希哲館史編纂を始める。
{白熊作戦 K#F85E/5B28-8B95}
宇田川浩行希哲14年2月5日,10日までの短期間でデライトのダーウィンの海を攻略する作戦として構想開始。
昔使っていたホワイト・オーシャン戦略,シロクマ戦略から着想。
希哲14年2月28日,3月一杯まで延長。
デライト息継ぎ期間を挟んだ希哲14年3月19日,希哲14年4月20日まで延長することにした。
希哲14年4月26日,コロナ危機による環境の変化等を受けて,希哲14年5月中旬(20日)まで延長することにした。
{希哲14年4月20日の日記 K#F85E/5B28-088C}
宇田川浩行昨日は25時頃には就床したものの,頭が冴え過ぎたせいか28時頃まで眠れなかった。
こういう時は就床時間よりも起床時間を定めた方が良いことは経験上分かっているため,明日から7時起床を徹底し,この頃ずっと自由日扱いにしている執務時間も定時に戻すことにした。
それでも今日も調子は良く,何かと冴えていた。特に,希哲館史編纂を始めたことが大きかった。
最近,そろそろ一般向けの希哲館沿革でも整理したいと思っていたところで,一旦「希哲館史」として雑多な情報も含めて書き出してみようと作業を始めると,思いのほか色々な発見があった。そこで,「希哲館史編纂」を希哲館献典整備の一環と位置付け本格的に着手することにした。
考えてみると,希哲館史という輪郭はずっと前から用意していたものの,個々の輪郭に記述が分散していて,希哲館の歴史を概観出来るものが無かった。デライト正式離立を終えて余裕が出来たこともあるが,デライトが出来たことで希哲館史が初めて語りうるものになった気がする。
こう希哲館史を眺めてみることで正しい自信が湧いてきて,ぼんやりした不安のようなものが吹き飛ぶ。こういう時期は成果を急ぐあまり自分の速さを過小評価しがちで,まるで進歩がないように錯覚してしまうことがよくある。
最近の希哲館献典整備以前,希哲10年頃にも献典整備を試みて技術的限界から虎哲開発に軸足を移していることも,希哲館史編纂を通して思い出した。
アメリカ同時多発テロ事件,世界金融危機,東日本大震災,英米政治危機,コロナ危機,と大きな危機があるたびに希哲館事業も大きく変化しているののも俯瞰してみると面白い。
こんなことが出来るデルンの力も改めて感じた。