計らずもまとめ作業をするのに丁度良い時期になったので,12月はこのまま大輪郭整備を進め,余力が出来たらデライト開発に使うことにした。
{希哲16年12月4日の日記 K#F85E/E74C-87AA}
宇田川浩行{希哲16年6月18日12歩 K#F85E/E74C-16B6}
宇田川浩行ここでデライト高速化,KNEST 隠し実装に入ることにした。作業方針検討で終了。
基本的には16日5歩での検討通り。最初に基本的な部分を整え,輪数取得改良の一環として輪数隠し実装,自我隠し実装,輪郭隠し実装,と進めていく。
渡括記法や公開設定機能部分実装と優先順位で迷ったが,立て続けの機能実装で多かれ少なかれ最適化不足な交度が増えていくのは間違いないため,今のうちに余力を作っておきたい。また,新機能はデライト宣伝の材料なので,その効果を最大化するためにも出来るだけ軽快にしておきたい。それ以前に,そもそも大規模集客に耐えうる実装ではないという問題がある。
出与え構造の課題で停滞していただけで,もともと KNEST 隠し実装によるデライト高速化は最優先と位置付けてきた。課題が解決した今やらない理由は無い。
dlt.kitetu.com
}{デルン10周年}{デライト2周年}{熱}{一要素}{日記}{意味符号化}(147){希哲16年2月10日の日記 K#F85E/E74C-FE31}
宇田川浩行10年前のこの日,デルンに最初の描出をした。それがデルンの始まりとするなら,今日でデルン10周年だ。
大小様々な追い風を受け絶好調な今のデライトも,この第一歩が無ければ存在しなかった。そう思うと,色々な感情が溢れてくる。
最近,あらゆる面でデラングがデライト開発の主役になっていると感じていたが,それが何故なのか,実は理解が追いついていなかった。直感に導かれるままここまで来た。この節目にデルンの歴史,輪郭法の歴史を振り返ったことで,ようやくはっきり理解出来た。
輪郭法の原点は,「意味を書きたい」という欲求だった。“意味記述のための意味管理”を可能にするために輪郭法は生まれた。その閃きが,希哲館事業のビッグバンだった。
だから,意味記述の技術であるデラングが重要なのは当然だ。それを忘れていたわけではないが,どこかでデラングの重要性を過小評価していた。輪符による意味符号化が出来た時点で,あとは「おまけ」という感覚があった。気付いてみれば,これがとんでもない誤解だった。
輪符による意味符号化が出来たところで,それだけでは活用範囲は広がらない。デラングの表現力を高めるということは,意味を書ける領域を広げるということに他ならない。私にとって,何より本質的な仕事だ。今の今まで,これが理解出来ていなかった。
デラングによる対 Markdown 戦略をデライト市場戦略に組み込みながらも「第四次デライト市場戦略」にしなかったのも,明らかに全知検索に代わって黄金循環の中心になっていることを感じながら「第二次黄金循環」とすべきか迷ったのも,この無理解のせいだった。
理解出来てしまえば迷うことは何も無い。今日から希哲館事業の中心はデラングであり,第四次デライト市場戦略の始まりであり,今は第二次黄金循環の真っ只中なのだ。
今日は考える余力が無いが,これまでの,新生デライトの一要素というデラングの位置付けも見直す必要がありそうだ。いずれにせよ,“デライトのためのデラング”ではなく,“デラングのためのデライト”になることは間違いない。デライト開発における言語論的転回,「デラング的転回」とでもいうべきか。
既にデラングは独立した言語という位置付けを持っているため時間の問題ではあっただろうが,デラング文書はドメインも dlt.kitetu.com から切り離し,dlng.kitetu.com などとして公開することも決めた。
デラング開発には,CnD 開発や Synx 駒手,知機駒手開発,希哲館訳語や交度英語の整備などで培った経験と技術を幅広く活かせること,高度非言語思考を支援するデルンが欠かせないことも感じていた。しかも,なかなか世に出せなかったこれらの技術・献典よりずっと世に出しやすい性質を持っている。希哲館事業における言語開発の集大成とするに不足はない。
デライト収益乗軌化も目前,デルン10周年,3日後にはデライト2周年という節目にこの気付きを得たことに大きな意味を感じる。脳爆発の噴煙で悪くなっていた視界がまた一気に開けたようだ。
生活律動矯正中ではあるが,この日記だけは熱が冷めない内に書いておきたかったので夜更かしした。
{希哲15年10月2日の日記 K#F85E/E74C-6975}
宇田川浩行{希哲14年7月21日の開発 K#F85E/5B28-6216}
宇田川浩行朝,右吹き描きはやはり右横書き等への対応に使うべきという考えが強くなり,自輪郭に使う代替案を探し始めていた。
そんな時,K#9-D657 氏の描き出しを見て,そもそも吹き出し感に拘り過ぎていることに気付いた。自輪郭の自我アイコンは省略しているが,鼻を残していたためやはり吹き出し状に見えた。これだと,どうしてもインスタント メッセンジャー風に左右に振り分けたくなってしまう。
自輪郭は中央寄りで,他輪郭は左から吹き出してくる,という形でも十分直感的ではある。折角試行錯誤を重ねて作った鼻付き吹き描きを一部とはいえ鼻無しに戻す,という考えに辿りつくのは自分だけなら時間がかかっただろう。これも面白い開発者心理だと思った。
ここで,鼻付き吹き描き以前の「鼻無し吹き描き」を自輪郭のために復活させることにした。
ただ,角の形を変えるのは難しかった。自分でも数時間試行錯誤したが,現状の吹き描きは波括弧を象りつつ自己相似になっており,どう変えても徹案上の整合性が取れない。とりあえず,鼻無し吹き描きの輪郭線を太くするという方法で凌ぐことにした。
この日最大の収穫は,吹き描きの理論的根拠を手に入れたことだった。吹き描きも膨大な試行錯誤の結果こういう形になっているが,どちらかといえば直感頼りで,なぜこの形でなければいけないのか,その理由が自分でも把握しきれていなかった。ルービックキューブのように散々いじり回して,あまりの隙の無さに自分でも驚いた。
そして,早く試して早く過ちに気付けたことも大きかった。前日,前後景一覧整備の中で最も簡単に実装出来そうということから着手して,すぐに出振るいして,すぐに違和感に気付き,用者から反応してもらわなければ,その後の開発にもかなりの無駄が生じていただろう。右吹き描きにも右横書きという新しい活用法が見つかり,無駄にならなかった。
自分で思っていた通りに上手く行ったこともある。20日4歩で考えた通り,前後景部の輪符を表示し分けたが,これはなかなか愉快で,交鳴通類としてのデライトの可能性が感じられた。
あとは,散歩しながらデライトの ActivityPub 対応について少し再考した。これまで,ActivityPub に対応することが集客の観点からデライト収益化に役立つのではないかと思っていたが,ここに来てより現実的になったのか,これは難しい気がしてきた。
多少の話題性はあるかもしれないが,デライトの魅力ではなく ActivityPub の魅力で呼び込める人数は高が知れている。最悪の場合,余計な負荷だけを背負い込むことになりかねない。デライトの魅力が伝われば ActivityPub に頼る必要はない。今はあくまでもデライトの魅力を高めることに専念して,収益化を実現して余力が出来てからの話だろう。