{一日一文}{サービス}{希哲17年7月}{希哲17年5月}{希哲17年7月の一日一文}{なくなってきた}{幸運ぶり}{この期に及んで}{お腹いっぱい}{生きるべき}(92)

{希哲館事業は長期安定体制へ K#F85E/0758-E7F9}

希哲館事業は,5月から“長期安定体制”への転換始め,この7月新体制完成させた

長期安定体制の完成は,「デライトの完全な成功」を果すため質・量ともに十分な時間確保出来たということを意味する。この体制で,デライト改良コンテンツ整備宣伝はもちろん,希哲館事業全体かかわる環境整備私自身生活の質改善など,あらゆる要素改善じっくりバランス良く進めていきたい

サービス開発運営経験を積んでみてつくづく思うのは,サービス生き物だということだ。複製されたスタンドアローン型ソフトウェア違ってサービス常に生きていなければならない健全活力あるサービス健全活力ある人間にしか維持出来ない私はデライト名実ともに世界最高のサービスとして成功させたいので,私自身それに見合う人間でなければならないと思っている

何よりここまでデライト開発成功させ,この SNS 戦国時代KNS という唯一無二構想持って立っている奇跡お腹いっぱいだ。宝くじ何百回当てて宝くじ注ぎ込むような綱渡りをしてきたが,すでに得たもの大き過ぎて,それを賭ける値する博打なくなってきた流石にそろそろ堅実生きるべきではないか。そんな心境の変化と,この期に及んで安定取り戻す選択肢があった幸運ぶり象徴する出来事になりそうだ。


{『希哲日記』}{}{日記}{デライト}{睡眠時間}{希哲館事業}{希哲15年9月の月記}{重苦しくなる}{気分が晴れなかった}{掴めた}(86)

{希哲15年9月12日の日記 K#F85E/E74C-69BB}

今週に入り,ますます状況良くなる一方……なはずなのに,妙に気分が晴れなかった理由について考えていた

やはり,デライトの早期成功,引いては希哲館事業の成功もはや夢ではない,というのがかえって重いのだろう。希哲館事業は「人類史上最大の事業構想」なのだから,営利事業として成功することなど歴史的偉業であって,そう簡単に行くわけがない……そんな言い訳開き直りももう出来ない。思えば気楽なものだった。

いまの希哲館事業は,努力次第で十分経営的軌道に乗る状態だ。それが出来ていないということは努力不足だということだ。最近,デライト運営状況に対する自分の見方厳しくなっているし,あれもこれもしなければと気持ちが逸り,それに追い付いていないことに,これまで感じたことのないような焦り悔しさ込み上げてくる

希哲館事業が負っている社会的責任のようなこともよく考えるようになった。これまで全くと言っていいほど利益を生み出さなかった事業にこれだけの時間注ぎ込んでこれたには,身内はもちろん,間接的にも社会にかけてきた多大負担迷惑がある。その歴史も,元を辿れば,かれこれ四半世紀になる。希哲館事業の成功以外では返せない借りだ。

そんなことを考えていれば,否が応でも気分重苦しくなるし,無意識のうちにも自分を追い込みがちになる。ここからデライト収益目標達成までが一番苦しい過渡期なのかもしれない。

ただ,過度な緊張感百害あって一利なしだ。無駄な心理的負担能率が落ち,判断誤らせる。ここからは休息もしっかり取り,意識的心身利楽させることにした。この状況適度な緊張感保つにはそれくらいで丁度良いだろう。睡眠時間平均的短くなっていたため,まずは十分な睡眠を取ることから意識していく。

なんにせよ,得体の知れない感情正体掴めたことは大きな収穫だった。

{『希哲日記』}{日記}{}{第三次生活習慣改善}{状況次第}{どちらにでも転べる}{気を付ける}{食事内容}{迷いが生じた}{戻せそう}(44)

{希哲15年8月12日の日記 K#F85E/E74C-4FF2}

そろそろ温存していた短期集中生活に入っていい頃かと考えたが,結局,生活律動矯正を続けながらの「律動的集中生活」に入ることにした。

これまでの「短期集中生活」は,生活律動無視ひたすら仕事をする生活を指していたが,第三次生活習慣改善を経て,心境が変わっていることに気付いた

7月1日の日記にもあるが,生活律動を保ちながらも限界に近い高進捗は出せるという経験が出来た。その後,生活律動の乱れ目立つようになったが,現状でも寝て起きる生活は出来ており,何か良いきっかけでもあれば,すぐに理想の生活律動戻せそうではある。

これまでのように極端短期集中生活に入るべきか,生活律動矯正を続けるべきか,ここで迷いが生じた

結局,睡眠時間帯食事内容にだけ気を付け,あとは最大限仕事時間注ぎ込むことにし,これを「律動的集中生活」と呼ぶことにした。

これなら状況次第どちらにでも転べる時機待つ必要期限定める必要もないので,早速始めることにした。

13日振り返り日記

{開発}{メモサービス}{万が一}{一か八か}{究極}{}{政府}{英語}{未来}{日本語}(570)

{日本はどう逆転するか K#F85E/E74C-3C71}

昨日の一日一文では高度経済成長期以後の日本の盛衰について分析してみたが,今日は,そんな日本がどうやって中国抜き返し,アメリカをも凌ぐ世界史上最大の極大国ハイパーパワーとなりうるのかについて書いてみよう。

アメリカ脱工業化成功繁栄を極め日本工業しがみつ凋落した……物語はここで終わったわけではない。ジパング計画という“新しい物語”が始まるのはここからだ。

あての無い家出

私は,これまでの世界で起きた脱工業化という現象を「あての無い家出」と表現したことがある。とりあえず工業中心から脱してはみたものの,落ち着ける先が見えていないからだ。脱工業化は世界にとって時期尚早だったかもしれない,という雰囲気は実際に広がりつつある。

それを象徴するような二つの出来事が同じ2016年に起きた。イギリスにおけるブレグジット決定,アメリカ大統領選挙におけるドナルド・トランプ当選だ。私はこれらに象徴される英米政治混迷を「英米政治危機」と呼んできた。

そしてその背景にあったのが,情技(IT)産業をはじめとする知識産業隆盛に伴う工業の衰退格差拡大国民分断だった。世界経済と脱工業化の先頭を走っていたアメリカ,そのアメリカを生み出したかつての超大国であるイギリスが同時に似たような危機に陥ったことは偶然ではないだろう。

産業革命から近現代牽引してきた両国の産業構造はもちろん,政治文化にも通底する何かの限界が,ここに来て露呈したのだ。

トランプ政権下のアメリカでは,まさに脱工業化の煽りを受けたラスト・ベルトに支持され“再工業化”の動きすら見られた。それは,あてのない家出から“出戻り”してきた少年少女のような,心細いアメリカの姿だった。

近代と工業,そして新近代化

一般に,国民国家間接民主主義資本主義といった現代社会標準的体制形作られた18世紀頃から20世紀頃までの時代を「近代」という。

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{希哲元年}{}{未来}{一日一文}{デライト}{文化}{明治時代}{希哲館}{希哲15年5月の一日一文}{有力候補}(77)

{続・「希哲館」の由来 K#F85E/E74C-7DB0}

折角なので,昨日の一日一文で書いた「希哲館命名思い出話を続けてみよう。

14年ほど前,当時の私が持てる知識理想の全てを注ぎ込み,名付けたのが「希哲館」だった。その後,私は膨大な造語翻訳語考案し,様々な物事の名前を考える営みを「最小文学」とすら呼ぶようになった。しかし,「希哲館」を越える名前が出来たと思えたことはない。そういう意味では私の最高傑作だ。

名を体を表すとも言うが,ある名前が良いかどうかは,それが指し示す物によって変わるものだ。醜いものにどれだけ表面的美しい名前を付けても,それは良い名前とは言えない。

後に「希哲館」と呼ばれることになる“それ”は,デライト基礎にもなっている輪郭法武器に,知による産業革命知を共有する民主主義確立目指す機関として構想されたものだ。それは在野自由力強さを持ちながら,未来公共を担う大きさをも兼ね備えていなければならない。これに対する「希哲館」以上の名前はいまだに見つかっていない。


さて,「希哲」の部分に関しては昨日の一日一文で書いた通りだが,この「〜館」の部分にもそれなりのこだわりがあった。

希哲院」では気取り過ぎ,「希哲屋」「希哲軒」「希哲亭」では気軽過ぎ,「希哲楼」では派手過ぎ,「希哲庵」では地味過ぎ……最終的に,「希哲館」以外では「希哲堂」や「希哲荘」などが有力候補だった記憶がある。

「〜館」は,近世までは藩校明倫館造士館……)などによく見られ,近代以後は大使館公民館図書館博物館美術館など,交流文化に関わる施設に広く使われるようになった。明治時代の「鹿鳴館」,バグダードの「知恵の館バイト・アル=ヒクマのように歴史的な事業を連想させるものでもあった(後に薩摩藩の「集成館」にも似ていることに気付き,集成館事業になぞらえ「希哲館事業」という表現を使うようになった)。「」が持つ歴史的用法現代におけるイメージ総合して,これが最も思い描いているものに近いと考えたわけだ。

……「希哲館」に関する話は,まだまだ書き尽くせそうにない。また気が向いたら続きを書こう。

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