{希哲14年9月9日の日記 K#F85E/5B28-9398}
宇田川浩行今日からデライトの開発と宣伝を半々で進めるつもりだったが,宣伝で試したいことが溜まっていたのと思ったより体力が残っていなかったことで開発作業にはほとんど時間を割けなかった。
とはいえ,これまで開発に想定以上の時間をかけ宣伝期間を圧迫してきたのだから,結局釣り合いは取れたのかもしれない。今やっておきたいことは概ね出来たので,明日は利用者設定(自我設定)の作業に入れるだろう。
デライトへの反応は相変わらず悪くないが,その反応に十中八九含まれる「面白そう」という言葉がやはり引っかかっている。むしろこれが面白いくらいに決まって使われる言葉になっている。これまでのデライトと世間との隔りを考えれば,これはこれで大きな達成であり,嬉しくもあるが,今のデライトの中途半端さを象徴する言葉のようにも思えてきた。
「面白そう」を「面白い」に変えられなければデライトに成功は無い,と思うと,両者の間にはまだまだ距離がある。そういう意味では,新規利用者登録(自我登録)からの動線整備に時間をかけ,徹底的に始めやすくしたのは正解だったのだろう。
こういう事を考える時によく思い出すのは,吉野彰氏がリチウムイオン電池で経験したという「関心はあるけど買わないよ」という現象だ。今のデライトにもまさに「面白そうだけどやらないよ」という実質的に同じ現象がある。新規利用者登録はそれなりにあるが,登録者はほとんど描き出ししていないし,たまにあってもまず継続・定着しない。
リチウムイオン電池に起きたような「神風」がデライトに起きるとしたらそれは何か,ということもよく考えるようになった。
奇しくも,数年前から希哲館事業をとりまく機運の高まりを「神風」と表現していたくらいで,思い当たることなら枚挙に暇がない。世界全体がデライトを成功させるために動いているのではないかと思うことすらある。ただ,まだ決定的な何かが見えているわけではない。
デライト周辺調査から,Roam Research が流行すればそれに乗じてデライトを一気に普及させられると見ていたが,このところ Roam も伸び悩みに入っている感があり,乗れる波は来ていない。
楽観的に考えれば,「その時」との待ち合わせに早く着き過ぎてしまったようなもので,遅れて永久に機会を失うよりはずっと良い状況であるとも言える。
いずれにせよ,粘り強く開発と宣伝を続けながらその時を待つしかない。