{一日一編}{宇田川全集}{希哲15年4月7日}{希哲15年4月1日}{ポモドーロ法}{希哲13年5月26日}{希哲13年5月16日}{デライト}{日課}{希求主義文学}...=}(17)

{一日一文 K#F85E/A-5B28-6184}

デルンデライト)上で毎日一つの文章を書くという日課

宇田川が希哲8年2014年から断続的に行ってきた。

これまでの一日一文

歴史

デルン実用化後の希哲8年9月26日,「一日一章」として始める。その後,「一日八章」などとして自分に重荷を課していくが,継続出来なかった。

希哲13年5月16日簡素に徹し「一日一文」と改めて再開を決め,27日からポモドーロ法を組み合わせる形で再開するが,デライト正式離立後からまた途絶えていた。

希哲15年4月1日新生デライト開発軌道に乗ったことでまた再開を考え始める。

希哲15年4月7日,再開(「一日一文『道草録』再開とデライト近状」)。

{希哲15年6月18日の日記}{うっすら}{見返す}{出典記法}{折り畳み記法}{差分記法}{注意書き記法}{希哲15年6月18日}{自己累新}{描写埋め込み}...=}(51)

{希哲15年6月18日の開発 K#F85E/A-E74C-080F}

デラング整備埋め込み部区実装,その他記法仕様検討など。

気になっていた細かい不具合修正を済ませ,描写埋め込み拡張子のみでの添付譜類ファイル参照実装に入れた。


ひょんなことから,急速定表テーブル記法実装方針が出来た。

最近の輪郭整備月庭の公開描出見返すことが多くなり,何となく「C++ウェブ開発向けライブラリ」を見ていると,どうも定表記法らしいものを使っていることに気付いた。昨年デライト公式デルン初描出の日として参照していたが,その時はデラング整備視野に入ってない頃だったせいか気にしなかった。

すっかり忘れていたし,DIL 0.2交度にも残っていないので,DIL 0.1 か,そんな概念もないデルン最初期実験的実装して間もなく自然消滅したのだろう。

そんなことを考えていたら,当時の実装記憶うっすらり,するする実装方針が出来上がった。1日もあればそれなりの形になりそうだ。これも自己考古学自己累新ルネサンスか。

定表記法は個人的にあまり使う機会が無く,デラング整備でも後回しにしてきた。とはいえ,標記マークアップ言語では目立つ記法の一つなので,これが出来ないことにはデラング整備を終えるわけにもいかない,というところだった。これで一気にデラング整備の終結が近付いた。


これをきっかけに,注意書き記法折り畳み記法差分記法出典記法などその他細々とした記法仕様検討も進んだ。

{一日一文}{希哲15年6月の一日一文}{SNS 嫌い}{社交辞令}{社会的行為}{腑に落ちた}{最高の誉め言葉}{容姿が良い}{喧嘩が強い}{学校の勉強}...=}(113)

{誉められて嬉しかったこと K#F85E/A-E74C-5C5B}

私には,誉められ嬉しいと思った記憶がほとんど無い。誉められるのは,どちらかといえば苦手なくらいだ。先日の一日一文では私の独特な金銭欲について書いたが,これは私の独特な名誉欲かもしれない。

なぜ誉められても嬉しくないのかと考えてみると,そもそも幼い頃に自尊心完成されてしまっていた気がする。自尊心に欠けているところが無いので,いわゆる承認欲求的な感情も無い。

誉め言葉をもらっても,すでに満杯に余計なものを注がれているような感覚で,こぼれたのを拭くのが面倒になる。それが社会的行為である以上,例えば,謙遜して見せなければならないとか,こちらも社交辞令で返さなければならないとか,新しく得たものも無いのに“対応”を求められるわけだ。

私の SNS 嫌いもこんなところから来ている気がする。好意的反応をもらうことはもちろん「ありがたい」と思うし,仕事であれば必要なことでもあるが,個人的心情としては嬉しさより面倒臭さを感じてしまうことが多い。

誉められて嬉しくないのだから,貶され悲しいこともない。むしろ,他人が顔をしかめるようなことをしていた方が,自由を感じることが出来て面白いとすら思っていた。

子供の頃からこんな性格だが,大人になってからも,名誉ある地位に就きたいとか,ナントカが欲しいとか,テレビネット有名になりたいとか,そういう感情を抱いたことが無い。

日ごろ私の活動を見ている人なら納得出来るのではないかと思う。希哲館事業は,誰の肯定神託必要とせずに自分のやることに絶対確信を頂き,この上ない充実感を得て生きる人間がここにいる証拠なのだ。

私には,自分で作った「初代希哲館執務長」が,どこの国の君主首脳肩書きよりも,ノーベル賞よりも名誉に感じられる。だからこれ以上の名誉は一切不要だ。

これも病気といえばそうかもしれないが,SNS などの発達で,名誉欲承認欲求に人生を狂わされる者が無数にいることを考えると,「健全」とは何か,考えずにはいられない。


そんな私にも,人生で一つだけ,誉められて嬉しかったことがある。

恐らく4歳5歳頃だ。保育園で,はさみを使って工作のようなことをしていた。何か工夫をして,上手いこと出来たな,と思った時,保母さんが「ひろくんはアイデアマンだね」と言った。この時のことがなぜかずっと,鮮明記憶としてある。そして定期的に思い出す

当時の私に「アイデアマン」という言葉の意味が分かったとも思えないが,自分は何か工夫をすることが得意なんだな,ということくらいは体験として分かっただろう。もしかしたら,言葉が分からなかったから印象的だったのかもしれない。これもカセット効果という奴だろうか。

その後,私は,トーマス・エジソン憧れたり,信長でも家康でもなく秀吉好き少年に育っていく。子供ながら,発明とか発想価値を感じていたのだろう。

そして17歳の頃に輪郭法き,デルンデライト開発して今にいたる。確かに,これ以上価値あるものが今の私には想像出来ない。

頭が良いと誉められて学校の勉強を極めても,運動が出来ると誉められてスポーツの世界に行っても,容姿が良いと誉められて見た目を売りにするような世界に行っても,もちろん,喧嘩が強いと誉められてヤクザな道に入っても,今の私にはならなかっただろう。

私にとって最高の誉め言葉があるとすれば,やはり「アイデアマン」以外考えられない。この文章を書きながら,三十年来,心のどこかに引っかかっていたものがようやく腑に落ちた

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{最短知名原則}{完全名称}{Firefox}{短い名前}{扱い方}{希哲15年6月5日の進捗時限}{希哲15年6月5日の進捗}{希哲15年6月5日}{描出通称原則}{輪郭整備}...=}(41)

{希哲15年6月5日6歩 K#F85E/A-E74C-4D4A}

描出通称原則についての検討で終了。

固有名詞などで複数の表記がある場合,原則として認識しやすい通称とすることにした。

輪郭整備体系化を考え始めたこともあり,表記揺れが発生しやすい知名扱い方について方針を決めておきたかった。

これまでは特に方針もなく,感覚的に知名を付けていたが,どちらかというと長い名前正式名称完全名称など)を主とすることが多かった(例:FirefoxMozilla Firefox

これは Wikipedia 等でよく行われている方法だが,ウィキと異なり知番のあるデルンでは名称厳密化する必要は無く,短い名前の方が全知検索との相性が良い

経験上,正式名称を主にしているつもりでも,結局すぐ握接出来る通称の方に引き入れすることが多くなっていたりする。

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{一日一文}{希哲15年5月の一日一文}{マイ文明}{自作民族}{文明の利器}{自作文明}{希哲文明}{デルンの実用化}{希哲6年}{希哲民族}...=}(27)

{オリジナルの文明を作るには K#F85E/A-E74C-D3F7}

希哲館事業を一つの新しい「文明」として私が認識し始めたのはいつだったか。デルンの実用化を果す希哲6(2012)頃には「内なる文明」とか「腫物文明」とか言っていた記憶があるので,デルンという“文明の利器”の存在は大きかったのだろう。

新現代思想構築し,希哲紀元を作り,大和民族から「希哲民族」をスピンオフさせたりまでした。実際,ここまで独自性を高めると「希哲文明」としか言いようがない。

ここまでのことをして自作文明自作民族を持っている人間は世界中見渡しても他にはいないだろう。そんな希哲館事業でなければ,「イデオロギー定食」という発想も無かったはずだ。

(途中で何が書きたかったのか忘れたのでこの文章『道草録』に入れないが,消すのも惜しいので残しておく)

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{一日一文}{希哲15年5月の一日一文}{先が思いやられる}{関の山}{最終目標}{迷い込んだ}{良い暮らし}{立ち尽くす}{分かれ道}{選んだ}...=}(75)

{いくつかの岐路 K#F85E/A-E74C-05DC}

私にも,いくつか人生の岐路というべき場面があった。

私は12歳頃から変わったを歩むことになったので,これも岐路といえばそうかもしれない。ただ,意識的にこの道を選んだわけではないし,その後のことも全く想像出来なかった。なんとなく迷い込んだという感じだ。

分かれ道を前に立ち尽くすような人生の岐路という意味では,やはり17歳の頃を思い出す。「閃き」で輪郭法希哲館事業青写真が出来た頃だ。

希哲館事業に進むべきか,その気持ち押し殺して普通の人生に進むべきか。どちらを選んでも困難は目に見えていた。結局,決心して希哲館事業発足にいたるまで4年ほどかかった。希哲元(2007)のことだ。

次の岐路は,希哲6(2012)デルンの実用化直前のことだった。

当時の私は,何かと恵まれ個人事業主として好条件司組システム開発仕事をもらったりしていた。このまま無難に仕事を続けるか,思い切ってデルン開発注力するか,という岐路だ。

この時は,あまり迷いもなくデルン開発を取った。希哲館事業を始めた時点で,私の目標は,とりあえず世界史上最大の企業を創り知識産業革命実現することだった。それすら最終目標ではない。このまま無難にやっていれば,そこそこの大企業を創るのが関の山だろうと思った。

デルンの実用化成功とともにそれまでの仕事は全て止め,デルン育てることに注力するようになった。それから更に8年ほど経った希哲14(2020),デルンはデライトとして世に出る

そして今年開発が上手く行き,デライトの成功時間の問題という所まで来て,また一つの岐路があった。じっくり時間をかけてデライトを成功に導くか,多少リスクが増してもデライトの成功を急ぐか,という岐路だ。

もちろん,私はデライトの成功を急ぐことにした。デライトの成功は,希哲館事業の成功過程に過ぎない。デライトだけが成功しても意味がなかった。これは「デライトはなぜ成功を急ぐのか」でも書いた通りだ。

結局,私は無難な道を選ぶということが出来なかった。希哲館事業の成功への希望が残るかどうか。17歳の頃から,それだけが私にとっての死活問題だった。どんなに安全だろうとその希望がゼロなら私は生きていられないし,どんなに危険だろうとその希望がわずかにでもあれば生きていける。

今のところは環境のおかげで良い暮らしが出来ているし,見通しも良いが,生き方そのものがとんでもない綱渡りには違いない。そう考えてしまうと,具体的心配もないのに先が思いやられる

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{デルン}
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