(73)

{基礎所得保障ベーシック インカムから基礎雇用保障ベーシック ウェルカム K#F85E/A-E74C-B5DA}

一昨日の一日一文で私の変わった“金銭欲”ついて少し触れたが,これが実は希哲館事業核心に近い要素かもしれない。

希哲館事業にはもともと,“資本主義共産主義綜合”という目標が含まれている。その新しい経済思想を「相通主義」と呼んでいた。この名前も最後に見直したのがだいぶ前なので,もう少し良い名前がある気もするが,しばらく仮称としておこう。

相通主義というのは,資本主義流儀に則って共産主義理想(本来の共産主義とは別の形で)実現してしまおうという考え方だ。そのになるのが「相通化技術」と呼ぶ技術で,情報技術交通技術に大別される。希哲館事業では,その情報技術を「虎哲」,交通技術を「竜力」と呼び,開発計画を「竜虎計画」と呼んでいた。

その虎哲の核心となるのが輪郭法で,デルンデライトとなっていく。こう階層的整理してみると,希哲館事業構想がいかに巨大か分かる。「人類史上最大の事業構想」というのも伊達ではない。事業の全体像を簡単に説明しておこうと思うだけで,本題について忘れそうになる。

ベーシック ウェルカムとは

そんな希哲館事業で私がやりたいことは,簡単に言ってしまえば,“世界史上最大の企業”を作って雇用万人開放することだ。これを「基礎雇用保障ベーシック ウェルカム」(BW)と呼んでいる。「基礎所得保障ベーシック インカム」(BI)の代替策だ。

BI は昔から考えられてきたことだが,小規模な実験以外で実現見通しは立っていない。いくつかの理由で,一定規模以上の国家で実現することは困難と私は見ている。

BI は社会の構成員に大きな考え方転換を迫る。それも,持続的でなければ意味がない。やってみたが,やっぱり戻そう,という動きも当然考えておかなければならない。その割に,哲学的弱さがある。利点とされていることも大半は希望的観測でしかない。

それに対し,BW は思想転換も政治的合意も必要としないという大きな利点を持つ。その代わり,万人に雇用を提供出来る企業を創り出さなければならない。

私はよく GAFAM意識したようなことを語っているが,実際,この構想は GAFAM を大きく越えるような企業でなければ実現出来ない。しかし,それは不可能なことではない。

知識産業はこれまで考えられなかったような格差を生み出す。企業間も例外ではない。ついこの間まで,GAFAM の株価東証一部上場企業全体を上回り,米国政府と対立することなど考えられなかった。その GAFAM 全体を一社で上回る企業が出てこないとも言えない。

究極の格差を制することで世界に平等をもたらす。この BW という考え方は,世界史上最大の富を生み出そうという意欲と,人並の収入があれば満足に暮らしていけるという価値観両立させた人間にしか生み出せないものだと思う。

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{一日一文}{希哲館訳語}{年月日}{文化的独立性}{気持ち悪さ}{時代感}{最重要視}{希哲前1年}{希哲8年}{希哲零年}...=}(77)

{希哲紀元とは何か K#F85E/A-E74C-DC33}

私はよく「希哲〜年」と書いている。例えば今年2021年なら希哲15年となる。これは「希哲紀元」という希哲館独自の紀年法だ。希哲館事業発足2007年希哲元年とし,そこから希哲2年希哲3年と数えていく。

この希哲紀元を私的に使い始めたのが希哲8(2014)年頃だから,もう7年ほど経つ。


希哲館訳語からも分かる通り,希哲館では日本語最重要視している。日本語の力を活かして知識産業革命を成し遂げ,日本語を世界中に広めたいと思っている。

ところがここで一つの問題があった。日本語で使える普遍的かつ合理的紀年法が無かったのだ。

我々日本人元号に慣れているし,愛着を持つ人も多いだろうが,元号はあくまでも天皇権威由来するものであり,外国人に押し付けられるものではない。紀年法としての分かりやすさ犠牲にする代わりに時代感共有しやすいなどと言われるが,それも国内の問題に過ぎない。

それでも日本人は元号を使うんだ,と言えるほど元号にこだわりがあるのかと言えば,実態はそうでもない。西暦も当たり前のように使われており,面倒だから西暦だけにしてくれという人もまた多い。ではその西暦に問題が無いのかと言えば,キリスト教価値観に基く紀年法が中立なわけはない。

キリスト教徒の少ない日本で,元号を捨てて西暦だけを使うようになった日本人というのも奇妙だろう。かといって,元号のみを使うのも皇紀を使うのも現実的ではない。併用している現状が良いのかと言うと,やはり面倒なことが多々ある。

残念ながら,日本語現状として,気持ち良く使える紀年法は無い。この気持ち悪さに自分なりに決着を付けたかった。希哲紀元を使い始めた動機はそんなところだ。


希哲紀元を初めて見た人はぎょっとするだろうが,実は,一つ一つの理屈単純明快だ。馬鹿正直過ぎるくらいかもしれない。

希哲紀元が希哲館事業発足の年を元年とするのは,希哲館にとってそれ以上に独立性を示せる出来事が無いからだ。宗教や特定の文化に依存することを極力避け,どこかに始点を置かなければならない以上,希哲館は希哲館の始まりを元年とするほかない。まあ,「苦節云年」を難しく言ったものだと思ってもらってもいい。

希哲紀元には,文化的独立性を保つという意義に加え,これまでの紀年法の欠点克服しようという試みもある。

希哲紀元は元号風だがあくまでも「紀元」なので,西暦と同じように改元は無い。ただ,「希哲」には元号同様,新時代への思いが込められている。それは今後数十年ではなく,半永久的に続く時代の名前だ。

さらに,希哲紀元には元年の前に「零年」がある。その前が「前1年」だ。つまり,歴史上の全ての年を整数として扱うことが出来,計算しやすい。これは西暦にない利点だ。


元号にも西暦にも使用義務は無く,あくまでも文化の一つとして任意で使うものだ。当然ながら,希哲紀元も私個人や希哲館の内部で使っているもので,無理に使わせたいということもない。これが本当に合理的なものなら,自然に広まっていくだろう。

ただ一つ,希哲紀元を使い始めてから年月日を書くのが楽しくてしょうがない。

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{離立}{希哲13年12月11日}{希哲13年12月11日のツイスト}{柔品開発}{ツイスト}{リリース}{悪手}{甘え}{価値観}{ものづくり}=}(10)
{希哲13年7月12日}{希哲13年7月12日のツイスト}{ツイスト}{自画自賛}{ドナルド・トランプ}{価値観}=}(6)
{希哲13年6月27日}{コバンザメ}{あれ}{希哲13年6月27日のツイスト}{日本人の精神性}{ツイスト}{強者}{価値観}{ハイエナ}{日本人}=}(10)
{希求主義批評}{批評}{価値観}{希求主義}{時記}{公開}=}(6)

{批評はなぜ死になぜ蘇えるのか K#F85E/A-D7EE}

批評家というのは報われない職業だ。

日本では,批評・評論というのは「楽で卑怯な仕事」だと多くの人に思われている。以前「評論家は行動しないことが仕事」という文章を書いたが,実はこの態度を貫く事こそ一番難しい批評家の仕事だ。一般に批評家に対する社会的評価が低いのは,口先だけの仕事だからではなく,口先だけの仕事だという悪印象を覆せるほど口が上手くないというだけのことだ。

「批評家」や「評論家」という肩書きは適当に名乗ったり名乗らせたりしていることが殆んどで,その意義をしっかりと踏まえて,その役割を果たそうとしている人間は極めて少ない。

昔,ある人が,「年中ラーメンを食べていられる人の舌は狂っているので『ラーメン評論家』は信用できない」という趣旨の発言をしたことがあったが,これはもっともだ。もちろん,批評的に優れた「ラーメン評論家」もいるのだろうが,少なくとも自分の好きなものに溺れてその感想を言っているだけでは批評家・評論家とは言えない。ただの口うるさいマニアだ。批評というのは,客観的に優れた価値観と豊富な知識,そして表現力によって社会の眼識を育てる活動だ。「ラーメン評論家」の例は,昨今の文芸批評でも社会批評でも他人事ではない。

批評が社会に欠かせないのは,権威や金銭以外の価値観で物事を評価する仕事だからだ。明確な価値観に則って,悪いものを悪い,良いものを良いと評価できることが健全な文化活動にとって重要であることは言うまでもない。批評があることで,あらゆる仕事が権威への追従を許されず,拝金主義に陥いることを免れる。批評は社会の防腐剤だ。

しかし,だとすれば批評に対する批評が無いのはおかしい。批評も人間の仕事なのだから,その仕事を評価する第三者の視点がなければ腐敗する。批評が死んでいるということは,批評に対する批評が死んでいるのだ。批評の社会的役割を認知するということは,すなわち批評を批評対象とするということだ。日本の批評を殺しているのは,日本人の「批評批評」の稚拙さに他ならない。

もちろん,批評の基軸となる価値観を掴むことは難しい。分野としての批評は哲学と隣接しているが,実際のところ,強靭な価値観を得るということは哲学的探究に等しい。哲学が死んでいる日本で批評が死んでいるのは無理もない。もっとも,日本でなくても,マルクス主義ポストモダニズムポストコロニアリズム……と,どれも今更という気がしてしまう。新興理論もあまりパッとしたものがない。

だが,今は希求主義がある。希求主義が批評を蘇えらせる。私は批評家として活動しているわけではないが,私以外やる人間がいないので折に触れて希求主義批評を実演してみようと思う。

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{種語}{価値観}{}{鍵語}{素描}=}(5)
{価値観}
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