昨日,閃きについて考えたことで論理共感覚や論理実装主義についての考え事もあったものの,立ち上がりにしては良い調子だった。
手定めで初めて自分のアイコンを使ってみた。新鮮で面白かった。KNS としてのイメージがより明確になり,持ち辺が上がった。
少し眼精疲労と全身の凝りを感じていたが,しっかり小休憩時間を取り,蒸しタオルで目を温めるとみるみる改善した。昨年10月頃から生活律動が乱れ進捗時限法も適当になっていたせいだろう。
昨日,閃きについて考えたことで論理共感覚や論理実装主義についての考え事もあったものの,立ち上がりにしては良い調子だった。
手定めで初めて自分のアイコンを使ってみた。新鮮で面白かった。KNS としてのイメージがより明確になり,持ち辺が上がった。
少し眼精疲労と全身の凝りを感じていたが,しっかり小休憩時間を取り,蒸しタオルで目を温めるとみるみる改善した。昨年10月頃から生活律動が乱れ進捗時限法も適当になっていたせいだろう。
これまでの二度の生活習慣改善に続く「第三次生活習慣改善」を始めることにした。
今年からまた安定期に入り,新しい目標も新しい武器も出来た。ちょうど出来る時期でもあり,すべき時期でもある。すでに出来ることから少しずつ改善し始めている。
これに伴ない,最初の改善を「第一次生活習慣改善」,生活習慣再改善と呼んでいた二度目を「第二次生活習慣改善」とすることにした。また生活の乱れが問題になることがあれば今後も増える可能性はある。
もともと直接の関係はない概念だったが,黄金循環は生活律動を整えやすい「待ち」と生活に余裕を持たせるための「攻め」を両立させるという点で黄金状態の維持に役立つ。当然,黄金状態も黄金循環に寄与するだろう。
昨日の日記をまとめながら,最近ぼんやりと感じていたデライト収益化への新しい道筋が明確に思い描けるようになった。
待ちでもあり攻めでもある,いわば「渦」で巻き込んでいくという戦略が考えられるようになっている。これが「黄金循環」と密致するのも不思議な感じだ。
このイメージから,デルンの実用化当時使っていた「クラーケニング」という用語を思い出した。このまま黄金循環が加速し続ければ,インターネットを引きずり込むクラーケンになるだろう。
新しい希望も出来たところで,4月1日をデライト収益化の努力期限とすることにした。11月1日は必達期限のまま据え置く。
デライトの春というよりは希哲館の春というべきか,毎年のように期待した最高の春が14年目にしてようやく訪れるかもしれない。
デライト宣伝に関しては,極力,5分でも1ツイストでも朝昼晩欠かさないようにすることにした。これまでの暗黙宣伝にせよツイスト宣伝にせよ,ある程度まとまった時間を要したため忙しいと機会を逃してしまうことが多かった。
最近,時勢もあって何かと考え込んでしまうことが多い。直しかけた生活律動もまた乱れてしまった。
企業・サービスの政治に対する方針表明について考えていたが,とりあえず個人情報保護方針と並べて違和感が無いように「政治参加方針」という表現を用いることにした。
デライト政治参加方針も近いうちに公開するつもりで内容を頭の中で練っていると,思っていたより希哲館でなければ出来ないことだと気付く。絶対的独立性を死守してきた甲斐があった。
今日は一昨日・昨日の振り返り日記にも多くの時間を費したが,その中で「黄金循環」という言葉を思い出した。使っていたのはデライト正式離立前,デライト収益模体も固まっていない頃で,すっかり忘れていた。収益模体への取り込み方を考え始める。
折角の元日なので,新年の抱負などを考えながらのんびり過ごした。特に,デライト公式で新年の挨拶を書きながら「謙虚さ」についてよく考えた。
新デライト市場戦略における知能増幅メモサービスという根想には,どうにも覆い隠しがたい傲慢さがある。この種の技術は本質的に傲慢なものなのだからと開き直ることも出来なくはないが,処世術を抜きにしても何か引っかかるものがあった。
経験を重ねるにつれ,自分の能力や努力よりも,時代や環境の役割を大きく感じるようになった。特に昨年,あれだけの無茶をして結局大した傷も負わなかったことには環境の偉大さを感じざるをえなかった。結局,与えられた力を知能増幅メモサービスという形で「還元」するだけなのかもしれない。
根がここまで傲慢だと,いくら謙虚になってもなり過ぎることはないが,努めて謙虚であろうとすることよりも,感謝し謙虚にならざるを得ないありのままの自分を知ることが大切なのだろう。
それはそれとして,「謙虚に皆様の知能を増幅させて頂く」といった表現は単純に面白いので,宣伝上の演出としては少し過剰なくらいがよさそうだ。
10ヶ月後,11月1日までのデライト収益化を目指し明日からまた走り出すが,まずは大分乱れてしまった生活律動を直したい。昨年11月頃からなおざりになっていた副日記も今日からしっかり付けていく。
7日にとある仕事が一段落したと思ったら N10K 問題に関するツイストをまとめるのに想像以上の時間をかけてしまった。今日夜,ようやくまとめ終えた。その達成感もあったが,振り返った希哲館事業とデライトの歩みに対する達成感は一入だった。
休養も兼ねてのこととはいえ,時間の使い方としてどうかとは思いつつ,結局書き切った。途中で実質的に第二次総括を兼ねていることに気付いたのも大きかった。年の瀬でもあり生活や仕事の節目でもあり,頭の整理をする時期としては丁度良かったのだろう。
この間,思いのほか精神的な負荷が高く,他のことがほとんど出来なかった。これは第二次総括なのかと思ったのも,この感覚が第一次総括と似ていたからだった。明日から生活律動など諸々調整していくが,流石に今日は早く寝ることにした。
昨日は29日に結論を出すつもりだったが,一日じっくり考え,月内のデライト収益化は無理と判断,年内までの延長戦に備えることを決めた。
20日に第二次宣伝攻勢を開始してから一週間で,それまで感じていた「最後の壁」に小さな穴があいた。それ以前よりずっと深く声が届いているのは間違いない。
しかし,想像していた壁とはどうも「材質」が違うのではないか,という気がしていた。穴をあければ亀裂が広がって崩れ落ちるような壁を想像していたが,小さな穴が綺麗にあいた感じで,分厚い粘土のようだ。この穴を広げるには時間が必要かもしれない。
未達の要因として,用合い改良が当初見込みより1ヶ月以上長引いたことは当然大きい。これ自体は必要なことだったと思えるが,かといって組計が狂わないわけはない。
最初から長い目で見て悠長に構えていれば,いまデライトがこの早さでこの品質に達していなかっただろう。こういう場合,必要なのは後悔でも反省でもなく的確かつ迅速な軌道修正だ。
宣伝には時間以上に「期間」が重要であるということもデライト宣伝を通じて体で学んだ。毎日12時間の宣伝を1週間続けるより,毎日3時間の宣伝を4週間続けた方が効果的だ。
その意味で宣伝期間不足だったのも否めない。振り返ってみて自分で驚いたが,8月13日のデライト実質離立(離立補完終結)からまだ3ヶ月も経っていない。そのうち,用合い改良で停止していた1ヶ月ちょっとを引けば,これまでの宣伝期間は1ヶ月半だ。体験が濃密過ぎて全くそんな気がしなかった。
一日の中で十分な時間対効果が望める宣伝時間帯は限られているため,時間だけあっても持て余してしまう。開発には時間があるに越したことはないが,集客出来ていない状態で開発を進めても,誰も使わない機能に時間をかけることになってしまう。
宣伝停止中の用合い改良のように,全ての時間を投じて一刻も早く終わらせなければならない作業は今後ほぼ必要ないだろう。つまり,これからは少し時間が余ることになる。
毎日必要十分な改良作業と一定時間の宣伝を継続し,余った時間は資金調達などに使う。これでデライト収益化は達成出来る段階に来ている。穴の広がりが遅いのも,安定拡大戦略の観点からはむしろ好都合かもしれない。
用合い改良による「最後の壁貫通」を最大の収穫として,先月16日からの短期集中生活も解除することにした。今のところ体調に問題はないものの,これ以上こんな生活を続けるわけにもいかない。心地良かった焦燥がここ数日で気持ち悪いものになってきているのも感じていた。このあたりが限度だろう。
明日からは野暮用で夜となく昼となく奔走することになるので完全に生活律動を取り戻すことは難しいだろうが,可能な限り元の生活に近付ける努力をしていく。
16日から追い込み気味に始めたデライト用合い改良は長引いたまま今日中に終わりそうになかったため,早々に切り上げて組計を見直すことにした。
昨日の日記にまとめたように,今のところはまだ「良い遅れ」に収まっている。今日は月末の調整に時間を取られあまり作業に割けなかったが,その代わり追加の時間調達も出来た。油断は出来ないが,状況は総合的にみれば悪くない。
この2週間で体感出来た最後の壁の厚み,進捗状況に照らしてあと3日間は必要になるだろう。10月3日までに用合い改良を終え,そこから3日間程度を目安に小手調べの第二次宣伝攻勢,北極8丁目の残りで大規模流入に備え,北極9丁目は目一杯第三次宣伝攻勢に使ってデライト収益化の決着を付ける,というのが理想的な筋書きだ。
睡眠不足も続き,やや体調不良の兆候も見え始めたため,今日はしっかり寝て,明日から気分一新,「最後の一ヶ月」に最高の状態で臨めるように生活律動を調整していく。
デライト収益化の必達期限は来月末,北極10丁目まで延ばせることが確定した。これが最後になるという実感がある。奇しくも全てにおいてキリが良い。
短期集中生活も,あと1ヶ月以上続く可能性があると考えると,平常時との中間程度には生活律動を保った方がいいのかもしれない。心身の調子をみながら調整していく。