この輪郭を最初に描き出したのが希哲12年11月23日(ちょうど「デライト」という名称を採用した頃)で,遅くともこの時には認識しているが,デライトとの方向性の違いが大きく情報収集に留めていた。
希哲14年7月9日,Android 版を入れてみるも,やはり試用は後回しにした。
この輪郭を最初に描き出したのが希哲12年11月23日(ちょうど「デライト」という名称を採用した頃)で,遅くともこの時には認識しているが,デライトとの方向性の違いが大きく情報収集に留めていた。
希哲14年7月9日,Android 版を入れてみるも,やはり試用は後回しにした。
まただいぶ間をあけてしまった一日一文だが,少しゆとりも出来てきたのでぼちぼち再開したい。継続性について考えてしまうといつまでも再開出来ないので,停止したり再開したりは今後も繰り返しながら,あまり気負わずやっていく。
半年ほど前から,デライト市場戦略にも大きな変化が生じている。個人知識管理サービス市場での競争よりも SNS 市場での競争という意識の変化だ。
当初から次世代の個人知識管理サービス(高機能メモサービス)としての売り込みを考えてきたデライトだが,2年以上の市場活動を通して,“時期尚早”の感が拭えなくなってきていた。
「デライトは従来の個人知識管理サービスとは桁違いの情報を扱える」という趣旨の発言をしたところ,その意図を全く理解出来なかった一部界隈から怒られるという,今となっては笑い話のような出来事(N10K 騒動)もあったが,最近,Notion の小さな流行にも考えさせられることが多かった。
綺麗で仕組み作りが楽しいと評判の Notion は,個人知識管理においてはどちらかというと初心者向けのツールだ。
よく,「勉強が出来る人のノートは意外と汚い」などと言われるが,個人差はあれど,その傾向があることに不思議はない。優れた記録術というのは,自分にとって必要な情報を的確かつ効率的に記録して取り出せる技術であって,それは他人から見て綺麗なものではないことが多い。それどころか,自分の理性に反するものであったりもする。
脳爆発のおかげで検討作業では大きな収穫があったが,思考が広がり過ぎたか。サイクリングでそれなりに身体を動かしたにもかかわらず,夜は脳疲労感が強かった。他にちょっとした幸運があり,少し気が緩んだことも影響しているかもしれない。
最近,ちょくちょく「KNS の経済的合理性」について考えている。考えれば考えるほど,KNS は SNS と PKMS の相補的・相乗的な発展形であると同時に,経済的合理性において唯一の解だと思えてくる。
SNS の経済的な問題は,「献典の質」にある。開放的にして人を集めると,どうしても粗悪な献典が増える。そもそも,SNS における投稿は体験のための手段に過ぎないことが多く,献典としての情報価値が低い。
日常的な挨拶から「バルス祭り」まで,情報としての意味はない出与えを抱え過ぎている。砂金のために土砂を全部保管しているようなものだ。意味がないだけならともかく,不法行為やデマのようなものも誘発する構造を持っているのも厄介だ。放っておけば広告主が減るし,監視を強めれば人件費が増える。かつての匿名掲示板も同じ問題を抱えていたが,文字という最も軽量な情報が主でありながら維持費に収益が追いつかない理由だ。
他方の PKMS では,知的関心で献典が蓄積され,利用者も自然と内省的になるので献典の質や治安は総じて良い。
ただ,PKMS はとにかく「高コスト体質」になる。今まともに開発しようとすれば,厳重な制危と情報保護体制,複雑な WYSIWYG 選り手,自動保存,編集履歴,オフライン対応,ゆとりのある譜類上信機能あたりは基本として,OCR や人工知能くらい付いているのも当たり前になりつつある。デライトがこれらの機能を上手く切り捨てられているのは,やはり KNS という根想によるところが大きい。どれも SNS なら必要性が低い。
しかも,PKMS は閉鎖的なサービスなので収益化手段は限られ広告宣伝費もまともにかかる。Evernote にせよ Notion にせよ,SNS に比べると規模的には伸び悩みの状況にある。
そこで KNS たるデライトの出番というわけだが,KNS は KNS で「新し過ぎて理解してもらうのが難しい」という問題を抱えている。逆に言えば,ここさえ突破すれば SNS の次と PKMS の次を同時に創出出来る。SNS をメモ通類として使っている人,PKMS を情報発信に使いたい人はそれなりにいるので,突破口は確実にある。