姪がいったん帰り,束の間ながら落ち着ける環境が戻ってきた。いくら可愛いといっても,流石に真後ろの柵で動いていると気が散ることは否めない。

{希哲15年2月23日の日記 K#F85E/A-E74C-427D}

{希哲15年2月4日の日記 K#F85E/A-E74C-F900}
この頃,透明性についてよく考える。直接意識してきたわけではないが,結果的に私自身も希哲館事業も限りなく透明化しつつある。これも可知性ということか。
今日は開発も快調で,自我アイコン設定機能実装の区切り付けを終えた。本番環境でも手定めに自分とデライト公式の独自アイコンを設定してみた。それだけのことなのだが,妙に胸が熱くなり,感無量だった。
画竜点睛というべきか魂が入ったというべきか,小さなことのようで想像していたよりずっとデライトが生き生きとして見える。
竜胆蛍がいかに私と希哲館の精神の象徴といっても,やはりどこか覆面をしているような感覚があった。
本当に鏡のようになったデライトに映る自分を見ていると,ここまでのわがままを許してくれた周囲の愛情と幸運の多大なことに感謝の念を抱かざるをえない。
最近,自分の境遇について考えさせられるような,ちょっとしたことが立て続けに起こっているせいで余計感傷的になっているのかもしれない。今こうしていられるのも,環境と偶然のおかげだったんだな,と改めて実感させられることが多い。
もうデライトの成功なんか無くても,『パーフェクト・ワールド』のごとく明日のたれ死んでも贅沢なくらいじゃないかと思うくらい既に幸福な気がするが,これはやはり克服すべき自己中心性なのだろう。
閃き以来のこの自己中心性こそデライトをここまでの形にした創造性の核だった。しかし,それだけでは「奉仕」としてのサービスは成立しない。この喜び(delight)を広く共有出来るものにしなければならない。そのためには,お題目ではなく心から思いやりが生じなければならない。
別に今初めて思ったことではないが,一つ峠を越えた後で,自然にこういう感情が湧き出てくるということがデライトの成功にとっては希望だ。

{希哲15年1月29日の日記 K#F85E/A-E74C-9172}
最近,黄金循環によって描出宣伝に期待出来るようになったことで描出思考が増え,自然と暗黙宣伝やツイスト宣伝が減っている。ちょうどいい節目なので,昨年10月20日から始まった第二次宣伝攻勢はここでいったん終了とし,2月中に新生デライトとしての体裁を整えてから第三次宣伝攻勢を始めることにした。
宣伝停止までする必要はないが,第三次宣伝攻勢まで Twitter を絡めたデライト宣伝は適宜,不定期でいいとして,当面は開発と文書整備に集中する。
一昨年よく使っていた「デライト仮公開」や「デライト再公開」という用語について整理するため日記や開発記録を読み返していると,当時の思考と感情が驚くほど鮮明に蘇ってきた。「発明疲れ」と言うほどのアイデアの爆発,デルン三大整理……一日であの一年を再体験したようで,せっかくの休日だというのに少しぐったりした。
昨晩ふと思いついてから,これまで自分の身に起きた奇跡ような出来事について数えたりもしていた。
今となってはありとあらゆることが奇跡のように感じられるが,最初の奇跡だった閃きから,希哲館事業がここまでの形になったこと,時代,土地,家系,容姿にまつわること……特に信じがたかったことだけを挙げても五大奇跡か六大奇跡くらいはある。
これらに続くべきまだ起きていない奇跡は二つしかない。一つは希哲館事業収益化(デライト収益化)だ。もう一つが最後の奇跡になるだろう。
私が常識で考えればありえなさそうなことに希望を抱けるのは,実際にありえないようなことを数多く体験してきたからだ。
しかし,思い通りの結果が出るまでサイコロを振り続けることが出来ただけだとすれば,その環境に恵まれたことが最大の奇跡かもしれない。

{希哲15年1月3日の日記 K#F85E/A-E74C-AF12}
デライト開発も本格的に再開出来,良い考えも浮かび,調子が整ってきたようだ。
だいぶ気持ちにゆとりが出来たせいか,いつにも増してデライトがここまで来れたことへの感慨が深く,環境や用者への感謝の念に溢れる日だった。それと同時に,努力不足も痛感させられた。昨年の日記にも書いた「あとは自分の努力の問題」という言葉をもう一度胸に刻んでおく。

{希哲15年1月1日の日記 K#F85E/A-E74C-1F86}
折角の元日なので,新年の抱負などを考えながらのんびり過ごした。特に,デライト公式で新年の挨拶を書きながら「謙虚さ」についてよく考えた。
新デライト市場戦略における知能増幅メモサービスという根想には,どうにも覆い隠しがたい傲慢さがある。この種の技術は本質的に傲慢なものなのだからと開き直ることも出来なくはないが,処世術を抜きにしても何か引っかかるものがあった。
経験を重ねるにつれ,自分の能力や努力よりも,時代や環境の役割を大きく感じるようになった。特に昨年,あれだけの無茶をして結局大した傷も負わなかったことには環境の偉大さを感じざるをえなかった。結局,与えられた力を知能増幅メモサービスという形で「還元」するだけなのかもしれない。
根がここまで傲慢だと,いくら謙虚になってもなり過ぎることはないが,努めて謙虚であろうとすることよりも,感謝し謙虚にならざるを得ないありのままの自分を知ることが大切なのだろう。
それはそれとして,「謙虚に皆様の知能を増幅させて頂く」といった表現は単純に面白いので,宣伝上の演出としては少し過剰なくらいがよさそうだ。
10ヶ月後,11月1日までのデライト収益化を目指し明日からまた走り出すが,まずは大分乱れてしまった生活律動を直したい。昨年11月頃からなおざりになっていた副日記も今日からしっかり付けていく。

{あれK#9-C7C6/A-99AF}
しかし、開発者もそれから沢山の人に助けられました。ここまで来たのは、99%環境のおかげです。自分の能力や努力など大したものではありません。デライトは、それを知能増幅メモサービスという形で還元するだけです。

{希哲14年12月27日の日記 K#F85E/A-E74C-61EA}
夕方頃,大きな心境の変化を体験した。黄金状態が戻ってきたような感覚だったが,これによって黄金状態を失っていたことに気付いた。恐らく,余裕が無くなっていった10月の終わり頃からだろう。
この出来事があるまで訳もなく妙に苛立ちを覚える日で,数日前まで体中の痒みでなかなか寝付けない日が何度かあった。このあたりは7月4日の日記に書いた体験によく似ている。
ここ最近,毎日少しずつ頭の中の整理が進み,もやもやしたものが晴れてきていたこともあっただろうが,直接のきっかけは,何気なく書こうとした「羨ましい」という言葉がデライト上に見つからないことだった。大抵の日本語は描いてきたつもりだったので,少し不思議な感じがした。
振り返れば,閃きから自分の理想だけを追ってきた人生で,他人の人生を羨むようなことが無かった。それを許してくれる環境にも恵まれ,望んだものは大方手に入れ……そんなことを考え出したら,微かにでも不満を持っている自分が可笑しく思えてきてしまった。
それと同時に,知能増幅解放は私にとって「自己解放」でもあるのだと気付いた。
最後の壁に穴は開いたが,通り抜けてきた人の大半はすぐに引き返してしまう。これからの課題は壁の先の世界を見せることだ。月庭・デライト転送でデライト集約は完成したと思っていたが,まだ使える人間が一人遊んでいることにも気付いた。今やデライトはこれ以上ない最高の舞台だろう。

{あれK#F85E/A-E74C-7B62}

{希哲14年10月5日の日記 K#F85E/A-5B28-A818}
体調に波が出てきた。寒いかと思えば暑い,暑いかと思えば寒い,という季節だからということもあるだろうが,やはりこのあたりが追い込みの限界か。3日にいったん冷静になれたのはやはり幸運だったらしい。
開発では長らく懸案だった下装書の整理が大きく進展した。デルンの実用化から,かれこれ8年間継ぎ接ぎしてきた下装書なので,領当て崩れや不具合の温床だった。
たびたび整理の必要は感じてきたが,なかなか優先順位が上がらず,技術的完済後のデライトにとっていわば「最後の闇」になっていた。デライトの徹案・設計がほぼ固まり,デライト集約の環境も整った今,ようやく着手すべき時期が来たという感じだ。
デルンからの試行錯誤の歴史でもあり,手を入れながら色々な思いが込み上げてきた。
もう一つ,ホワイトハウスまで新型コロナウイルスに蝕まれていくアメリカを眺めながら,運命の不思議さについてしみじみ感じたりもした。酔っ払い運転のようなものでいずれ大事故を起こすだろうと漠然とは思っていたが,まさか本物のウイルスと人間の愚かさが合体するとは想像していなかった。
4年前,英米政治危機を受けて新近代化事業としての希哲館事業構想が急速にまとまり,インターネット衆愚政治に対抗すべくデルンを世に出すことを決めた。だから次の米大統領選挙は希哲館事業にとっても節目だった。
