{一日一文}{希哲15年6月の一日一文}{高度非言語思考}{閃きの文化}{メカブッダ}{軽常化}{仏教の歴史}{触れる仏性}{非言語的}{階層的秩序}...=}(81)

{仏教とデライト K#F85E/A-E74C-8C25}

日本仏教大国だが,その日本で生まれたデライトにも,仏教の影響かと思うことがいくつかある。

もともと,私自身が子供の頃から仏教的な考え方をしていた。小学生の頃,何も考えていなさそうな微生物が,自分で作り出した悩みにとらわれている人間よりも「賢い生き物だと思っていた。特に仏教の教えを知っていたわけではないが,「縁起」のようなことも独自に考えている子供だった。

私はしばしば,17歳デライト基礎理論でもある輪郭法を思いついたことを「閃き」と呼んでいるが,これ自体,「高度非言語思考」と呼ぶ独特な思考法によって得たものだ。つまり,「言語にとらわれず思考すること」を独自に追求していたわけだ。これが仏教的かどうかはさておき,明らかに西洋思想的ではない。

語りと悟り

私は西洋思想を「語りの文化」,東洋思想を「悟りの文化」と表現することがある。

言語的であるということは,順序的であり一面的であるということだ。言葉は順番に並べることしか出来ないが,それゆえに階層的秩序と相性が良い。西洋思想における「ロゴス中心主義」というやつだ。

しかし,当然ながら世界平面ではなく,決まった順序で捉えられないことが数多くある。東洋思想は大昔から仏教を含めた「悟りの文化」を発達させ,この世界非言語的に捉えようとしてきた。

19世紀頃から,「西洋人」達は西洋思想限界東洋思想可能性に気付き始めた。先日の一日一文で触れたニーチェ仏教傾倒していたことが知られている。20世紀以後の思想は,多かれ少なかれ東洋思想の影響下にある。

悟りと閃き

さて,デライト出発点となった「閃き」だが,実は,もともと「悟り」と呼んでいた。後に語弊があるとして改めたが,それほどの神秘的体験だった。

実際,この閃きから出来あがったデライトは,あらゆる情報が固有の名前を持たずに垣根なく連環し,立体階層構造を成すようになっている。これは私が16歳頃から実践していた高度非言語思考具現化したものでもある。

一昨日の一日一文で書いた「黄金状態」というのも,実質的に悟りの境地みたいなものかもしれない,と思うことがある。デライトによって誰でも体験出来るなら,これに勝る用者ユーザー体験は無いだろう。

もしかしたら,デライトを「触れる仏性」として「カジュアル悟り」を広めることが出来るかもしれない。不謹慎なようだが,必ずしも小難しい理論や厳しい修業によらず,時代に合わせて大衆化軽常カジュアルしてきたのが仏教の歴史だ。

メカソクラテスでもありメカブッダになるかもしれないデライトは,悟りの文化語りの文化統合した「閃きの文化」と言えるかもしれない。

{高度非言語思考}{希哲14年5月12日のツイスト}{希哲14年5月12日}{16歳}{ツイスト}{概念}{これ}{あれ}{足枷}{可能性}...=}(14)
{高度非言語思考}{閃き}{希哲13年7月23日}{希哲13年7月21日}{デライト再公開}{『希哲日記』}{大理容}{第25回参議院議員通常選挙}{発明の祖母}{16歳}...=}(14)

{希哲13年7月21日の日記 K#F85E/A-5B28-0FCC}

第25回参議院議員通常選挙投票に行ってきた。事前に決めていた通り,消極的野党支持をした。開票速報を見る限り,概ね望み通りの情勢で安心した。

大理容デライト再公開は遅れているが,最近,選挙も含めて考えざるをえないような出来事が多いので,これは致し方ない。想定していた23日までの遅れは許容することにした。

ここのところ,新現代思想の役割をよく考えるようになり,閃き以前,16歳時の体験を分岐点として思い起こすことが多くなった。これまでは閃き希哲館事業の原点と考えていたが,輪郭法の必要を生み出したのは何か,ということを考えた時,「その前」が確かにある。

{希哲13年7月16日}{あれ}{希哲13年7月16日のツイスト}{16歳}{ツイスト}{難しさ}{現代思想}=}(7)
{第一次総括に関するツイスト}{第一次総括}{希哲12年5月31日のツイスト}{希哲館事業総括}{16歳}{17歳}{ツイスト}{希哲12年5月31日}=}(8)

{あれK#F85E/A-4686-1A9E}

16歳頃から17歳頃にかけて,私はこの「高度非言語思考」にとりつかれていた。頭の中で爆発の連鎖が起こっているようだった。いまの希哲館事業にある基本的な要素の原型は,この時期に生まれている。そして17歳の頃,それらの要素が一つになる瞬間が訪れた。よく,頭の中で宇宙が爆発的に展開するような「悟り」の視覚表現があるが,感覚としてはさほど遠くない,想像しうる限り最高の知的体験だった。それこそいま私が「希哲館事業」と呼んでいるものの原型だ。

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{第一次総括に関するツイスト}{思想形成期}{第一次総括}{希哲12年5月31日のツイスト}{希哲館事業総括}{16歳}{14歳}{ツイスト}{希哲12年5月31日}=}(9)

{あれK#F85E/A-4686-0493}

もともとの思索好きが哲学勘報機(コンピューター)の知識を同時に得るようになったのが14歳頃で,これから16歳頃までが私の思想形成期だった気がする。16歳の頃,私は当時の日本における現代思想の代表的著作とされていた本を読み,あまりの内容の乏しさに幻滅した記憶がある。それから私は「旧現代思想」に見切りをつけ,「新現代思想」の確立を志向するようになる。

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{16歳}
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