今日も半休にするつもりだったが,結局,まともに仕事をしてしまった。
頭は冴え渡り,気分は高揚し,計らずも短期集中生活のようになっている。しかし,デライト1周年を迎える13日まではこれでいいかという気もしている。
最近,色々と思うことあり,デライト収益化に対する切実感が募っている。これが良い緊張感につながっているのかもしれない。それと同時に期待感も募り,割と気軽に設定した4月1日の努力期限が,意識としては必達期限に限りなく近付いている。
今日も半休にするつもりだったが,結局,まともに仕事をしてしまった。
頭は冴え渡り,気分は高揚し,計らずも短期集中生活のようになっている。しかし,デライト1周年を迎える13日まではこれでいいかという気もしている。
最近,色々と思うことあり,デライト収益化に対する切実感が募っている。これが良い緊張感につながっているのかもしれない。それと同時に期待感も募り,割と気軽に設定した4月1日の努力期限が,意識としては必達期限に限りなく近付いている。
引き続きデライト開発は快調・高進捗で,むしろ過熱感すらあった。
良い指標上の変化もあり,これまでになくデライト収益化に現実感が増してきた。
4月1日までのデライト収益化達成に向け,1ヶ月程度の短期集中生活に入ることも想定し始めた。せっかく第三次生活習慣改善を始めたばかりなので,相応の確信が出来るまでは待つ。
1日に希哲館創立13周年を迎え,希哲館事業の歩みを振り返った。まだまだ苦労が足りないと実感,もっと泥臭く頑張ろうと思った。
5日には10月までの短期集中生活で負った諸問題に解決の見通しが立つ。
6日,米大統領選挙の大勢が伝わり始め,ドナルド・トランプ落選をほぼ確信。希哲館事業にとっても重要だったこの4年についてよく考えた。
10日,第一次総括から2年あまりの歩みをまとめる「第二次総括」を始めることにした(後にこれを兼ねることになる「メカソクラテスの弁明」まで停滞)。
少し気分が弛緩していた中,叔父についての悪い報せを受け,希哲館事業の成功を急ぐ理由を思い出した。白熊作戦は短期決戦路線を維持し,デライトの成功は翌年11月1日まで見ておくことを考え始める。
12日,今度は姉が実家に来ているうちに調子を崩した(1週間ほどで復調する)。
13日,正式にデライト収益化の期限を翌年11月1日に延長することを決めた。
20日頃から自分でデライト宣伝に変化を感じるようになった。ツイストに重点が移る。
24日,この1ヶ月ほどの生活の変化と待欄調整による自制の結果として自身の描出量が激減していることもあり,デライトが高頻度利用に最適化され過ぎていることを問題として認識した。
25日,この問題を意識して書いたスレッド(デライトの特性について)中のあるツイストが一部で話題を集める(N10K 騒動)。
以後,「メカソクラテスの弁明」と呼ぶことになるツイスト群を練りながら今後のデライト市場戦略について再考し始める。
悪運いまだ尽きず。これだけ無茶を重ねてこの傷の無さには我ながら呆れる。
ここ一週間ほどは健康的な生活を送れている。気持ちにも余裕が出来,時期が時期ということもあり,良くも悪くもぼーっとしてしまうことが多い。思えばこんなゆとりは最近無かった。その中でデライト宣伝の時間をどう確保するかが課題だが,これは慣れの問題だろう。短期集中生活からの立て直しは思っていたより早そうだ。
昨日は29日に結論を出すつもりだったが,一日じっくり考え,月内のデライト収益化は無理と判断,年内までの延長戦に備えることを決めた。
20日に第二次宣伝攻勢を開始してから一週間で,それまで感じていた「最後の壁」に小さな穴があいた。それ以前よりずっと深く声が届いているのは間違いない。
しかし,想像していた壁とはどうも「材質」が違うのではないか,という気がしていた。穴をあければ亀裂が広がって崩れ落ちるような壁を想像していたが,小さな穴が綺麗にあいた感じで,分厚い粘土のようだ。この穴を広げるには時間が必要かもしれない。
未達の要因として,用合い改良が当初見込みより1ヶ月以上長引いたことは当然大きい。これ自体は必要なことだったと思えるが,かといって組計が狂わないわけはない。
最初から長い目で見て悠長に構えていれば,いまデライトがこの早さでこの品質に達していなかっただろう。こういう場合,必要なのは後悔でも反省でもなく的確かつ迅速な軌道修正だ。
宣伝には時間以上に「期間」が重要であるということもデライト宣伝を通じて体で学んだ。毎日12時間の宣伝を1週間続けるより,毎日3時間の宣伝を4週間続けた方が効果的だ。
その意味で宣伝期間不足だったのも否めない。振り返ってみて自分で驚いたが,8月13日のデライト実質離立(離立補完終結)からまだ3ヶ月も経っていない。そのうち,用合い改良で停止していた1ヶ月ちょっとを引けば,これまでの宣伝期間は1ヶ月半だ。体験が濃密過ぎて全くそんな気がしなかった。
一日の中で十分な時間対効果が望める宣伝時間帯は限られているため,時間だけあっても持て余してしまう。開発には時間があるに越したことはないが,集客出来ていない状態で開発を進めても,誰も使わない機能に時間をかけることになってしまう。
宣伝停止中の用合い改良のように,全ての時間を投じて一刻も早く終わらせなければならない作業は今後ほぼ必要ないだろう。つまり,これからは少し時間が余ることになる。
毎日必要十分な改良作業と一定時間の宣伝を継続し,余った時間は資金調達などに使う。これでデライト収益化は達成出来る段階に来ている。穴の広がりが遅いのも,安定拡大戦略の観点からはむしろ好都合かもしれない。
用合い改良による「最後の壁貫通」を最大の収穫として,先月16日からの短期集中生活も解除することにした。今のところ体調に問題はないものの,これ以上こんな生活を続けるわけにもいかない。心地良かった焦燥がここ数日で気持ち悪いものになってきているのも感じていた。このあたりが限度だろう。
明日からは野暮用で夜となく昼となく奔走することになるので完全に生活律動を取り戻すことは難しいだろうが,可能な限り元の生活に近付ける努力をしていく。
祝い事があり,昼過ぎから家族でみなとみらいへ出かけ,夜遅くに帰ってきた。
姪を抱っこしたりベビーカーを押しながら歩き回ったが,長引く短期集中生活の中で散歩も気分転換程度になり,陶練も疲労蓄積を避けるため休んでいるので久しぶりの良い運動になった。
先月16日に短期集中生活に入ってから,自然と追い込み管理に回帰している。自覚はあったが,今は中長期的な合理性よりも10月中のデライト収益化達成を優先すべきという考えで,ある程度は許容していた。
10月中のデライト収益化達成にこだわってきたのは,収益化の「最後の壁」が自分の中で明確になり見通しが立ったことに加え,個人知識管理サービス市場の立ち上がり,希哲館事業発足から13年の総決算期であること,一つの目安にしてきた米大統領選目前であることなど,色々な好条件が重なっていたからだった。
しかし,10月中に達成出来なくとも,デライト開発が存続不能になるわけではない。多少苦しくはなるが,手はいくらでも考えられる。つまり,理想のため,現実の必要以上に自分を追い込んでいるわけだ。
この追い込み管理によって平均的に高い進捗が維持出来ているのは確かだが,それも中途半端といえばそうで,やや過剰な気はしていた。この代償として,例えば心身の不調を招いたり,視野が狭くなり柔軟性を欠くなどして致命的な失敗につながることは無論望ましくない。
この日に終わらせるはずだったデライト用合い改良も終わらなかったが,1日の時点で作業を詰め込み始めた甲斐あって平常時の3日分くらいの進捗は出ている。ただ,期待していたよりは中途半端だった。どう追い込んでも,これ以上は空回りになりそうだ。
ふと,これまでの開発費を試算して,デライトの価値について冷静に考えたりもした。万が一にも棒に振れない額だ。
あれこれ現実的に考えると,もう少し視野を広く持ち,利楽して,「命を大事に」すべきかもしれない,と感じた。いずれにせよ,翌日の様子を見てから今後の計画を見直すことにした。
今回の外出は当初想定外のもので,時期が時期なだけに一度は中止も考えた。しかし,こうして連れ出されなければ,立ち止まって冷静に状況を見渡すことが出来ない時期でもあり,そうするには最善の時期でもあった。これも一つの幸運か。
久しぶりにまともな晩の散歩をしようと出かけたところ,ちょうど中秋の名月が出ていた。「最後の一ヶ月」の最初に良い月を見ることが出来,今日の開発も快調で,何かと幸先が良い。
3日に家族で食事に行くという予定を先日気軽に入れてしまったが,散歩から帰った頃に想定外の遠出だったことが分かった。半日は潰れるだろう。
デライト用合い改良の終結を予定していたのも3日だったため,今日から作業を詰め込むことにした。出かけるのは止めようかとも思ったが,先月16日に短期集中生活を始めてから休み無しで来たことを考えれば休日にするのも悪くないし,仕様検討なり情報収集なり,出先で出来ることはいくらでもある。上手く利用した方がいいだろう。
デライト収益化の必達期限は来月末,北極10丁目まで延ばせることが確定した。これが最後になるという実感がある。奇しくも全てにおいてキリが良い。
短期集中生活も,あと1ヶ月以上続く可能性があると考えると,平常時との中間程度には生活律動を保った方がいいのかもしれない。心身の調子をみながら調整していく。