{定休日}{第三次黄金状態}{理想的な一日}{黄金休日}{休ませる}{休日の過ごし方}{理想的な休日}{迷っていた}{自分自身についての研究}{希哲15年6月13日}...=}(60)

{希哲15年6月13日の日記 K#F85E/A-E74C-C1D6}

第三次黄金状態の回復後,初めての休日だった。

週休1日有効性先月確認していたが,第三次黄金状態でも必要なことかまだ確信がなく,デライト開発では出振るい直後でやりたいこともあり,休日にすべきかまで迷っていた

特に疲労感は無かったものの,第三次黄金状態の回復後,進捗は連日20歩前後という異常な高水準推移しており疲労が無いとは考えにくく,前日胃腸の調子にやや不安定化が見られたこともあり,結局休日とすることにした。

一日,気まま描出をしたり,散策したり過ごした。良い気分転換も出来,有意義でもある理想的な休日だったが,一日一文熱中して少し就床時間が遅くなってしまった。


休日の過ごし方などについても少し考えた

週のうちいつを休日とするかは,これまでその時の状況で決めていたが,生活律動のためにも定休日を決めておくことにした。この日たまたま日曜日だったため,まずは日曜日を定休日として様子を見る。

生活律動執務以外の日課は基本的に維持する。

休日にやるべきではないことを決め過ぎても利楽しにくいが,意識的心身休ませる必要もあるので,とりあえず,ある程度緊張感を保つための手段である進捗時限記録を付けないことだけは決めた。

輪郭整備などは庭いじりのようなもので,仕事でもあるが娯楽でもあるので休日の過ごし方として一番無難かもしれない。

黄金休日」という言葉を思いついたのがきっかけで,「黄金日」という言葉を思い出した。第一次黄金状態発現した日としてよく使っていたが,いつからかあまり使わなくなっていた。

黄金生活とは黄金日を重ねていくことなので,もう少し広く,「理想的な一日」の意味でこれからまた使っていくことにした。

14日振り返り日記

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{一日一文}{希哲15年6月の一日一文}{論理共感覚}{高度非言語思考}{もじり}{不思議な能力}{組み立てる}{思考速度}{言語思考}{言語の制約}...=}(84)

{非言語思考と論理実装主義 K#F85E/A-E74C-A114}

昨日の一日一文で「高度非言語思考」という言葉久しぶりに使ったので,今日はこれについて少し書いてみよう。

人間にとって,言語思考切り分けることは難しい。ある程度高度な概念を扱う思考をする時,言語自然に伴なうものだ。

他方,言語が無ければ思考出来ないのかといえば,そうではないのも明らかだ。言語獲得以前の幼児にもにも思考能力はある。こうした,言語を必要としない程度の非言語思考を「原始非言語思考」と私は呼んでいる。

通常は言語によって為されているような高度な概念を扱う非言語思考,これがつまり「高度非言語思考」だ。


私は,デライト基礎理論である輪郭法と,それを中核とした希哲館事業構想17歳くが,この時に実践していたのが高度非言語思考だ。

なぜそんなことを始めたのかと言えば,言語の制約を越えたかったからだ。当時の私は,技術以上に哲学関心がある少年で,様々な思想の対立や現代思想停滞乗り越えるには,「言語思考」の速度遅過ぎると思っていた。

つまり,概念名前を付けたり,文章的に整理するのではなく,直感に従って,手で組み立てるように思考を組み立て,言語表現については概ね形が出来上がってから後付けすればいい,と考えた。その結果が「閃き」だったわけだ。

デライト使い方理解している人なら,この思考法がデライトにそのまま反映されていることに気付くだろう。この頃の私は,まさに「あれ」だけで思考していた。


私にはもともと,「論理共感覚」と呼ぶ不思議な能力があった。論理視覚触覚連動しているような共感覚(異種連動感覚だ。子供の頃から,論理というものを,目の前にあるモノを目で見て,手で触るように扱えた。つまり,頭で考えるというより,感じるように思考を組み立てることが出来た。

論理共感覚は,高度非言語思考可能にすると同時に,論組プログラミングと強く結び付くことになった。ごく直感的論組プログラムを組み立てることが出来たからだ。「論組」という翻訳語自体,プログラム本質論理にあるという感覚に基いて造ったものだ。

そして,論組による実装最良知の裏付けとする考え方を「論理実装主義論理実証主義もじりと呼ぶようになった。デライト開発はまさにその実践と言える。

私は,高度非言語思考,論理実装主義から極めて独特な思想体系構築することになるが,当然ながら一文で書き切れることではないので,折に触れて少しずつ書いていこうと思う。

{第三次黄金状態}{整えた}{定常化}{忘れそう}{よく分からない}{温かい快感}{粗探し}{成り行き任せ}{親玉}{時間の体感密度}...=}(88)

{希哲15年6月7日の日記 K#F85E/A-E74C-2F4A}

一日の間に,第二次黄金状態から第三次黄金状態への移行観測,これをもって「第三次黄金状態の回復」とした。

経験上新黄金状態では時間の体感密度が数倍になる。この一ヶ月が数ヶ月にも感じられるわけで,時期状況を踏まえれば極めて大きな収穫と言える。


日中は,輪郭整備から朝の一日一文への流れも非常に上手く行き,以降は握接遮断をすることで集中力維持成功デライト開発にもよく集中出来た。ただ,から些細なことで苛立ちを感じることが多いのが不思議だった。

変化を感じ始めたのは,夕方散歩に出た頃からだ。

第三次生活習慣改善が進んでからもなかなか改善しなかった胃腸の調子睡眠の質右目の三重瞼など,こまごまとした問題にも改善が見えるようになり,いよいよ問題という問題も無くなってきた。しいて気になることと言えば,食事がまだ成り行き任せなことくらいだが,もはや粗探しに近い。

組計スケジュール環境もほぼ完璧に整っている。これはもう「黄金生活」と言っていいのではないか。雑魚一掃し,あとはデライト収益目標達成という親玉を残すのみという状況だ。自然と焦点も定まってくる。

……そんなことを考えながら歩いていると,身体奥底から温かい快感が湧き出し,全身を満たしていくような感覚を覚えた。この感覚は,間違いな第三次黄金状態のそれだった。

面白いことに,苛立ちからの発現過程が最初に第三次黄金状態を体験した時によく似ている希哲14年7月4日の日記


昨年末の日記で,一時失なっていた黄金状態取り戻したというようなことを書いている。それから1月までは黄金状態についての言及がいくつかあるが,それ以後は黄金状態について書かなくなっている。体調記録にも「特に異常無し」とだけ書くことが多かった。

その頃から状況心境の変化が激しくなり,自分の状態冷静認識することが難しくなっていた。変わっているのか,変わっていないのか,変わったとしてもそれがごく一時的なものかもしれず,そもそもそんなことを考えている余裕が無いことも多く,そうこうしているうちに黄金状態の感覚も忘れそうだった。簡単に言えば「よく分からない」状態だった。

思い出してから振り返れば,この間はせいぜい第一次黄金状態がほとんど,ときどき第二次黄金状態がある程度だっただろう。第三次黄金状態があれば記録していないわけがない。

新黄金状態自体,もともと超黄金状態規則正しい生活の中で定常化したものだ。生活不安定化している時に得られるものではないのだろう。

これも,「黄金生活」などという言葉が頭に浮かぶくらいに生活整えた成果か。

8日振り返り日記

{希哲15年6月7日の日記}{身体感度の鋭敏化}{頭脳の活性化}{心身の理想状態}{高揚感}{多幸感}{デライト開発}{美容学}{持続}{黄金}...=}(12)

{黄金状態 K#F85E/A-4686-54C6}

心身の理想状態”を指す宇田川の用語

後に「第一次黄金状態」と呼ぶことになる当初は,状態理想的で,外見的光り輝いて見えるような程度のことを指して使っていた。自然と気分も良い状態ではあるが,あくまでも美容上の目標という感じだった。

デライト開発に取り組み始めてから,頭脳の活性化身体感度の鋭敏化高揚感多幸感持続など精神面でも理想状態が得られるようになり,これを「新黄金状態」と呼び始めた。

当初の新黄金状態は苛立ちやすく硬直的だったが,後に穏やかさ柔軟さを伴うようになり,ここを分岐点として「第二次黄金状態」「第三次黄金状態」と呼び分けるようになった。

{一日一文}{淡々と}{希哲15年7月中旬}{綺麗に片付く}{事務的な問題}{希哲15年6月4日}{デライトの早期成功}{組計調整}{新生デライト宣言}{第四次宣伝攻勢}...=}(40)

{希哲15年6月4日の日記 K#F85E/A-E74C-34C3}

一日一文も書き切れず,開発作業にもいまいち集中出来なかった。その代わり,雑念になっていた細々とした事務的な問題綺麗に片付き,7月中旬まではデライト開発没頭出来る環境整った

デライトの早期成功確実視出来るようになったのはいいが,先月はその安心感から比較的長期大局を取った作業を挟むことや生活習慣改善のような調整が増えた。それに対し,デライト収益目標達成に向けての組計スケジュールは変わらず6月分までしか確保していなかったため,ゆとりが無くなっていた。

これでデライト開発現況にあった組計調整が出来たことになる。あとは淡々とデライトの成功に向けた「行進」を進めていけばいい。

中旬には第四次宣伝攻勢を始めたいので,15日デラング整備文書整備,その他機能整備までを一段落させた「新生デライト宣言目安としておくことにした。

5日振り返り日記

{時間を巻き戻す}{良い調子}{希哲15年5月の月記}{希哲15年5月31日}{特別な日}{最大の収穫}{希哲15年6月}{デラング整備}{第三次生活習慣改善}{頑張ろう}...=}(33)

{希哲15年5月31日の日記 K#F85E/A-E74C-5447}

今日も良い調子で過ごせた。

せめてデラング整備一区切り付けたかったが,月末なので適当な所で中断月記を付けながら今月振り返りをした。

こうしてみるとデライト開発にもそれなりの進展があったが,何より生活習慣改善最大の収穫だった。全くの想定外で,当初は選択肢にすら無かったことながら,これに勝る収穫も考えにくい。月初時間を巻き戻せたとしても,これを選ぶだろう。

今月は“特別な日”もあり,気持ち区切りとしても大きな月だった。

ここまで健康で,身内にも大事なく,仕事順調に進んでいる奇跡のような幸運感謝しつつ,また来月頑張ろう

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{一日一文}{希哲15年5月の一日一文}{先が思いやられる}{関の山}{最終目標}{迷い込んだ}{良い暮らし}{立ち尽くす}{分かれ道}{選んだ}...=}(75)

{いくつかの岐路 K#F85E/A-E74C-05DC}

私にも,いくつか人生の岐路というべき場面があった。

私は12歳頃から変わったを歩むことになったので,これも岐路といえばそうかもしれない。ただ,意識的にこの道を選んだわけではないし,その後のことも全く想像出来なかった。なんとなく迷い込んだという感じだ。

分かれ道を前に立ち尽くすような人生の岐路という意味では,やはり17歳の頃を思い出す。「閃き」で輪郭法希哲館事業青写真が出来た頃だ。

希哲館事業に進むべきか,その気持ち押し殺して普通の人生に進むべきか。どちらを選んでも困難は目に見えていた。結局,決心して希哲館事業発足にいたるまで4年ほどかかった。希哲元(2007)のことだ。

次の岐路は,希哲6(2012)デルンの実用化直前のことだった。

当時の私は,何かと恵まれ個人事業主として好条件司組システム開発仕事をもらったりしていた。このまま無難に仕事を続けるか,思い切ってデルン開発注力するか,という岐路だ。

この時は,あまり迷いもなくデルン開発を取った。希哲館事業を始めた時点で,私の目標は,とりあえず世界史上最大の企業を創り知識産業革命実現することだった。それすら最終目標ではない。このまま無難にやっていれば,そこそこの大企業を創るのが関の山だろうと思った。

デルンの実用化成功とともにそれまでの仕事は全て止め,デルン育てることに注力するようになった。それから更に8年ほど経った希哲14(2020),デルンはデライトとして世に出る

そして今年開発が上手く行き,デライトの成功時間の問題という所まで来て,また一つの岐路があった。じっくり時間をかけてデライトを成功に導くか,多少リスクが増してもデライトの成功を急ぐか,という岐路だ。

もちろん,私はデライトの成功を急ぐことにした。デライトの成功は,希哲館事業の成功過程に過ぎない。デライトだけが成功しても意味がなかった。これは「デライトはなぜ成功を急ぐのか」でも書いた通りだ。

結局,私は無難な道を選ぶということが出来なかった。希哲館事業の成功への希望が残るかどうか。17歳の頃から,それだけが私にとっての死活問題だった。どんなに安全だろうとその希望がゼロなら私は生きていられないし,どんなに危険だろうとその希望がわずかにでもあれば生きていける。

今のところは環境のおかげで良い暮らしが出来ているし,見通しも良いが,生き方そのものがとんでもない綱渡りには違いない。そう考えてしまうと,具体的心配もないのに先が思いやられる

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{希哲15年5月の月記}{希哲15年6月上旬}{希哲15年5月27日}{運良く}{休めた}{特別な日}{新生デライト宣言}{第四次宣伝攻勢}{丸一日}{デライト収益目標達成}...=}(25)

{希哲15年5月26日の日記 K#F85E/A-E74C-47BC}

特別な日でもあったため休日にした。丸一日,完全に肩の力を抜いて休めたのは久しぶりな気がする。

一昨日昨日運良くまとめて雑用片付けることが出来たので,来月中のデライト収益目標達成に向けての丁度良い息継ぎになった。

明日からは,とりあえず月内新生デライト宣言を目指して開発集中し,遅くとも来月上旬中には第四次宣伝攻勢開始,収益目標達成に決着をつけたい。

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{希哲15年5月の月記}{右目の三重瞼}{希哲15年5月25日}{振り返り日記}{第三次生活習慣改善}{贅沢な悩み}{はっきり}{2日間}{『希哲日記』}{デライト開発}...=}(19)

{希哲15年5月25日の日記 K#F85E/A-E74C-FB7C}

また一日外出。この2日間で,6月一杯まで落ち着いてデライト開発を進めるための仕事をしてきた。これも幸運なことだった。


生活習慣改善成果か,昨年から気になっていた右目の三重瞼はっきりとした改善が見られ,嬉しかった。贅沢な悩みだが,色々な問題解消するにつれ余計気になっていた。

26日振り返り日記

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{一日一文}{希哲15年5月の月記}{希哲15年5月12日}{希哲15年5月11日の日記}{第四次宣伝攻勢}{希哲15年5月中旬}{気付いた}{デライト像}{新生デライト}{第三次宣伝攻勢}...=}(31)

{希哲15年5月12日の日記 K#F85E/A-E74C-4C2D}

今日も良い生活律動を保ち,開発にもよく熱中出来た。だんだん調子が上がって来ているのを感じる。


昨日の考え事を経て,ふと,これはほとんど新生デライトになるのではないか,と気付いた

しかし,新生デライトに盛り込むはずだった付徴今月中に全て盛り込めるかというと,まだ何とも言えない。この中旬精一杯やってみて,その様子次第だ。

ここで第三次宣伝攻勢を終え,新生デライトを形にしてから第四次宣伝攻勢へ,ということも考えたが,この状況ではまだ時期尚早か。

ただ,自分の中でデライト像が一段と鮮明になったことは感じている。開発具体的にどう進めるべきかもハッキリ見えてきた。


一日一文に関しては,1日あたり2時間上限とすることにした。それまでに書き終えられなければすぐ中断,翌日に続きを書く。

これで他の作業への影響最小限に留めることが出来た。

13日,一日一文について加筆

{デライト開発}
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